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貧乏な親は子供を産むな!可哀想!は一理あるようで一理ない

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貧乏人の家庭は子供を産むべきじゃないか?貧乏の家に生まれた子供が可哀想か?そんな議論が沸き起こっているらしい。実際、そういう圧力があってか、貧乏を理由に古戸を産めない、産みたくないという家庭は増えているようですけどね。貧乏という1つの要素だけを持ってくるのはどうかと思うのだが、その点についていえば、可哀想といえなくはない気がする。貧乏だと、子供の人生の選択肢はいろいろと狭まるのもあるでしょう。また、お金がないということは、他の家庭なら多くができていることを自分はできないということを子供自身が味わうことになる。そういう状況があるが、そういうときに我慢をさせるというのが、当たり前のようにも行なわれているが、それ自体は子供に対して一種の苦痛になっているのは間違いないでしょう。そして親が自分たちを貧乏だと認識していたならば、そういう事態が起きることは当然に予想できた。つまり、お金の面で子供に相対的に多くの苦痛を与えてしまうことは、当然に予想できるはず。

 

実はホリエモンTwitterで貧乏な家庭が子供を産むことに理解ができないというつぶやきを発していた。貧乏だからといって、子供が不幸になるとは限らない。別の言い方をすれば、お金がたくさんあっても子供は不幸になりうるという表現もできる。ただ、私はよその家庭に首を突っ込むつもりはないが、貧乏な家でも子供が不幸なわけじゃないというのも間違ってはいないだろが、多くは恐らく結果論の話でしょう。そして、貧乏でも不幸じゃない子供がいるのはその通りだろうが、それは産む前には分からない。生まれて、ある程度子供が育って、その成長を見て初めて分かること。ある種のキラキラネーム批判と一緒なんでしょうね。キラキラネームがあれだけ批判された理由は、キラキラネームが割と高い確率で、子供が自分の名前に苦しむことが想定されるから。というのが批判する側の言い分でしょう。これが仮に是とされるならば、貧乏な家は子供を産むべきじゃない。という批判も同じ現象を生むことになる。だから是とされて不思議ではない。

 

ただ、問題はそれだけじゃないわけ。金がある、ないという問題を含めて、子供の人生は親次第で本当に変わる。貧乏な家が子供を産むべきじゃないというのならば、両親の顔がブサイクな場合も子供に遺伝して可哀想だから生むべきじゃないという話になる。ハーフの子供がいじめられやすいから、国際結婚をした夫婦は子供を生むべきじゃない。いくらでも同じようなことが言えるでしょうね。貧乏な家庭は子供を産むべきじゃないということを真正面から主張しても良いのは、子供を産んでないか?産む気がない家庭だけでしょうね。全く親の影響力が子供にとってマイナスの要素を産んでいないケースなんてほとんどないでしょう。ホリエモンの主張に対しても、賛成する人は多かったが、親が前科者だったら子供が可哀想という反論がきていましたがね。

 

ただ、子供の人生というのは、親の価値観や社会の風潮に物凄い縛られるわけですよね。例えば、働きたくない大人(元は子供)ってたくさんいると思うんですよ。世の中の風潮として、働かないといけないという意識が存在し、働かないで生活したい!と親に言っても許してもらえないでしょう?何故だ?私はいまだに疑問なんです。親も社会も「子供は大人になれば社会で働くものだ!」という意識を作り出し、それを子供たちに押し付けているわけですよね。私はこっちの方がよっぽど不幸な気がします。それは親にそんな想定がないからです。社会もそうだろうけどね。先ほど言ったように、子供は大人になれば働くものという意識が親にも社会にもあるから、だから働かないものは叩かれるわけ。でも、仕事をするっていうのは、人生の中で見れば相当な苦痛ですよ。私も実感しているが、こんな生活が何十年も続くというのが、多くの人の人生なわけだが、実体験を踏まえて、貧乏な家庭に生まれるよりも、何十年も仕事を強制される世の中の方がよっぽど嫌だ。子供は大人になれば、仕事をしないで優雅に生きていくという選択肢はほぼない。というか、親も社会もそんな子供がいてはいけないと思っているからこそ、そういう想定をしていからこそ、自分の子供がそういうことを将来言い出す想定がない。大人になれば、きっちり働いてくれるものに決まっている。そうあるものだ。という期待と一種の価値観を強制させているのは間違いない。

