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迷惑かけて生きる人間が「他人に迷惑をかけてはいけない」と言う謎

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人間が人に迷惑をかけずに生きていくことは可能か?まあ、無理だろうと思う。何が迷惑か?という問題もあるが、基本的に無理と考えるのが妥当だと思うし、そこにあまり異論はないのではないか?と思います。ただ、他人に迷惑をかけるな!という社会意識は間違いなくあるし、世界中では「マナー」という言葉が使われています。マナーを守ることは重要視され、守れないやつは非国民まではいかなが、後ろ指を指され、叩かれ、晒され、いろいろな仕打ちをうける。その仕打ちをしている人が、普段から他人に迷惑をかけていたら、説得力はあるのだろうか?と思わずにはいられないが。マナーを守れという意識は、他人に迷惑をかけるなという意識に近いと思います。それは言い換えれば、自分の希望よりも社会全体の(自分以外のその場にいる他者への)都合を最優先しろとという言葉でもあるかもしれない。マナーを守るということは、たいていの場合、自分の希望を押し殺し、それ以外の人たちに配慮をすることを意味する。

 

例えば、電車の中で飲食をするとマナー違反と言われることもあると思うが、今すぐに食べ物が食べたいという欲求を達成しようとすれば、車内にいる他の乗客に迷惑がかかる(食べ物によっては迷惑が一切かからないと言える状況もありそうだけど)というジレンマがある。鉄道会社が明確に飲食を禁止していないケースであれば、これはどちらが正しいとも言えない。自分の都合を優先して、食べ物を食べるか、他者への配慮を優先して我慢するか。ただ、この場合の配慮というのも厳密にいえば、他者への配慮になっていない場合があります。それは飲食を我慢するケースがあったとしても、それも結局自分のためになっているケースが考えられるからです。それは社会や他人に虐げられたくない恐怖から無理矢理マナーを守るケースです。というか、ほとんどマナーはこれによって成り立っているといっても過言ではないかもしれない。「http://www4.plala.or.jp/k-k/meisai060.html」のサイトにも実は同じようなことが書いてあります。

 

マナーは他者に迷惑をかけないために存在するもとであるという前提に立つならば、マナーを守る目的はそれ自体、つまり誰かに迷惑をかけないためとなるはずだが、現実はそうはなっていない。自分がマナーを守らないことで叩かれたり、非難されたりする恐怖から守っている。無意識に守らされているといった方が良いだろうか。そういうケースは案外多いのではないか?と思います。社会からの圧力、多数者の専制という言い方もできるかもしれないが、そうなってくるとマナーを守らせる方が正しいのか?どうかも疑問が沸く。冒頭でも述べたように、人は迷惑をかけるものであり、それについてもあまり異論はないと思う。人は迷惑をかけなければ生きていけない、または人間は生きるために迷惑をかけるものだという前提に立つならば、マナーを守らないことによって迷惑をかけることがどうして非難されなければならないのか?分からなくなってくる。マナー自体は存在しても良いかもしれないが、それを強制的に守らせようとするならば、それはマナーではないと思うし、他人に迷惑をかけることが完全に非難されている状況と言っても良い。しかし、人は他人に迷惑をかける生き物だという前提をここで持ち出せば、当然マナーを守らないで他人に迷惑をかける人を非難する人も、何かしらで他人に迷惑をかけているはず。冒頭で言った説得力が失われてしまうという状況になってしまいます。

 

どうしてそういう状況になるか?というと、これも社会意識の問題になるけど、マナーと同様に、他人にかけてもしょうがない迷惑とそうじゃない迷惑というのが多分存在するのだろう。これも非常に都合の良い意識で、少数派の希望はほとんど無視されている状態かもしれない。例えば、先ほど挙げた電車内での飲食をマナー違反を考える人は多いと思うが、これをどうしてマナー違反と考える人が多いか?(許されない迷惑を考えるか?)というと、電車内で飲食をしたいと思う人が少ないからです。だから、それをマナーとしても(許されない迷惑)としても、自分に不都合はないから。自分にとって迷惑な行為のうち、それを禁止されても被害が特にないものはマナーに設定して、許されない迷惑とするが、そうじゃないもの、多数がやってしまいもの、または多数がやらないと満足な人生が送れないものについては、マナーにはならないし、許される迷惑になるのでしょう。

 

以前、テレビ番組で見た例だが、イラストレーターをしている人がいて、その人は昼夜逆転の生活をしているという。夜に仕事をして、朝から昼にかけて寝るらしい。イラストレーターという仕事は不規則な生活をせざるをえないのか?どうかは分からないが、そういう人がいる。ただ、その人が住んでいる部屋の隣か?上か?は忘れたが、騒音がするらしい。その騒音はそこそこうるさくて、快眠を妨げるほどなんだとか。そして、その家の管理者になんとかしてくれと問い合わせたらしい。しかし、返ってきた答えは「夜なら対処できるんですけどね。昼間だとちょっと難しいんですよ」というものだったらしい。つまり、夜は寝る人が多いから騒がしくしてはいけないという一種のマナーは存在するから、それを理由に対処できるが、昼間にも騒がしくしてはいけないというマナーは存在しないから、対処できない。是正を促すときの大義名分がないという理屈なのでしょうか?困っている人がいても、それはあなたが我慢しろという姿勢らしい。これを夜にやると困る人が多く、間違いなく叩かれるが、昼間ならば困っている人がいても、それは少数派だから我慢しなさいとなってしまう。この騒音を生んでいる張本人も、イラストレーターの人が夜に部屋でどんちゃん騒ぎをしたら、静かにしろ!と苦情を言ってくるでしょう。でも、その本人も知らないところで同じ迷惑をかけている。その本人に言えば是正してくれる可能性もあるが、そうじゃないとしたら、全く同じ行為をして、同じような迷惑をかけているにもかかわらず、非難されるケースとされないケースがあるのです。

