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世の中で犯罪が起きるのは必然だし、何でそんなに不思議がるのか?

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シリアだっけ?で日本人2人が拘束される事件もあれば、国内ではつまようじを食品に刺して、その様子を動画に収める少年の事件も起きている。ある意味、バラエティに飛んだ事件が毎日ワイドショーを賑わしている光景はずっと変わっていないし、これからも変わらないだろう。私は基本的にこういう事件等には無関心だ。人が亡くなるような事件や事故があれば、それについてはしんみりとする場面もあるのだけど、そういう類の事件じゃなければ、私はほとんど何とも思わない。テレビなどを見ていると、そういった事件にいろいろな反応をするコメンテーターや司会の人などがいます。それこそがマジョリティの姿なのかもしれない。彼らの仕事がそれだと言ってしまえばそうでしょうからね。

 

私は基本的にこのような事件が起きることは自体は、交通事故と同じ種類の出来事だと思っています。つまり、それはどういうことか?というと、一定の確率で起きる必然の出来事だということです。日本だけで1億数千万人いて、世界では60億人くらいいるんだから、そりゃいろいろな人間がいて当たり前だと。人を殺す人もいれば、誰かのために自分を犠牲にしてボランティア活動に勤しむ人もいる。そういった人たちがいて当たり前だろうと思う。他の動物社会でも恐らく同様なんじゃないか?と思うんだけど、人々はそれぞれ全く違う境遇で生きていて、そこで培われた自分たちの価値観が違うし、そこから芽生える気持ちの動向も違ってくるはず。しかし、テレビなどを見ていると、例えば、犯罪を犯す人に対しては凄い辛辣なコメントが注がれたりもする。犯罪を犯さないという人間が社会の中のマジョリティなのは間違いないだろうから、それ自体は別に不思議な光景でもないのだけど、犯罪を犯さない人が普通なのか?逆に犯罪を犯す人はおかしいのか?というと、素直に頷けない。

 

犯罪を犯す人が相対的に少ないのはその通りだろうけど、先ほども言ったように、日本で1億数千万人、世界では60億人ほどの人たちが共存しているのだから、全員が全員、同じような考え方や価値観を共有しているわけがないのです。だから、犯罪を犯すことをタブー視している人間もいれば、そんなことないだろ!と思っている人間がいて当然だと思っている。そして、彼らは理解しあうことなく、それぞれの価値観のままに生きていくことになるのだろう。例えば、今回のつまようじ事件の少年だって、大多数の人間からすれば、何でそんなことするの?という感覚だろうが、彼にとってはそんな感覚すらないのでしょう。そういう感覚を持てないこと自体は彼が悪いのだろうか?彼がそういう人間だというのは、彼の努力が足りないとかではなく、彼はそういう考えしかできない人間なんだということであり、彼自身が悪いというよりは、彼のような世間と間隔を異にするような人間はいつの時代もいるのだから、そういう人間がたまたまいただけの話でしかないと思う。

 

話はちょっと変わって、数週間前に起きたパリでのテロ事件に際して、アメリカのオバマ大統領がテロを起こした犯人たちを「卑怯」と呼んでいた気がするのだけど、私はそれがしっくりこなかった。彼らは人を殺したのであるから、許されがたい行為をしたのは間違いなのだけど、アメリカで同じようなことはいくらでも起きているし、それを放置している大統領がそんなことを言えるのか?と思ったのです。世界最大の資本主義社会のアメリカでは、ある意味合法的に格差の拡大が広げられ、今もまさに今日の食事、住む場所にすら苦慮している人間が多数いると思うのだけど、これは合法の末に生まれた人たちだから許されるとでも言いたいのだろうか?これが許されるのなら、法律なんて所詮そんなものだろうということであり、ただの社会の強者の味方をするものでしかない。そして、中には餓死したりする人は出ているはずです。日本でもそういうニュースはありますけど。そういった出来事は報道されることの方が少ないし、国民も国も見てみぬ振りをすることが多いように思います。

 

しかし、世界を巻き込むようなテロ事件で人が死んだときには「卑怯者」呼ばわりとは、一国の大統領の言動として、ちょっと個人的には看過できないです。アメリカの中で存在している社会システムとテロを起こすような人たちの言動はほとんど変わらないと思うんだけど。それは日本でも同様ですね。安倍晋三首相はシリアで日本人を拘束した犯人グループを「卑劣」と罵っていましたが、今回事件を起こした犯人グループも結局は、自分たちの利益のために動いているだけであって、それは日本国全体を回している社会全体のシステムと大差ないだろうと。社会全体の効率性や経済成長を優先する結果、誰かを死に追いやっている、または窮状を強いている現実があるのだけど。社会の多数派に有利なシステムを採用し、社会の少数派が常に犠牲になり続けるのは卑怯じゃないのか?社会の中で、一定数犠牲になる人がほぼ必ず生まれるシステムの中で、運悪く本当に犠牲になった人たちへの世間の反応は、それこそまさに運が悪かっただけのようにしか扱われない。じゃあ、社会の中で生まれる犯罪者についても、彼らのような人間が出てくるのは必然だし、その被害に遭う人やお店というのも、運が悪かっただけにしか思えないのだけど。何でこっちはそんなに過剰に反応するんですかね?私には不思議でしょうがない。

 

 

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