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原発反対派は代替案出せ!←原発推進派は出さないの?

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先ごろ、原発反対のデモみたいなものが行われて、物議を醸していたようです。そのニュースを伝えるコメント欄を見ると、案の定予想していたコメントが多かったです。特に代表的なのは「原発に反対するのは代替案を出せ」というものです。私はこれが意味が分からないのです。どうして反対するのなら代替案を出せというのでしょうか?ずっと前からこれ言われていると思いますけど、未だに理解ができないのです。原発に賛成する人は、原子力発電所がなくなれば、電力供給に支障が出ると考えていて、普段の暮らしの水準が下がる。といった弊害からおそらく原発は稼動させていくべきだ!と考えていると推測します。つまり、理由としては自分たちの生活レベルを下げないといけないのは嫌だ!だから、原発は必要なんだ!と主張するのでしょう。じゃあ、反対派はどうでしょうか?

 

福島県民を除く反対派は原発の安全性が揺らいだことを受けて、これ以上福島県民の健康や精神状態を犠牲にしてまで、私たちは効率的な電力供給を目指すべきではない。つまり、別の誰かを犠牲にしてまで、自分たちが利益を常に得続けるのは我慢ならない。ということから反対しているのではないか?と推測します。すると、双方の意見はそれぞれ主張されている観点は違うものの、原発推進派は原発を廃止したら、人々の生活水準が下がるから、それは避けたい。または他に弊害があるかもしれない。だから、それを起こさせないための、原子力発電に変わる別の発電方法の代替案を反対するなら提示してからにしろ!と言うのかもしれない。これが彼らが主張している代替案の真意だと思います。ただ、それと同じことは反対派も言えるのではないでしょうか?

 

これはどういうことか?というと、原発反対派からは、推進派に対して、原発の稼動を続けるのであれば、安全神話が崩壊した原発により、さらに健康被害が及ぶかもしれない。また、その付近で暮らす住民は例え、事故が起きていなくても、またいつ起きるか?分からない恐怖と毎日隣り合わせである。原発を今後も稼動させるのであれば、人々の健康被害が絶対に起きない、そして住民の不安を一掃するような原子力発電のあり方の代替案を出せ!という主張もできるのです。現実的にそんなものないですけどね。安全を100%約束できる術はない。100%安全なんて言っていたら、逆に信用できません。だから、出さないというよりは出せないんですよね。自分たちが出せない代替案を他人に出させるというのもどうかと思うのだが、原発に代わる代替案自体は、実は出そうと思えば出せると思います。それは後半に書いてあります。

 

ミュージシャンの坂本龍一氏は「国民は反対!反対!と声を挙げているだけで良い。代替案を考えるのは国(行政)の仕事だから」と以前話していました。実際、安全性が確約されたからこそ、原発は作られたはずなんですよ。そして、事故が実際に起きて安全神話は崩壊した。安全を引き換えに建設されたものが、安全じゃないと分かった。だから、廃止に追い込まれるのは当たり前の話です。これが自然だと思うのです。でも、廃止されるのは原発反対派が悪いわけじゃない。安全性を見誤った国が悪いのです。つまり、(安全性を見誤るという)ミスをしたのだから、さっさと廃止しろ!という原発反対派の主張は反論をする余地がないと思うんですよ。理屈で考えればごく自然の主張です。廃止によって、国民の生活に何らかの影響が起きるという問題はあくまでも国がミスをしたことによる当然の報いを受けた後の二次被害であり、反対派が責任を負うべき事柄じゃないのです。責任を負うべきなのは国です。国は安全だと国民に約束をして、またはそういう見立てをして原発を作って、稼動させたのだから、本来ならば、そんな危険ものではなく別の手段で電力を供給していくべきだった。そうなると思うんですけどね。

 

要は「原発を廃止しろと言うのなら代替案を出せ!」と、反対派に食って掛かるのではなく、「お前らが安全性を見誤ったから、福島県の人たちは苦しみ、そして、原発は当然廃止に追い込まれた。原子力なんかじゃなく、将来にわたって廃止に追い込まれることがありえないような案で、あのときから電力を賄うべきだったんだ!それをしなかったから、まさに今俺たちの生活に支障が出るだろうが!どうしてくれるんだ!早く代替案を出せ!」と国に食ってかかるべきなのです。国に対して、代替案を迫るのは間違っていないように思います。それは反対派もそうですね。安全性が確実に約束できる方法で電力を供給しろ!原発に変わる代替案を早く示せ!と国に向かって言っても間違っていないと思います。そう考えると、そもそも日本における原発に賛成の人と反対の人がいがみ合う意味も分からなくなります。原発賛成派は今と変わらない電力の安定した供給を望んでいる。原発反対派は電力を供給しながらも、安全性をちゃんと担保してほしいと望んでいる。お互いの要望は内容は違えど、国が当然に実現すべきものじゃないですか?

