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選挙に行かない理由よりも、行く理由を見つける方が難しい?

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来月には選挙がありますけど、選挙に行かない人を非難する風潮はおそらく今後も続くでしょう。選挙に行かないのはおかしいとか、選挙に行かないのはアホだ!といったことをいう人もいますが、昨日たまたま見つけたブログで「選挙に行くほうが馬鹿かもしれないし、一票の格差に目くじらを立てなくてもいいかもしれない - The Midnight Seminar」という記事がありました。数日前に書かれた記事で、選挙に行く方がむしろおかしいんじゃないか?といった問題を投げかけています。そして、後半では一票の格差問題についても言及されていますが、それについては今回は取り上げません。以下はブログに書かれていた内容です。

 

政治学では古典的な議論として、有権者が何万人もいると、自分の1票が勝敗を左右することはあり得ないから」という理由が挙げられている。私は大学生のころ政治学を専攻していて、べつに頑張って勉強した覚えはないので記憶が曖昧なのだが、たしか選挙制度論の入門的な講義の最初の回で教授が、「選挙に行っても、自分の1票は何の効果も持たないのだから、投票率が低いことは政治学者にとってなんら不思議ではない。むしろ、1票を投じても何の意味もないのに、なぜ人々は投票に行くのかというのを説明するほうが、非常に難しいのだ」としゃべっていた。

 

自分一票が選挙結果に与えられる影響の度合いというのは、ほぼ0に近いというのは誰もが感じていることだと思う。しかし、多くの人は「確かに今は自分の一票で変えられないかもしれないが、それでも投票に行かなければ変えられる可能性は0だ」ということを言ってくると思う。言っていることは確かにと思えなくはないのだけど、それって、偏差値30の受験生に対して「おい!東大を受けろ!」と言っているに等しい状況じゃないか?と思う。というか、それ以上の難易度だと思います。偏差値30ならば、もっとそれに見合った大学を普通は勧めるのではないだろうか?ここで東大を勧めない理由は、どう考えてもその受験生に東大は無理だろう。という認識だからだと思います。逆にそういう受験生に東大を勧めたらアホか!?と思われるくらいでしょう。難易度的に不可能だから勧めない。ならば、選挙で投票して政治を変えよう!っていうのも難易度的にありえないほど難しい。アホか!?と思われてもしょうがないのではないでしょうか?偏差値30の人が東大に受かるよりも遥かに難しいことだと思います。何よりも、選挙は自分でどうにかできる範囲が狭すぎるから。他人の投票次第の部分が大きすぎるのです。

 

自分の1票で勝敗が左右されることがほぼあり得ないということは、それこそ小学生でも理解できる自明の理屈だ。自分以外の何十万人という有権者の票が綺麗に割れている場合にのみ、「自分の1票」が勝敗を決すると言えるわけなのだが、そんなことはほぼあり得ないといって良い。自分が投票してもしなくても、誰が勝つかは決まってしまうのが現状なのだ。

 

偏差値30の人が自分が東大に受からない(可能性が圧倒的に高い)ことは自分でも分かるだろう。ということは、選挙も同様なのではないでしょうか?偏差値30の人に東大をいくら勧めても、多くの場合で受けるということはしないはず。選挙も無理だと思える面があまりに大きすぎるからこそ、どれだけ説得しても投票に行かない人(特に若者)が多いのだと思います。

 

 >だからある意味では、選挙に行っている人たちのほうが馬鹿であるとも言えるんじゃないだろうか(笑)。毎回投票に行っている人というのは、「意味のない行動であることが明らかなのに、周りの雰囲気に流されて行動してしまう、頭の弱い人」だとも言えるのだから。
 「選挙に行かないような奴には、モノを言う資格はない」みたいなセリフが好きな人は多いが、べつに投票に行っても何の効果もないということを忘れて偉そうなことを言うのはやめたほうがいいだろう。 
 

 しかしこの話をすると、だいたいの人は不快感を覚えるようだ。というか、ムキになって怒る人も多い。自分が毎回選挙に行っているのを馬鹿にされたように感じるからだろう。そして、「みんなが投票に行かなくなったら民主主義が破綻して〜」というような議論に発展するのだが、ちょっと待って欲しい。
 まず、「自分自身が投票に行くのが合理的かどうか」という話と、「多くの国民が投票する社会が望ましいかどうか」は別の問題だ。それに、みんなが投票に行かなくなったら、自分の1票が持つ価値が増すということなのだから、そのときは張り切って投票に行けばいい。たとえば10人ぐらいしか投票しない選挙であれば、けっこう投票し甲斐があると思う。

 

投票率が下がると民主主義が崩壊するということを懸念している、デメリットとして挙げている人は非常に多い。ただ、これはよく分からない。確かに投票に行く人が減れば民主主義は機能しづらくなるのは誰も分かると思うのだけど、それを知ったうえで行かないのであれば、みんなが民主主義の崩壊を承認したに等しいのではないだろうか?つまり、この場合、民主主義が崩壊しても良いと思ったから、みんな投票に行かないと考えるのが自然な気がする。みんなが民主主義が崩壊しても良いと思っているのなら、民主主義が崩壊することの何がダメなのか?よく分からない。逆に民主主義の崩壊を懸念する人がたくさんいるのであれば、投票率は一定以上は絶対に下がらないでしょう。そして、ブログでも言及されているけど、投票率が下がれば下がるほど、自分の1票が与えられる影響の度合いは大きくなり、中にはじゃあ投票に行こうか!と思える人も出てくると思う。結局、投票率が下がり始めると上がる方向にどこかで転換するのではないか?と思います。

 

あと、最後に言いたいのだけど、選挙に行ってほしい!とか、投票に行こう!という呼びかけは毎度毎度見受けられるけど、これはあまり効果を発揮しているとは思えない。その理由はそういうことを呼びかける人たちが単に選挙にあまり行きたくない有権者を利用しているに等しいからだと思う。アフィリエイトが嫌われる理由は、自分が誰かの利益増大のために利用されている感が強いから。だから、広告も踏まないし、商品も買わないと心に決めている人も多いでしょう。人は自分が利用されているということに気付くと、それに嫌悪感と拒否感を覚えると思うのです。選挙に行こう!と呼びかける取り組みも、呼びかける側の心理からすると、投票率が低いと組織票がのさばってしまうこと(組織票を使えない候補者や政党を支持しているのか?)、若者の投票率は毎回低く、若者が政治から排除されていると感じていることが主な理由でしょう。だから、それを是正するために1人でも投票に行ってもらって投票率を上げたい!と画策するのではないでしょうか?

 

しかし、これは投票に行く気がない有権者からしたら、むしろどうでも良い話だと思うんですよね。1票を投じたところで、組織票の政党や候補者の当選には影響を与えることはほぼ不可能で、若者の投票率についてもほぼ変化は与えられない。ましてやそれらが改善されたところで、俺たちに何のメリットがあるの?という心境かもしれない。すると、無理矢理投票に駆り出される人にとってのメリットがほぼない(彼らにメリットとして感じられない)状況で、選挙に行こう!と呼びかけるのは、そう呼びかける人たちが自分たちのために、投票に行く気のない、または投票に行こうか迷っている人を利用している状況に等しく、そう感じられた人は無意識のうちに投票には多分行かないのだと思います。実際、組織票は相変わらず有利だし、若者の投票率もずっと変わらない。多くの人を選挙に動員させたいときに、今の単純な選挙に行こう!という呼びかけだけでは、功を奏さないと思うんです。

 

 

 

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