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「日本は治安が良い」←これが美徳になる意味が分からない

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日本の国の美徳として、日本人も世界の人も「治安が良い」ということを挙げることがあります。治安が良いということは、つまり犯罪行為などが起きづらいということ、平和な社会になっているということでしょう。これは非常に喜ばしいことのように思えます。実際、新しく東京都知事に就任した舛添要一氏も、この治安の良さについて触れていて、「せっかく日本の治安は1位なんだから、これを守っていかないといけない」と言っていました。私はその頃からなのですが、治安が良いということが果たして良いことなんだろうか?と、凄い疑問でした。治安が良いというのは、一般人の感覚からすると、間違いなく治安が悪いよりは良いはずだ。そう思うはずです。しかし、「一般人」とはちょっと違う層の人たちからすると、治安が良いというのは決して良いことではないのではないか?、つまり、治安が良いということがプラスに働くか?どうかというのは相対的なものじゃないか?と思い、社会全体として「治安が良い」ことが絶対的なプラスの要素なのか?というと、私はちょっと違うと思います。

 

例えば、18世紀のフランスではルイ16世をが処刑されるに至った、「フランス革命」が起きました。革命っていうのは、今ではちょっと想像するのも難しいですけど、世の中の雰囲気としては相当険悪な感じだと思います。犯罪が多発するとか、そういうレベルではなく、国の王を排除して、全く新しい世の中を作り出す作業により、国内が戦争状態になっていたのです。革命が起きていた世の中が治安が良いか?悪いか?といったら、治安は間違いなく悪いですよね。それはこのまま王に虐げられる生活が続くくらいなら、自分たちの生活の平穏(実際、生活に平穏の要素がどの程度あったのか?は定かではない)を犠牲にしても、王を追放するために世の中を混沌とさせた方が得策だと思ったからでしょう。フランス革命のような、「革命」にあたる行動は当時の一部の人間ではなく、国民のうちのある程度の割合が賛同したでしょうし、実際に何かしらの行動に移ったのではないか?と思います。

 

フランス革命が実際に起きて、結果王が処刑されたということは、世の中の治安が悪くなることが、どちらかというとプラスだと考えた人が多かったということです。革命を起こす、つまり意図的に世の中の治安を悪くしないと、自分たちの未来がない。そういう状況だったんです。今の日本にも、日本だけじゃないでしょうけど、この21世紀にも似たような状況は少なからず存在しています。フランス革命時のフランスみたいに、王によって絶対王政が行われ、国民の多くが虐げられているような状況ではないです。ただ、「国民の多く」ではないだけで、「国民の一部」はそういう状況と同じ目に遭っていると思うのです。例えば、ネットカフェ難民、ホームレスの人たちなどは代表的な例かもしれない。彼らは憲法が保障する最低限の生活すら送れていないでしょう。本当は彼らにはその権利があるのに、それをまともに行使するための体制が整っていない。大部分は財政的な問題が大きいかと思いますし、あとは「日本人の多くは社会的弱者を助ける必要がないと考えている」というアンケート結果も、ニュースで報道されてましたから、世論も彼らの権利行使を妨げている一例になっているのです。

 

治安が良いという恩恵を受けられるのは、世の中を構成する社会的強者、または中流階級以上の人たちだけだと思います。だから、フランス革命のときのフランス国民というのは、そういう層にはなれないような、きつい生活を強いられていた人たちが非常に多かった。ということじゃないか?と思います。だから、革命を支持したんでしょうし、治安を悪くすることに一定のメリットを見出せたんです。逆にルイ16世は、社会的強者の部類にあたりますから、当然革命なんて起こしてほしくない。治安が悪くなるメリットなんかない。そう考えるでしょう。このときの状況を今の日本にあてはめると、ルイ16世ほどではないにしろ、同じような社会的強者、または中流階級の人が圧倒的に増えたのです。つまり、ルイ16世と同様に革命みたいなことを起こされると、デメリットしか感じられない層の人たちが圧倒的に増えた。だから、世の中の大半は革命が起きることを、治安が悪くなることを望んでいない。その結果「治安が良いのはいいことだ!」という風潮になったのではないか?と思います。

 

しかし、未だにフランス革命のときの多くのフランス国民のように、「治安を悪くすることが自分たちを幸せにする」という層は、今の日本にも間違いなくいるはずです。つまり、治安が良いというのは、いわゆる社会的弱者、その中でも相当底辺に位置している人たちが自分たちの幸せを掴むのを阻んでいる状況といえると思います。要は法律や幼い頃からの教育によって、国は社会にとって不都合な人間にならないように施しますね。法律や教育がどうしてあるのか?というと、単純明快な理由としては、社会的強者にとって、国を形作る人たちによって都合がいいからです。そして、いわゆる中流階級の人たち、そして社会的弱者の中でも真ん中以上の人たちは、社会的強者の都合から作られたモノだとしても、それに賛同した方が、それを遵守した方が生きていくうえで間違いなく有利なんです。特に違和感もなく遵守して生き、それから逸脱する人を非難するという構造なんでしょう。