 

別の例えを使うとすると、自動車が普通に走っている社会で、自動車によって移動が楽になる利便性と事故が起きづらい安全性は共に実現すべきものじゃないですか?自動車が走っていることは確かに便利だが、でも一方で毎日数万人が自動車に轢かれて死んでいるとなれば、それは問題だろうと自動車を運転するドライバーだって思うのではないでしょうか?だから、運転免許の制度を整えたり、標識や信号を作ったり、交通ルールを法律で定めたりして、安全性にも配慮している。これによって自動車の利便性と安全性が同時に実現しやすくなっているわけですね。これらをやっているのは、やるべきなのは誰ですか?国ですよね?だからこそ、原子力発電所の問題についても、電力供給の利便性とそれに伴う安全性は国が実現すべき問題であり、賛成派と反対派が、お互いに要求しあうものじゃないんですよ。原発に賛成していようが、反対していようが、双方がともに安全かつ生活に支障のない電力供給を実現してくれ。またはそうなるように努力してくれと主張すれば丸く収まると思うのですが。

 

この原発の話題で、個人的に1番問題だと思うのは、利益を得ている人は特に負担をしない東京近辺の人間で、負担をしているのは利益とは全く関係のない福島県の人たちということです。東京の人間はフリーライダーになってしまっていると見ることもできるわけですが、私はフリーライダー自体は別に否定的ではありません。それはフリーライダー問題では、フリーライダーになるか?ならないか?が多くの場合、決定権があるから。しかし、今回は決定権はありません。勝手にフリーライダーになる人、フリーライダーのために負担だけをする人が固定化されているのです。おまけに従来のフリーライダー問題では、フリーライドする人だけじゃなく、負担をする人も一応恩恵を受けられますけど、今回の場合は福島県民は負担をするだけで、恩恵は特にありません。だから、一層タチが悪いのです。私は別に誰かを犠牲にしてまで便利さを手に入れたいとは思っていないので、今のところ原発は反対です。

 

実際、私も東京周辺に住んでいるので、福島県原子力発電所で作った電気を使用してきましたが、今思えば完全にフリーライドしていたなと思えてきます。私が行っていたのは便利さだけ享受して、リスクはテイクしていないわけですから、公共サービスは受けたいけど、税金は払わないのと一緒なんですよね。東京に原子力発電所を作ることができればそれが1番良いでしょうけど、それは地理的に無理だ。でも、だからといって福島の人たちの生活を脅かして良いわけではないのです。生活に困っているからって、他人の家に窃盗に入ってはいけないですから。福島県の人が我慢すれば、その他大勢の人たちの生活水準が上がるのだから。という見方もできますが、その理屈で言うと、1人の大富豪の全財産を奪って、ホームレスなどの人たちたくさんで分け合えば、その大富豪1人が我慢すれば、ホームレスの多くが助かるわけですからね。これと一緒だと思うんですよね。

 

そして、多くの人が懸念している原発を全て廃止した場合の影響についてですが、いろいろな意見があるので、一概にどれが正しいのか?判断に困るものの、実際に起きた事例をもとにしている例で信憑性がありそうなものがあったので、紹介しておきます。それは原子力発電所に頼らなくても、電力問題に支障は起きないという説です。原子力問題の専門家である小出裕章氏によると、原子力発電の割合は、今の日本が生み出している電力全体の約3割だという。この3割をなくしたら、そりゃ影響はあるだろう!とする見方は一見すると正しいが、実はそうじゃないのです。それは現在、多くの火力発電所が止まってしまっているから。止まっているのは、全て稼動させたら作った電力が余ってしまうからなのです。電気は長い間貯めておけませんから。つまり、原子力発電所が生み出す国内の3割の電力を賄うために、それを全部火力発電所に置き換えたとしても、火力発電所の最大限の発電能力のうち、7割ほど稼動させれば全て賄えてしまうみたいです。実際、2003年には国内の原子力発電所が全て停止したときが連続して20日間ほどあったようなのですが、そのとき特に問題は何も起きませんでした。歴史が証明しているのです。

 

いざというときの電力需要に対応するために原子力発電も必要という人もいるようですけど、過去の歴史を振り返って、ある瞬間の最大の電力需要が、この国の火力と水力を足した最大の電力供給量以上になったことはほぼないなので、歴史を見ても原子力が特に必要とは言えないということなのです。懸念材料があるとすればコスト面かな?あくまでも理論上の話ですが、原発を廃止した場合の代替案はこれで確保できます。本当は国が考えるべきものなんだけどね。原発が必要だと主張する人の中には、そういう現実を認識しているけど、利権がらみで廃止すべきとは言えない人たちがいると思われます。また、そうじゃない人たち、一般市民の多くは原子力発電がないと、そもそも電力は絶対に不足する。生活ががらりと変わると思い込んでいるようですが、実はそうではない可能性が高いのでは?ということです。だから、原発推進派も代替案を出してほしいところですが、とりあえず原発の反対派は代替案は出せます。出す必要がない人たちが国に代わって出しているというおかしな現象ですけど。原発推進派の人の中には原発反対派の人をバカとか愚かとか罵る人たちはいますが、現実的には原発を廃止しても電力供給が滞ることはないのです。

 

 

マスコミが絶対に伝えない 「原発ゼロ」の真実

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