 

ある迷惑が許される迷惑か?そうじゃない迷惑か?が決まるというのは、都合の良い多数決理論というのは私の仮説だが、これが的を射ているのならば、マナーを守らない人間もそうだが、マナーを作って守らせる方も結局は独りよがりでしょう。マナーを主張する方は「困る人がたくさんいるだろう」と周囲を巻き込んで数で正当性を主張するだろうが、その根底に存在するのは、独りよがりの気持ちだと思う。たまたま同じような感覚を持った人が多数いるから、主張がしやすくなるというだけ。正当性があるか?どうかは本来は数では決まらない。

 

「負の同調圧力」という表現で、批判しているのがブロガーのイケダハヤト氏の「「人様にご迷惑をかけてはいけない」?「適切な迷惑」の掛け方がへたくそな日本人 : まだ東京で消耗してるの?」のエントリーですね。

 

>「人間はある程度迷惑をかけあって生きていくしかない動物です。あなたはどうあっても、他人に迷惑をかけるでしょう。また逆に、他人からの迷惑行為に悩まされるかもしれません。そんなとき、「私も誰かに迷惑をかけているのだから、今回の迷惑は許そう」と、お互いを許し合うことができれば、世界は自由に、平和になります。とはいえ、できるかぎりは他人に迷惑をかけないようにしましょう」

くらいで表現すべきでしょう。最後の部分(「他人に迷惑をかけないようにしましょう」)だけ抜き出されてしまうと、負の同調圧力をもたらす価値観に化けてしまいます。

 

他人に迷惑をかけるべきではないという意識が強烈に蔓延しているにもかかわらず、車や酒やタバコが合法化されているこの国、いや世界に対して言っても意味があるとは思えないが、私は他人に迷惑をかける人がいても、それがマナーの範疇に収まる限りは、その人を非難したりはしないでしょう。そして、私もマナーは守っているつもりです。それは他人への配慮の気持ちからではなく、非難されたくないから。という気持ちが第一かもしれない。自分の希望を通そうとすればするほど、相手に迷惑がかかる度合いは増える傾向にあると思う。逆も然りだと思うけど。だからといって迷惑が無制限に許されて良いとは思っていない。私なりの線引きは法律や条例、または特定の空間でその空間を管理している人間が作ったルールの違反しない限りは、迷惑行為はOKだろうと考えている。例えば、何度も出している電車内での飲食の問題についていえば、特定の路線が飲食禁止を謳っていないならば、OKでしょう。ただ、他人の衣服を汚したりする恐れのある食べ方などは法律に違反する可能性が高いのでNGだと。

 

よく言われている歩きスマホについても、迷惑行為だから規制しろという声もあるが、よほどのことがない限りは、せいぜい人とぶつかあるくらいの迷惑行為でしかない。個人的には規制は不要だと思っているし、それくらいの迷惑行為ならば、複数人で話しながら歩いている人とか、音楽を聴きながら歩いている人、何か考え事をしながら歩いている人など、道案内やナビを見ながら歩いている人、要は歩いているということと周囲にきちんと最大限の注意を配れている人以外は、みんなぶつかる可能性があり、迷惑行為だ。こられら全てが禁止されるならば、まだ納得はいくかもしれない。スマホ規制は迷惑だと叫ぶ人は多い印象だが、規制に賛成しているのは6割くらいらしい。はっきり言って、歩きスマホくらいで規制されたらほとんど私たちに行動の自由はなくなると言って良いでしょう。車を運転している人だって、同じようなことしているわけ。同乗者がいれば会話しながら運転するだろうし、音楽やラジオを聴きながら運転するだろうし、カーナビを見るか、聴くかして運転するだろうし、運転それ自体への集中力を散漫にさせて、事故を起こしかねないドライバーは山ほどいると思うが。歩きスマホよりもこっちの方が大問題だろう。歩きスマホの日常的な迷惑の度合いは、せいぜいぶつかるか、他人の歩行の邪魔になるかくらいだが、車の運転なんていうのは日常的な迷惑行為が人の命に関連するものだ。これが結局規制されない。つまり、免許をとること自体にほとんど難易度はないと言って良い状況が今後も続くならば、交通事故は永遠になくなることはないだろう。でも、その現状を黙認しているならば、歩きスマホの迷惑行為なんてかわいいものじゃないか。

 

 

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