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「そんなんじゃ社会じゃ通用しない!」←一体、どの社会を指してるの?

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社会人として生活していると、よくありがちななのが上司や同僚などに「お前、そんなんじゃ社会で通用しないぞ!」という言葉です。これを言われるときっていうのは、だいたいそれを言う当人にとっての常識や価値観に相違する行動をとったときじゃないか?と思います。この言葉自体は凄い曖昧な表現で、「「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」←社会って何? - 脱社畜ブログ」でも批判がされています。

 

>この場合の「社会」という言葉は、実際の社会を意味しない。せいぜい「自分の会社」であり、大抵の場合は「自分の部署」である。「そんなんじゃうちの会社では通用しないぞ」とか、「そんなんじゃうちの部署では通用しないぞ」と言うべきことを、「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」と盛って言っていることがほとんどだろう。たまたま、その組織の慣習や、やり方が合っていなかったというだけのことに対して、社会生活不適合者のような烙印を押すのは感心しない。

 

そもそも、「社会で通用しない」というのは曖昧で、こういう説教には意味がない。具体的に、どういう能力が足りなくて、そのままだとこういった点で問題が起きる可能性がある、ということまで示さなければ、意味のあるフィードバックにはならない。結局のところ、よくわからない精神論に落ち着いてしまい、社畜の皆さんが大好きな「自己成長」もできずに終わるのではないだろうか。すぐに「社会」とか「社会人」という言葉を持ちだして説教をする人は、基本的に信用すべきではないと僕は思う。

 

このブログの管理者である日野瑛太郎氏がこの記事の後半でも言っているように、社会ってのはそもそも画一的なものではないと思う。社会というのは、場所を変えれば、非常に多様な価値観と様相を呈したものが密集して、1つの社会が形成されているのではないか?要は1つの社会の中にはいくつもの異なった社会が形成されており、社会と1つ簡単に述べてしまうのは、個人的にはちょっとおかしいのでは?と思います。日野氏は最後に「ある社会で通用しないのなら、通用する社会を探せば良い」といったことも述べており、極端なことをいうとその通りかな?と思います。自分が納得いかない社会で窮屈に生き続けることはないでしょう。

 

こうやって、画一的な社会像を作り上げる、またはそういう社会しかイメージできないというのは、個人的にはいかにも日本人らしいと思う。他の国の人たちと比べても、本当に他人や他のものへの同調圧力が強く、同調性を強調するのが日本人だと思うからです。社会人になる前の就職活動でもそうだが、社会人になってからもまさにそういう同調圧力は凄い。冒頭で述べたような言葉を言ってくる人の「社会」というのは、実際はかなり身近なコミュニティであり、それを「社会」という誇張表現を使った過ぎないのかもしれない。要は「社会」という物凄いでかい存在を引き合いに出さないと、相手に反論できないということも言えるでしょう。日野氏も言っているように、この場合「社会で通用しない」という反論は些か不適切というか、いい加減にも聞こえてきます。

 

この場合、何がどう不適切で、そのままにしておくと、どういう問題が起きて、それをどういう風に直すべきなのか?本当にその言葉を投げかける相手のことを思っているのなら、そこまで説明すべきだろう。社会で通用しないと言われても、本当か?を首をかしげるだろうし、私なら「単純にオレのことを気に入らないから、そういってくるだけなんだろうな」と考えるだろう。もう少し具体性を持った反論をしてほしいものだ。ネットでいろいろなブログを見ていても、根拠が乏しいどころではなく、ほぼないのに偉そうなことを言っている人は往々にしている。しかも、そういう輩に限って、相当口調が悪い。子供の喧嘩口調みたいな言い方しかできない。説得力がないどころか、暴言だらけで見ていて気分も悪いから、そういうブログは見つけた瞬間に閉じることにした。そういうブログも、冒頭で述べたような社会人と同レベルじゃないか?と思うのです。根拠を示さないで反論するなていうのは、子供の喧嘩と同レベルだと思うし、そういう人が「社会」について語ったり、「社会人」を名乗るのか?と個人的には思えてきますね。

 

 

 

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