 

要するに、人間ってのはある意味ご都合主義で生きているというか、身勝手というか、自分の都合をまずは最優先するはずです。私はそこまで悲惨な生活ではないので、治安が悪くなるメリットは私にはあまりありません。だから、治安が良いことは望ましいと考えてしまいます。ただ、それは世の中のためを思ったからではない。自分のことしか考えていない結果から導き出したものです。18世紀のフランスのような状態なら、犯罪行為に走る人を咎める人は、今と比べて間違いなく少ないはずです。それは自分も同じようなことをするかもしれないし、しないと生きていけないかもしれないから。自分の生活水準などによって、治安をどちらに転ばすのが良いのか?ころころ変わるんですよ。治安が良いことはプラスに働くか?マイナスに働くか?というのは、各々の人間が置かれている境遇によって異なる。それが一方に偏ると、そちらが「世の中の正しい風潮」になるというだけです。フランス革命のときは、王を処刑することが国の中の風潮として「やってはいけないこと」みたいな風潮は絶対になかったはず。だから、今の日本では治安が良いことを望んでいる国民が大半でしょうから、逆に治安が良いことは正義であるという風潮になっているんだと思います。

 

そもそも、資本主義社会それ自体が確実に格差をもたらす社会構造になっているので、先ほどから言っているように、その中で生きている人間のうち、最底辺を構成している人間にとっては、犯罪行為に走る誘因が物凄く大きい。いわゆる「無敵の人」という言葉があります。そういう人たちは犯罪行為に走るメリットの方が大きいと思います。あるネットカフェ難民の人が、以前「今の生活だったら生活だったら、刑務所の方がマシですよ。少なくとも、3食出てくるし、足を伸ばして寝られますから」と言っていましたが、これは資本主義社会の中で生まれた被害者だろうし、「無敵の人」の概念に近いのかもしれません。そういう人たちが、合法的な手段だけを用いて、幸せを掴めるのか?というと、私は個人レベルで見た場合に無理だとは思いませんが、全員は100%無理だと思います。

 

資本主義社会のシステム自体をやめるわけにはいかないでしょう。だから、資本主義社会を継続する限りは、彼らのような層の人は確実に一定数存在してしまいます。日本は治安が良い。だから、そのことの問題点に気付かせてくれないのです。つまり、彼らのような層の人たちが存在しても、別に危害を加えてくるわけじゃなから、無視できちゃうんです。逆に言うと、危害を加えるようになれば、国民の大半は彼ら社会的弱者の人たちを野放しにしておくことの問題点にようやく気付くでしょう。治安が良い。そして、それを美徳と感じる人が増えたということは、フランス革命時のルイ16世にあたる立場の人間がかなり増えたということです。つまり、私も含めた一定以上の層の人たちは、社会的な地位を利用して、直接手を下しているわけではないものの、下層民虐げているに等しいのです。治安が良いことを、プラスだと感じる人というのは、圧政を敷いて、国民を蹴散らすルイ16世と同じ考え方をしているに等しいと思うのです。

 

先ほど「社会的弱者を救う必要がないと考えている国民が多い」ということを述べましたが、これはまさに言葉を使って、下層民を虐げている好例だと思います。あなたたちがやっている行為は国民を虐げていた王と同じなんですよ。こういう勝手なことを言って、いざ貧しい人たちが憤慨して、犯罪行為に走る前に私は彼らの生活を守るべきだと思います。そういう事件はちょいちょい今でも起きていますが、自分の身を心配するほどの頻度じゃないのです。それがそうなってからでは遅いのです。それがそうなるわけがない。日本は治安が良いんだから。と、たかをくくっていると、いつ社会の底辺でもがき苦しんでいる人たちが爆発するか?分かりません。起きてから対策をするのは、はっきり言ってアホです。そういう事態が十分想定できる段階から対処していくことが大切ではないのでしょうか?

 

「治安が良い」というのは、本来なら絶対にプラスの採用を生むものだとは思いますが、今の日本国の場合の「治安の良さ」は、絶対的なプラスではなく、残念ながら相対的なプラスの効果を生み出しているに過ぎないのです。多数が少数をいためつけている。それが日本の治安の良さの意味するところだと思います。資本主義社会を維持しながら、社会的弱者の生活を守るのは難しいです。それができたら、そもそも資本主義社会にはならないから。ということもいえるかと思います。勝ち組、負け組の格差が生まれて、それの開きが相当程度大きくなるのが資本主義社会です。しかし、このブログでも何度も言っているように、ベーシックインカムならそれを改善することが可能だと思います。いわゆる「修正資本主義」で、資本主義社会を維持しながら、格差を是正していき、日本の「治安の良さ」というものを、絶対的なプラスを生む真の「治安の良さ」に近づけることができるのではないでしょうか?

 

 

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

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