 

実際に大学卒業をした子供が働かないでその後ずっと親に寄生して生きていくことを良しとする家庭はほとんど存在しないでしょう。親だって仕事をしてきて、その仕事に苦痛を感じる要素が多分にあることくらい認識しているはず。私にとって仕事は人生において1番の苦痛です。子供を産むってことは、現代では、その苦痛を子供にほぼ100パー味合わせることになるわけです。そして、世間の風潮としてはその苦痛を味合わせて良いという雰囲気に間違いなくなっている。私は自身が労働をこれ以上ない苦痛に感じているだけに、はっきり言ってこっちの方が疑問です。貧乏な家が子供を産むことよりも、これだけ酷い酷い言われている日本の労働環境を目の前にして、子供を産んで、ちゃんと将来働いてくれるよね?という自分勝手な希望を社会も親も現実の方がよっぽど違和感がある。逆に言うと、親が子供を生涯にわたって面倒を見るか、働かないでも生活できる資金を用意できるならば、子供を産んじゃないいけないほとんどないと思っています。実際、貧乏な家は子供を生涯にわたって養えないから、働くことを間違いなく100パー強制させることになるだろうが。私の中では、この働くという苦痛は他の苦痛とは全く比べ物にならないくらい許しがたいものです。この苦しみにあと何十年も付き合わないといけないのかと思うと、本当に将来を悲観してしまうことも多いです。

 

実際、仕事はいろいろな部分で人を悩ませる。死ぬ人もいる。貧乏で子供が死ぬケースははそうはないと思うが、仕事に大人になった子供が殺されるケースは度々起きている。私はこっちの方がよっぽど深刻だと思うけどね。だから、私の価値観から言えば、こんな酷い労働環境の国で、子供を働かせようとするな!親がちゃんと子を養え!それができないような家庭は子供を産むな!という理屈ならばまだ共感できなくはない。ただ、そんなことを言う人はいない。それは苦痛を感じようがなんだろうが、働いてくれる人がいないと、経済が成り立たないし、自分の生活も成り立たないから。また、それが仕事だし、それくらいみんな経験しているんだ!我慢しろ!というのであれば、家が貧乏だって子供は我慢すべきだ。という結論になり、貧乏な家も子供を産んじゃないけない理由はなくなります。貧乏という苦痛を味あわせてダメなら、生涯の半分くらいにわたるこの労働という苦痛を味あわせても良いという風潮は何故まかり通るのか?謎でしかない。子供が働かないでも生きていけるように配慮できるくらいお金がある家なんてないから、子供が自分が生きるためのお金は自分でなんとかしてもらうしかない。というのが、多くの人が思っている実情だと思うが、それは要するにそういう資金を用意できない親の都合を子供に押し付けているということ。それを押し付けても良いというのが、今の世の中の風潮じゃないですか?そうなると、貧乏でも子供を産み育てたいという都合を子供に押し付けて何が悪いの?という話になり、貧乏な家庭が子供を産んではいけない理由はないですよね。

 

子供を産むことは一大決心です。貧乏な家という1つの基準をとってみても、その子供が貧乏でも気にしないのか?大いに気にするのか?は生まれてみないと分からない。そして、後者だった場合、もう取り返しはつかない。完全に子供が貧乏によって不幸になってしまっているという現実は変えられない。ただ、それは貧乏か?否か?だけの基準だけではない。先ほど他にも例を出したが、いくつも考えられると思います。子供を不幸にする要素が全くないような家ってそもそもあるのか?っていうと、ないでしょうね。そういうことで言うと、子供を産むってことは、何かしらの基準に照らしてみれば、ほぼ100パー不幸にするってことでしょう。子供を不幸にしない出産なんてありえないんです。ただ、一方で幸せにする部分もあるだろうから、私は一概に貧乏だろうが、ナンだろうが、子供を産むなとは言うつもりないし、それも子供自身が自分の親に文句を言えば良い話であって、関係ない人間が言うべきことでもない気がしてくるのです。

 

 

金持ち父さんの子供はみんな天才 ― 親だからできるお金の教育

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