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受刑者の監獄内での自殺を国が邪魔する意味ってあるのか?

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死刑囚の自殺は国が許さない。また、国は死刑囚を自殺させまいとしている。あえて、そんなことをする理由は何なのか?あえて理由をつけるとすれば、死刑は国が命を奪うものであり、この機会を逸してしまうことは、死刑本来の目的を失ってしまうから。というのが、いろいろ見てきた中で1番妥当な理由かな?と思えてきます。私は、そんな理由で???っていうのが率直な感想です。そんな理由で死刑囚の自殺を認めないの?言っちゃ悪いけど、ガキっぽい理由だなと思えてきます。それは全体の合理性よりも、国としての感情が優先されてしまっている事態じゃないか?と思うんです。あえて自殺を望んでいる死刑囚を生き延びさせて、一体何の意味があるのか?私には分からないのです。

 

例えば、よくアニメやドラマなどで、自ら死を選ぼうとしている犯人をあえて助けて、「死なせはしない!自分の侵した罪の重さを分からせてやる!」といったセリフが流れるのはよくあるシーンですが、私がその場にいたら、いやいやそのまま死なせてやれよ!と思うに違いありません。この場合、冤罪はなく、その犯人が100%犯人であるという前提ですけど、その犯人を生き延びさせて、仮に自分の罪の重さを分からせて、一体どうなるというのでしょうか?自分の犯した罪と同様の苦しみを与えるとかではないでしょうか?一応、自由はかなり制限されているものの、それなりの人間らしい生活は送ることができるわけじゃないですか?少なくとも、殺された被害者と同等の苦しみを与えるなんてことは不可能だと思うのです。

 

それはその犯人を死なせてしまっても同様です。人は死んだら苦しみは味わえないですからね。ただ、死ぬのも生きるのも大して苦痛を味わうことにならない。また、本人が罪の重さを認識したところ、何の解決にもならない。ならば、そういう人を生き延びさせることのリスクを考えるべきだと思うのです。人を殺したりするような人は、はっきり言って異常者でしょう。そんな異常な人を生き延びさせたらどうなるか?中には脱獄したり、刑期を終えて出所して、また同様の犯罪をしたりといったリスクは、明らかに常人と比べたら高いと思います。実際、そういう事件は起きているでしょうね。世界中で見たら。あのとき素直に死なせてやっていたら、第2、第3の被害者は出なかったのに・・・。という事態が起こりえます。実際、起きたら国はどう釈明するんですか?

 

私は一市民として、冤罪じゃないという前提の凶悪な人間が死にたいと言っている。または死のうとしているのなら、素直にそうさせてあげれば良いのにと、本気で思いますよ。私と同じ一市民の人たちにとって、そういう人が自分から死を選ぶことのメリットはあっても、デメリットはそうはないような気がします。デメリットは先ほど言ったように、国の責任が果たせないとか、国の心情が穏やかではない。国として受刑者の命をコントロールできる立場にある国が、それをする前に受刑者の好きなように命をコントロールされてしまう。結果は変わらないかもしれないけど、その過程や心情が違う。ただ、無理に生き延びさせた結果、その間に死のうと思っていたのに気が変わって脱獄して、また凶悪犯罪をするという事態もありえる。結局、受刑者の自殺を止めることによって、私たち国民からしたら良いことはない、ありえるのはよくないことばかりな気がしてしまいます。

 

受刑者が実際に自殺をしたケースで、その受刑者の遺族が賠償請求をするという事態もったようですね。これは、一応現在は自殺防止の義務を国が負っているということで、これも仕方ないのかと思いますけど、ある程度罪状の思い犯罪を犯した受刑者で、かつ冤罪ではない考えられる場合ならば、少なくとも私はそういう人が世の中からいなくなってくれることはプラスと考えます。国民の多くも同じように考えている人はいそううですけどね。生活保護でいちいちうるさい国民が多いのですから、受刑者が減れば、それだけ使われる税金も減るでしょう。ましてや使われている先は犯罪者なのですから、生活保護以上に憤りを隠せない人もいると思います。受刑者の自殺を止める理由が、冤罪の可能性もあるから、裁判のやり直し当の可能性を将来に残す意味で、止めるということならば、まだ納得いく面もあるのですけどね。しかし、冤罪のケースでも袴田事件みたいな例は稀(稀かつ、釈放される場合でも、相当な年月を要する)で、おそらくそれを悟って自殺を選ぶ人が多いのなら、それはそれで本人にとっては苦しみから逃れる手段としては適当だったのかもしれないし、それを邪魔する行為に意味がどれだけあるのか?というと微妙な気がする。

 

冤罪で苦しむ人が、それから逃れるための自殺を止める場合も、冤罪じゃない人が自殺するのを止める場合も、結局誰のためになっているのか?何の意味や合理性があるのか?が分からないのです。冤罪じゃないと確実にいえるケースってのが、そもそも存在しないのですから、私の意見はほぼ机上の空論にもなってしまいますけど、冤罪を被った人からしてみれば、冤罪を吹っかけられることも、その苦しみから逃れることも許されない。どちらに転んでもありえない理不尽な事態です。そして、冤罪ではないケースでは、受刑者自体が異常者と客観的に認定される場合ですから、そういう人が自殺を図るのは、我々一般市民にとっては、そういう人が世の中からいなくなるというのは、一応のメリットを感じられると思うのです。

 

 

刑務所のいま-受刑者の処遇と更生-

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