就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

夏休みの宿題は必要?実は親や教師もいらないと思っている?

【スポンサードリンク】

夏休みの宿題ってありますよね。今でもあるんですよね。小学生の夏休みの宿題は特に何か記憶に残っていますね。中学、高校、大学でも宿題はちょっとはありましたが、小学校の夏休みの宿題って、凄い記憶に残っています。とはいっても大したものを作った記憶はあまりないです。6年間全てではないけど、どこかで売っている船かなんかの模型のキットを買ってきて、それを数日間かけて親と一緒に作った記憶もあります。今思えば、あれって、あまり手間かかってないし、自由研究とは言うけど、全く研究じゃないよな(笑)とも思えてきます。そういったものが毎年売られているということは、ああいったものを利用する家庭は多いのでしょう。そして、本人が全部作るわけではなく、親も手伝うと。そういう状況もありながら、先生は特に言ってこないと思います。宿題って、自由研究ってこれで良いのか?と今更ながらに思います。生徒、児童本人もそうだけど、親や教師もこの状況について何も言ってこないんですよね。

 

つまり、客観的に見たら、一体何の意味があるのか?と思えるような宿題をしてくる子もいると思います。私のやっていた模型のキットを組み立てるだけというのはまさにそうだと思うのだけど、親もそうだけど、肝心の教師も夏休みの宿題については深く考えていないのではないか?と思います。以前、脳科学者の茂木健一郎氏が「夏休みの宿題を廃止すべき」とツイートしたことがあるのだが、そういう状況がある限り、親も教師も子も宿題についてあまり重要視していないとも思えるし、じゃあもはや儀式ですか?と思えてきてしまいます。夏休みの宿題を課す大義名分は一応あるのでしょう。それは夏休みの間でもしっかりと勉強をするようにとか、遊んでばかりじゃなくて嫌なことに取り組もうとか、それも教育といえば教育に該当すると思うし、全く理解できないわけではない。ただ、当の教師がそもそも宿題をそういう目で見ているのか?というと、あまりそうは思えないのです。

 

漢字のドリルとかははやった、やってないというのがはっきりするから、やってこなかった生徒や児童には説教をしたりするのかもしれないが、肝心の自由研究の方は何もやってこない子は同じように対応するとしても、やってきたはやってきたけど、こんなもので良いのか?と思えるモノを持ってきた子、私の船の模型なんかは特にそのように思うのだが、そういうのはほとんど見過ごされている。何も言ってこない。船の模型が自由研究の作品として十分か?どうかというのは意見がいろいろあるだろうが、私はあまり十分とは思えない。自分で作ってみてね。こういった作品を持ってきた時点で、教師ならば、子供も手間のかからないものを選んだんだろうし、親もいくらかは手伝ったんだろうなという想像はなんとなくつく気がします。でも、何も言ってこない。教師としても、全員が全員ではないにしろ、夏休みの宿題(特に自由研究)にそんなに意義を見出せていない人がいるのではないでしょうか?

 

これは親も同じで、教師も親もかつては子供だった。そして、当時は宿題が嫌で嫌で仕方がなかったのではないか?と推測されます。結局、子の宿題を手伝う親としても、少なくとも宿題を手伝うということは、宿題本来の意義が損なわれているのは分かるはずです。でも、多くの親は手伝っていると思うのです。すると、親も子供のときに同じ思いをしていたのではないか?と思っていて、宿題をやる意味って何なの?子供も大変だよな・・・。と、半ば同情すらしてしまうほどの扱いになってしまっているのではないか?と思っていて、だから手伝うのではないか?と思います。私は子供の頃はそんなことを思っている余裕もなく、学校から言われたことだからと素直に従っていた記憶しかないですけど、大人になって見ると、夏休みの宿題というか、宿題そのものの意義をイマイチ捉えられないのです。宿題の意味としては、例えば将来大人になったときの仕事の予行演習とか言われることもあります。それは締め切りを衛練習と表現されることもありますが、個人的に思っているのは仮に宿題をやらないと子がいて、つまり締め切りを守らない子がいても、将来仕事をするときに締め切りを守らないか?どうかは全然違う話だと思うんですよ。

 

それは状況が全然違うから。子供が宿題をやらない=締め切りを守らなかったとして、さあどうなるでしょうか?ただ怒られるだけです。そもそも宿題っていうののは、やるやらないで本人に如実に何か変化が起こるわけじゃない。宿題をやらないと教師から怒られるということが起きるが、それでも何故怒られなければいけないのか?という疑問は残るかもしれない。それは宿題の意義があまりないと思われるからです。将来、仕事をするときに締め切りを守らないということは確かに問題でしょう。サラリーマンだったら、それを続けていたらクビになるから。ただ、サラリーマンの場合はクビという大問題がかかっているわけです。クビになれば生活が破綻する恐れもある。だから、日本のサラリーマンは多くが社畜化してしまうのです。子供が学畜化しないのは、要は納得いかないことを学校に歯向かってもそんなに問題にならない。受験で内申書がかかわってくるとき以外は。締め切りを守らないことで身に降りかかる問題の程度が全然違う。大した問題が起きないからやらない。起きるのならやる。普段の授業は朝眠くてサボりまくっている人も、単位がかかった授業の朝は何が何でも起きるでしょう?そんなものですよ。

 

極端なことを言えば、サラリーマンをクビになって良いような状況があるのならば、締め切りを守らないことは本人にとって何の問題にもならない(クライアントは迷惑になってしまうから、その点からの批判派可能だろうが)そんな感じで、多くの人は将来的に締め切りを守る必要性に駆られるのは事実だろうが、それは宿題をやる、やらないとはあまり関係ない気がする。そもそも前提条件として宿題が何故必要なのか?締め切りを守らせる練習にはすでに説明したとおり、あまりならないと思うのだが、何故それに宿題を選ぶのでしょうか?宿題をしないと、外で遊べないとか、給食抜きとかが実践できるのならば、サラリーマンと同じような状況になるかもしれないから、それは締め切りを守らせる練習になるかもしれないですけどね。これは大問題になるやれないでしょうけど。逆にいうと大問題になるようなことが起きないと確信できる状態なら、そりゃ宿題をやってこない子も出ますよ。

 

 

 

あわせて読みたい記事