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戦争や争いがない社会が平和?世界平和は100%不可能

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「世界平和なんて無理だ!」というのが、私の主張になります。平和な社会って何か?って考えたときに「戦争や争いのない社会」みたいなことを主張する人は多いように思いますけど、私はそうだろうか?と思います。戦争や争いがないのが平和だと思えるのは、日本人だからじゃないか?しかも、その中で一応の真っ当な暮らしができている人だけだと思うのです。とはいっても、日本人でも戦争や争いを起こした方が良いと思える瞬間はくるかもしれないですけどね。例えば、先日シリアで拘束されて殺害されたとされている後藤健二さんは「戦争のない社会」を目指して、ジャーナリズム活動をしていた。ということがニュースで報道されていましたが、戦争がない社会って、果たして良い社会なのか?を考えると、必ずしも頷けないのです。中東では、民族や宗教を理由とした紛争はよく起きているようですが、こういう争いって日本ではまずありえないですよね。民族間や宗教間の争いって、日本ではほぼありえない。だから、日本人からしたら彼らが戦争を起こす理由を理解できないと思うのです。

 

私は無宗教なので、勿論、イスラム国の人たちの考えていることは理解できない。ただ、彼らからしたら、というか、宗教を理由に戦っている人たちからしたら、戦争を起こして、それに勝利することこそが幸せを掴むことに繋がるのではないか?だから、戦っているお互いがともに戦争を起こせないとしたら、それは彼らにとって不幸なんじゃないの?と思うわけですよ。当たり前ですけど、自分たちが不幸になるために戦っている人なんているわけないんですよ。戦争を起こして、その勝利を目指すことが幸せなんです。戦争を起こせないことは、今まさに戦っている彼ら自身にとって、不幸なんだと。そういう状況が本当にあるならば、戦争がなくなっても何の解決にもならないんですよね。戦争に巻き込まれてなくなる人は減る。それは確かに言えるのだが、それを言うなら、じゃあ社会主義にすれば、日本だって飢えて苦しむ人は減るというか、ほぼいなくなるし、社会のシステムに巻き込まれて死ぬ人は減るだろう。だから、社会主義社会に移行させるか?という議論にならないわけ。日本の社会だって、他者を巻き込んで命を犠牲にさせている。命の問題までいかなくても、窮状に追い込んで苦しんでいる人を作っているのは事実であって、そこを変える気がないのならば、ある意味中東で戦争によって、誰かを巻き込みながらも自分たちの幸せのために、望みをかなえるために戦争を起こすというのも、あながち否定できない気がしてきます。

 

例えば、お金に飢えて、強盗をした人がいたとしよう。この人は客観的に見たら、ただの犯罪者であり、世の中から相当バッシングを受けるはず。でも、例えばこの人が1円も持ってなくて、このままなら数日で死にそうで、誰も助けてくれそうにないという状況があったとして、それで強盗に及んだとしたら?勿論、強盗に遭う家や社会に大きな影響を与えたのだから、多くの人は少なくとも肯定はしないでしょう。しかし、この本人とっては誰かからお金を奪う以外しか生きていく道がない。自分が幸せを掴む道がない。そういう状況に陥って実は犯罪に手を出している人は少なからずいると思います。世界中を見渡せば相当な数いると思います。こういう人がどうして生まれるか?っていうと、そりゃ社会システムがそういう人を生み出すようになっているから。社会の多数が得をするように仕組まれていれば、当然少数だが損をする人が出てくる。ゼロサム理論にも似たような状況で、社会がそういうシステムを採用しているのは、それは社会の多数派にとって有利だから、社会の中で生きる多くの国民にとって、資本主義社会こそが幸せになれるシステムだからです。

 

資本主義社会は当然、平等ではないので、それに満足して幸せに暮らせる人がいる一方、それに不満でなんとか現状を打破したいと思う人もいて当然なはずです。そして、中には素直に合法の中で現状を打破しようとする人もいるが、それでは無理だと感じた人がいたり、強者に有利なルールなんか守ってられるか!と考えた人は、ここでいう強盗のように非合法な手段を用いる。本当に強盗のような行為をしないと、日々の凄惨な生活から脱却できそう(捕まって刑務所で暮らせるというのもある意味脱却にあたるかもしれない)にない。そう思ったら、これは彼らなりに自分たちが幸せになるための一手段なんでしょうからね。実はこうして考えてみると、資本主義社会のシステム自体も、強盗をするという行為も、自分たちが幸せになるための他者を犠牲にする行為に他ならないと思います。違いがあるとすれば、それぞれの数が違うくらい。多数派は常に正義という前提がないのであれば、資本主義社会を疑問なく生きている人は、どうやってこの強盗を否定するのでしょうか?逆に社畜の人たちが会社に文句言うのも、従業員が薄給で頑張れば、多くの消費者は得をするのだから、資本主義の精神からすれば是認すべきことにも思えてきます。会社が権力を誇示して立場的に弱い労働者に無理な労働を強いるというのは、現代の社会全体が弱者に窮状を強いている状況と大差ないように思います。でも、ブラック企業は問題視するが、そうじゃない部分は無視というのは、非常に都合が良いことしか言わないのか。

 

こんな感じで、私たちの社会は身分、価値観、境遇などを異にした様々な人たちが共存しています。社会主義国になっても別に犯罪や争いがなくなるとは思えないけど、資本主義国ならば尚更でしょう。明らかに嫉妬や憎悪を生み出しやすい世の中の仕組みになってしまっているので、その中で争いや揉め事を起こさない社会が平和っていうのは、今の社会の中で恩恵を受けている人たちだけの相対的な平和です。彼らは平和を満喫できたとしても、争いを起こせない社会というのは、見方を変えれば、社会の中で蹂躙されている人たちが自分たちが幸せになれる機会を失っている状態ですね。以前、「「日本は治安が良い」←これが美徳になる意味が分からない - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事でフランス革命の例を出したんですけど、これも国王を処刑して、国民の平穏で幸せな生活を手に入れるためになされたものですが、フランス革命以前に国王が国民にやっていたことは、まさに資本主義社会が少数に国民を虐げている事象とほぼ同じだと思います。国王という、自らの権威によって国民を蹂躙していた。これは多数の人間という絶対的にも相対的にも優位な層が少数という相対的に劣勢な人たちを、自らの定めた、自らに有利なルールに適用させる。これと同義でしょう。その後国民が国王を処刑する行為は、先ほどに例に出した現状に憤慨して、強盗を起こす例とほとんど同じだと思います。

 

つまり、学生の方など、フランス革命を勉強した際に、フランス革命の主導側である国民の方を叩く人はまずいないと思います。これを叩けないならば、先ほどの強盗も叩けないと思うのですよ。というか、叩いたらおかしいと思うのです。結局何が言いたいか?っていうと、今の世界の主流の社会システムを維持する限り、嫉妬や憎悪に駆られる人が出てくるのはもはや必然であり、勝ち組に対して彼らは相対的に負け組みになってしまう。その状況が存在する限り、勝ち組の人たちや自分たちを負け組に追いやった社会の中の主導的地位にある人への恨みが消えることはない。よって、世界全体が平和に包まれるというのは、100%ありえない。と言って良いと思います。人がみな平等じゃない。それは能力、見た目、地位、考え方、富など、全てにおいて。だからこそ、社会を構成する、世界を構成する60億人もの人たちがみんなわかりあえて、仲良く暮らせるというのは、本当に物語の中だけにしかありえないと思います。残念ながら。

 

人はなぜ平和を祈りながら戦うのか? (私たちの戦争と宗教)

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