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解散の是非のため小学4年生と騙った青木大和氏は叩かれすぎ

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ちょっと前の話題になってしまうんだけど、2014年の衆議院議員総選挙に関する話題で、自称小学4年生の人間が「どうして解散するんですか?」と疑問を投げかけるサイトを作成し、世の中の注目を集めた件について、今朝の番組でちょっと取り上げられていたので、私としてもちょっと意見を述べたいと思う。私の意見はどうやら世間一般の意見とは相反するようで、「安倍首相が青木大和さんを「最も卑劣」と公然と非難した件について : まだ東京で消耗してるの?」のエントリーのイケダハヤト氏のものと結構似通っているかもしれない。彼の記事に結構同意できる部分もあるので、一部引用させた貰いたいと思います。今回の問題の中心は、渦中の人物である青木大和氏が、自分の身分を「小学4年生」と偽っていたことになるかと思いますが、これが何か問題なんですかね?

 

嘘をついていたという事実があるので、その点については彼にも落ち度があったとは言わざるを得ないと思いますけど、嘘をついていたという一点で叩ける人が逆に凄いな。と思うくらいです。嘘をつくって、私もそうですが、誰でもやっていると思うんですが、それでよく叩けるなと。嘘をつくことが全て許容されるとは言いませんけど、それが許容されないケースというのは、その嘘によって誰か特定の人物が被害に遭う場合や第3者に被害がもたらされる場合じゃないでしょうか?分かりやすく言うと、その嘘が発端になり、本人以外の誰か、または団体等が迷惑を被る場合じゃないか?と思います。彼が小学4年生と自分を偽ったことで、誰かが困ったんでしょうか?彼が小学4年生で、かつ特定の名前を使用したのであれば、それと同名の方に二次被害がいくということも十分予想される(この場合、その特定の名前がハンドルーネームだと言われたら、話は変ってくるかもしれない)けれども、ただの小学4年生と名乗るだけでは、特に困る人がいるとは思えないのだが。ハンドルネームを使っている時点で、自分の名前を隠して、別の名前を用いているのだから、今回のケースと似ていると思うんだけど。ハンドルネーム使っている人間なんて山ほどいるけど、自分の素性を隠して、名前を偽る理由は特定されたくないからでしょうね。まあ、今回の青木氏が小学4年生を装った行為の真意は分からない(一部の話では、「小学4年生が作ったことにすれば、話題になり拡散されると予想したから」らしい)けれども。今回のケースは「怒り新党」に40代会社員なのに、18歳高校生として投稿を送ったようなものだが、それはそこまで問題だろうか?嘘をつくのはよくないが、ある意味、責める余地って、もうそこしかないんですよ。今回みたいに彼を叩く行為って、自分が嘘をつく度に、ネット上で実名を出されて、こんなにネチネチ嫌味言われてもしょうがないのでしょうってことですか?

 

彼がこういうことをすると、同じくNPB法人がそういう目で見られるという意見もあるようだけど、それは木を見て森を見ない人間がおかしいというだけであって、一部のNPO法人がしでかしたことにより、全てのNPO法人が同じような体質だと判断してしまうような愚かな思考力を転嫁しているだけの話です。そして、特に酷い批判の仕方だなと思うのは、イケダ氏も言っているけど、以下の点です。

 

なお、彼らのコメントに「嘘はよくない」「目的のためなら手段を選ばないというのはテロリストと同じだ」という論理がちらほら見受けられますが、本気で言っているとしたら幼稚すぎて不安になります。

この社会は、大前提として、嘘に満ちています。あなた自身も様々な目的でウソをつくでしょうし、あなたが所属する学校、会社、家庭ですら、何らかの欺瞞が存在しています。そんなことは当たり前なので、ぼくらはどういう嘘を許してはいけないのか、を考えるべきです。

その上で、ぼくは本件程度のウソは問題にすべきではないと思いますけどねぇ。反省してやり直せばいいだけの話です。彼らはテロリストにはならないでしょうし、ヘイトスピーカーにもならない、とぼくの良識は判断しています。その意味では、よほどネトウヨの暴力性の方が心配ですし、彼らの方が深刻なウソをついているとも思います。

 

先ほども言ったように、嘘をつく人間はまずいないのだから、嘘をつくという行為のみで叩くのは、それこそ説得力の叩きか方だし、その嘘が許容される範囲を超えるとしたら、先ほど指摘したような限定的な場合のみだと思います。許してはいけない嘘とスルーすべき嘘があると思うんですよね。そして、酷いのが「目的のタメに手段を選ばないのはテロリストと同じ」とかいう、ワケの分からない理論です。嘘をついたら、みんなテロリストなの?「万引きをした人間は平気で犯罪をするのだから、将来人殺しになるに決まっている!」レベルのあまりにも飛躍しすぎた話のように聞こえます。だいたい、目的のために手段を選ばないというのは、別に非難されるべきことのようには思えない。その手段が度を越えた場合(例えば、その手段がテロ行為に及ぶような場合)に初めて非難されべきものだと思う。多くのユダヤ人を救うために、国の意志に反してビザをとりつけた杉原千畝氏は、目的達成のために日本国としてはあるまじき行為をしたかもしれないが、どちらかというと今では賞賛されている人物ですよね。彼もテロリスト同然なんですか?

