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学校の試験はカンニングOK、レポートはコピペOKにしたら?

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日曜日放送のフジテレビ「ワイドなショー」にて、社会学者の古市憲寿氏が、インドで発生した大規模なカンニング事件を目の当たりにし、「もう、カンニングOKの試験にしたらどうですか?」を持論を投げかけました。この出来事は、日本じゃそうは見ない異例の事件で、生徒が普通にカンニングをするだけじゃなく、保護者が学校の近くまで近寄ってきて、梯子などを使用してカンニングペーパーを渡したり、警察を買収したりいして、黙認させたりと、カンニングのやり方もある意味堂々と、狡猾なものとなっているのです。カンニングをしようとする生徒とその保護者が一部ではないことから、みんなが始めても良いだろう!みたいな雰囲気になり、それで大規模化した側面もあると思いますけど、インドでは学校の試験をクリアしないと、将来に影響し、貧困に喘ぐ人たちが増えてしまうという事情もあり、こういったことが起きていると推察されています。

 

実際、貧困問題を世の中に、世界中に発信するには良い出来事だったんじゃないか?と思います。貧困にただくるしむだけじゃなくて、自分たちなりに抵抗しているなら、国としても、それ以外のところからも何かしらの反応があるでしょうし、貧困門解決の糸口にはなるかもしれないです。これを受けて、古市氏はカンニングOKにした方が良いと言ったわけです。その真意としては、カンニングさえすれば解けてしまう時点で、このテストは暗記でどうにかなる問題であり、そういうテストを課す必要性について疑問に思っているようです。だから、何でも持ち込みありにすれば良い。というのが彼の主張みたいで、スタジオににた松本人志氏や尾木ママ氏も賛同しているようでした。実際、これは本当なのか?分からないですけど、「何でも持ち込み可」のドイツ語の試験で、ドイツ人の友人を持ち込んだという例を聞いたことがあります。そういったこともある意味認めていった方が良いのかもしれないですね。

 

古市氏の言う通り、暗記だけでできる試験を課すの必要性は薄いと思います。暗記だけでどうにかなる知識というのは、今身に付けないといけないものじゃなくて、今後必要になったときに、パソコンで検索すればすぐに出てくるものでしょう。ジャスト印タイムで、必要なときに必要な分だけ補充すれば良いだけだと思うんですよね。日本でもそうですけど、文系の試験は、だいたい暗記です。理系の試験にも暗記の側面はあるでしょうし、暗記で対応できないわけじゃないと思います。勉強=ほとんど暗記だと思うんですよね。古市氏の言うように暗記が占める割合が多いのならば、意味が薄いというのはその通りだろうし、最初からカンニングOKにしたって構わないでしょう。調べる勉強になるわけだから。レポートを家で書かせる課題だってあるわけだし、これと変わらないと思うのです。

 

そうなると、2chまとめに挙がっていた批判なんだけど、「じゃあ、マラソンも自転車や車OKにしたら良いってこと?」みたいな突込みがありました。言おうとしていることは分かるが、マラソンの場合は、すでに自転車競技、車の競技がある中で、それと差別化されているわけだから、あえてマラソンのルールを変えて、乗り物OKにする意味はないと思うんですよね。また、マラソンなどのスポーツは、その競技そのものに意味があるわけで、マラソンをやっている人はマラソンだからやっているわけです。また、走ることが好きな人がマラソンをやっているわけで、そのマラソンに乗り物OKにしたらどうだ?という意見がくるとしたら、その人は別の競技をやっていると思う。教育においては、勉強することそれ自体に意味があるというよりは、勉強したことを後々に生かせて初めて意味があるものだと思うのです。そうなると、後々意味が残るように、勉強の仕方を変えることはあまり憚れることじゃないと思うのです。だから、マラソンに乗り物OKというルールを加えたら、マラソンをやる人にとって意味がなくなるが、勉強の場合は意味はなくなるとは限らない。だから、あまり突っ込みとしては適切ではない気がしました。

 

実際、この前東大の教養学部の学生が、75%のコピペレポートを出して単位取り消しなんて処分になりましたが、これもレポートを課している時点で、大学側の教育に関する姿勢を評価できないと思います。レポートは文字通り、参考文献などを見られるから、カンニングOKに近いです。それは良いとして、問題は、じゃあ何でコピペがダメか?ということです。「大学の卒論やレポートでコピペがダメな理由が見つからない - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事でも書いたのだけど、大学側は「剽窃」という言葉を使用しているが、この場合、レポートは公に発表しないから、著作権の問題は生じない。私的利用の範囲内に収まると思う。また、当然参考文献を見て良いならば、その文献の中から適切な箇所を選び出し、それをまとめて自分で打つか、あるいはコピペするか?の2つの選択肢があるが、どちらを選んでも内容に大差はない。というか、自分で打ち直す場合も、文献と内容に大差があってはいけないようにまとめるから、コピペも自分でちゃんと打っても、内容は変わらない。内容が変わらないのに、コピペはダメで、自分で打った文章は良いというのは、意味が分からない。努力賞でも与えているのか?会社で「書類を刷っておいて!」と言われて、コピー機を使うか?自分の手で書き写すか?の違いでしかない。コピペがダメならば、そもそも何でコピペしやすいレポートなんか課すのか?結局、大学側のやりたいことが分からないのです。

 

 

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