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生活保護制度における「働けない人」の概念の齟齬

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生活保護の問題が出てくるときによく言われるのが「あの人働けるのにどうして受給しているの?」ということです。通常であれば、他人の事情を具に知っている人が多くいるはずもなく、外見的な側面からそう判断したのでしょう。つまり、この場合では年齢とか、身体的特徴などを考慮して「働ける」と判断していると思います。それはまだ若いとか、身体に障害がないとか、そういったことだと思います。しかし、若くて障害がなければ働けると判断するのは、時期早尚だと思います。というのも、じゃあ現実問題として、若くて、障害がなければ全員が働けるのでしょうか?通常、働くといういう場合はどこかの会社に雇用されることを言うと思います。

 

じゃあ、働く意思さえあれば、働ける年齢や身体の条件をクリアしていれば誰でも雇ってもらえるのでしょうか?それは違います。最終的に働かせることが適当か?どうかは会社の人間が決めるので、いくら20代で健常者で、かつ働く意思があったとしても働けない人は存在するのです。そういう人を「えり好み」とか、「仕事を選びすぎ」と批判する人もいます。しかし、それこそもっと批判されるべき反論です。それは彼らの目的は仕事を得ることではないからです。仕事を得ないと目的達成のスタート地点にすら立てませんが、彼らの目的は仕事を得て、その仕事を行い続けて生計を立て続けることです。要するに、仕事が長続きしないと意味がないのです。

 

選らばなければ仕事があると言う人は、仕事を得られた時点で万々歳と考えているのかもしれませんが、それはおかしい。現代の労働環境は複雑怪奇、かつ従業員は立場上弱く常に命令をされて虐げられる存在です。当然、中には精神的、肉体的に支障をきたして辞めても仕方がない状態に追い込まれるケースも存在する。従業員に辞められるということは、労働者本人にとってもマイナスですが、雇った会社にとってもマイナスに作用する。つまり、働きたくない職場で無理矢理働かせても長期的に見たら、良いことなんてひとつもない。労働者は短期職歴ができて、次の仕事を探すのに不利になる。企業はせっかく費やした教育、研修コストが無駄になり、新たに人材を探す必要が出てくる。労働者自身が納得できる職場で働くからこそ、労働者、企業が共にメリットがある。えり好みをすべきなんです。

 

おそらくえり好みが批判される理由は、単に他人がより良い条件で働こうとするのが気に食わないから。自分が過酷な労働条件で働いている、いわゆる「社畜」といわれるような働き方をしている人ほど、そういうえり好みを嫌う傾向になるのではないか?と思います。しかし、そのえり好み批判が、自己都合的な発想から出てきたものでも、結果的に社会全体のためになっているのなら、それは良い発想なのかもしれない。しかし、結果としてすでに説明したようにえり好みをしないことは労働者、企業双方にとってむしろマイナス、社会全体にとってもマイナスに働く。そうなると、単なる自己都合的な発想で終わってしまうのです。

 

つまり、何でもかんでも嫌だといって避けるのは問題だとしても、ある程度の希望の労働条件を設定し、それに見合う仕事しか受け付けないというのは、中長期的に見ても合理的な仕事の探し方です。受かりやすさだけを優先して仕事を探しても、1年後に辞めていては意味がない。また、モチベーションの低い状態で仕事を続けていては、会社に損害が出るかもしれない。仕事を探すときには仕事を得ることの難易度以上に、その仕事がずっと続くのか?それを考えて選ばないと意味がない。つまり、話は戻りますが、えり好みをしていて仕事がなかなか見つからないのはしょうがない。そういう「働けない人」が生活保護を受給するのも致し方ないのです。大それた条件を希望していないのに(違法な労働をさせない企業じゃないと嫌だ等)仕事がなかなか見つからないということは、それだけ今の労働環境の全体の中に、人として受任できるようなまともな求人が少ないということの根拠にもなります。これは労働者に帰責性はありません。

 

適当に仕事を選んで、無事に決まって、じゃあ生活保護はいらないね?ってやっても、数ヶ月、いや、数週間後に同じ人がもう1度生活保護の申請に来ているかもしれない。自治体の求人斡旋も、おそらく社畜の人たちが唱えているような気持ちで仕事を紹介していると思われます。つまり、財政を圧迫する生活保護費をなんとか減らしたい。早く仕事に就かせて、生活保護の生活から脱却させたい。そうなると、その人が仕事を始めて平穏な生活を送ることができるのか?まではほとんど考慮されず、とにかく何でも良いから仕事を与えて、生活保護を打ち切るという圧力が働きやすいのです。こういった事態は傍から見れば仕事を与えているのだから、「就労支援」にも見える。ただ、実質は「生活保護からの追い出し」に他ならない。

 

受給者のことを考えずに就労支援という名目だけが先行し、生活保護から追いやる動きが自治体にも見られている可能性はあります。もし本当にそういう動きが自治体にも見られるなら、さっきと同じです。自治体のやっている行為は社会全体にとってマイナスなことでしかないのです。彼らが受給者に対してやるべきことは自立をさせること。自立≠仕事であり、仕事を得られた=自立できたではないと思います。彼らがその得られた仕事を全うし、今後生活保護に依存しないで生きていける体制の構築が必要になるのです。仕事を得ることはそのスタート地点に立ったに過ぎない。それだけじゃ足りないのです。そこから歩き始めてゴールに向かっていくには、もっといろいろな要素が必要になる。生活保護バッシングをする人も、自治体で働く職員も、それを理解してほしいですね。

 

 

14歳からわかる生活保護 (14歳の世渡り術)

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