 

今回の一件のみで、青木氏のことをテロリストと断罪するような人こそ、短絡的というか、テロリスト並みの思考のヤバさ加減なんじゃないか?と思えるくらいです。テロリストもそうだけど、中には「青木は在日ですか?」とか、差別的用語を使った侮辱的発言は飛び交っているので、彼は嘘をついただけだが、結局こういうことを平気でいえてしまう人って、もはや犯罪者に該当してもおかしくない行為をしていると思うんですけど。明らかに悪質性で彼らの方が上回っているし、こういうことを実際にした人は、もはや人のことをとやかくいえるレベルの人間ではない。もっとヤバイのは、今回の一件を法律的な観点から分析した弁護士のページがあって、その弁護士を叩いている連中がいることですよ。弁護士によると、違法性はないようだが、「犯罪者を擁護」とか、「弁護士は屁理屈師」とか、「弁護士は胡散臭い」とか、本当は青木氏を叩きたいけど、弁護士が本意な結論を出してくれなかったから、今度は弁護士叩きが始める始末です。本当におつむの程度が知れるわ。こんな人たちに叩かれて、青木氏は本当に可哀想だと思うわ。

 

そして、安倍晋三首相や多くの人が口にしている「卑怯」という言葉もしっくりこない。例えば、法律問題について、普通の一般人なのに自分の主張に説得力を持たせるために、弁護士を騙っている場合などは、確かに卑怯かもしれない。しかし、今回は真逆のケースですよ。大の大人が子供の振りをしているのですから。説得力はむしろ落ちるくらいだ。だいたい、自分の身分などを偽ることの何がダメなんですかね?先ほども言ったように、それは偽ることによって二次被害が発生するケースに限られてくると思う。例えば、就職活動の面接で自分の年齢とか、職歴とか、学歴を偽れば、その企業が不本意な採用をしてしまうかもしれないから、それも叩かれてもしょうがないと思う。しかし、例えば50代のおっさんがネット上のみで自分を「永遠の18歳」とか偽っていて、何がダメなのか?安倍首相のこれまでの実績とか成果を捏造して、それをもとに批判した場合にはさすがに擁護はできないけど、自分の身分を偽ることがそこまで大問題になる意味が分からない。誰が言ったか?がそんなに重要なんですかね?自分を偽ることが禁止ならば、ハンドルネームも禁止?ネット全部実名制にしろって?安倍首相は「小学4年生と偽ることで、批判がきづらくなる」という非難をしていて、それが卑怯だという主張みたいだけど、ちゃんと今回の解散に理由があるのなら、批判というか、言葉が理解できる相手ならば、説明はできると思うので、理を尽くして説明をすれば良いだけじゃないですか?だいたい安倍首相自身だって、議員定数の削減を約束しておきながら、いまだ達成されていない現状は嘘をついたことになるかもしれないし、それで票を集めた部分もあるでしょう。現状でそれを破る形に近いというのは、それこそ卑怯なのでは?

 

私に言わせれば、今回の一件は、日常で誰もがやっている嘘に過剰に反応している人があまり多すぎるということ。それだけの事件のように思います。はっきり言って騒ぐほどのことじゃない。どこかのページに、今回は「政治(選挙)」という、非常にデリケートで関心の高い話題についての嘘だから、ここまで多くの人が反応したのでは?みたいなことが書いてあったけど、その通りに思う。赤の他人が殺されても「こいつは殺されてもしょうがないわ」と他人事を言っている人も、自分の身内が殺されたら犯人を相当恨むはず。同じ殺人でも、自分にとって関心があるか?ないか?で反応の仕方は絶対に違う。また、いじめ自体は毎日のように全国どこかでいくらでも起きているが、それは多くの場合スルーされて、その生徒が自殺を図ったような稀な状況が生まれて初めていじめた生徒をバッシングするという人も多い。最近の話題では、佐世保市で起きた女子高生の殺人事件を連想させるアニメが放送中止になったが、そもそも日頃から殺人事件をテーマにしているアニメやドラマは一向に放送中止にならないし、その要請もほぼない。要は日常茶飯事レベルの話なら、自分にとってどうでも良い話題だからみんなスルーだが、滅多におきないような多くの人に関心のある事件などについては過剰なまでに反応しただけのように思います。

 

自分の知らない人が殺されること、ただいじめを受ける生徒がいること、殺人を扱うサスペンスドラマやアニメが放送されることは、もはや日常茶飯事であり、完全にそれが当たり前の生活の中に自分がいて、慣れてしまっているから。だから、そういう慣れてしまっていることには全く反応できないのだ。政治(選挙)は多くの人の関心ごとだし、滅多に行われるものでもないから、先ほど挙げた3つの例とは違い、慣れているとは言えない話題ということでしょう。だから、過剰に反応しちゃうんです。別にそれが悪いとは言わないけど、同じことがいくらでも起きているのに、多くはスルーで、一部にバッシングを浴びせるのは、そのバッシングを担保する説得力が大分薄れると思う。世の中で嘘をついて自分を偽る人間なんていくらでもいると思うが、どうして今回の件だけバッシングが酷いんですかね?都合の良いときは批判するが、都合の悪いときには黙り込んでしまう人みたいで、何か腑に落ちないんですけど。

 

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

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