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新幹線で酒を売るな!迷惑!←こんな生き辛い世の中は嫌だ

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電車内でのマナーは非常に厳しい。多数が居合わせる場だから、彼らの気に触るような行動をすると、白い目で見られたり、いろいろ言われたりする。本当に疲れる空間でもあります。そんな電車内では飲食自体のマナーにうるさい面もあるが、酒を飲んでいたら問答無用でマナー違反だ!と言われるに違いない。私は酒は飲まないがね。ただ、同じ車内でも新幹線は酒を飲んでいる人は相対的に多い。これは車内で酒を販売しているということも由来するだろうが。つまり、車内で酒を販売している以上、新幹線内では酒を飲んで良いという認識なんでしょう。少なくともJR側はそう考えているのでしょうね。ルールを唯一作ることができるのはJRなんだから、そのJRが酒を飲んで良いと言っているのならば、それを受け入れるしかない。嫌なら乗るなと言われるだけでしょう。でも、普通の通勤電車の会社はどう考えているのでしょうか?

 

恐らく酒はおろか、飲食自体を良しとしていないのではないか?と思います。たまにそういうアナウンス流れますよね。電車内での飲食はご遠慮願いますとか、そういうのを聞いたことがあるような気がします。ただ、通勤電車内ではなく、新幹線でも酒を禁止してほしいという声があるそうです。それがニュースになっていましたが。個人的な意見を言うと、酔っ払いが出る恐れがあるのは困るが、あえて禁止にするほどか?とは思う。それは正直通勤電車内でも同様です。酒を飲んだら起きることのデメリットって、ほとんど酔っ払いだと思う。酔っ払わない程度の自制できるならば、私はOKだと思う。臭いとかを言い出すと、香水や髪の毛につけた整髪量の臭いも同時にアウトだろう。これらも不快に感じる人もいそうだし。新幹線と普通の電車で、そもそもこういう対応の違いが生まれる意味もよく分からない。単純に会社の違いと言って良いのだろうか?車内の状況は対して変わらないのに、酒を許容する、しないでこんなに対応が違うのだろうか?それも不思議だ。

 

私自身は酒なんかよりもでかい声で喋っている人たちの方がむしろ不快だけどね。かといって、彼らに文句を言う気は全くないが。新幹線内で喋っている人もいると思う。酒の臭いが不快という気持ちも分からないでもないが、新幹線内では食事もOKみたいだから、それでも当然臭いは発する。そして、喋っている人はうるさい。寝ている人でいびきをかいている人もうるさい。個人が迷惑行為だと思えるものなんていくらでもある。それが世間的に我慢しろと言われるか、確かに迷惑だなと言われるものに分かれるが、それはほとんど多数決だ。で、はっきり言って、それらの行為の99%は実害がない。つまり実際の損害を発生させない。ただ不快というだけ。私に言わせれば、実害が出ていない迷惑行為くらい我慢したらどうなんだ?と思う。ビールを飲んでいてそれが誰かの洋服にかかったとかは実害が出ているから、文句を言われてもしょうがないと思うが、ただ臭いが不快とかだけならば、すっげーちっちゃいと思うんだけどね。鼻栓でもしていれば良いと思うんだけど。そういう実害すらもない、すごいちっちゃい文句を言う人が本当に多い国だなと思う。

 

間違いなく人はどこかで、誰かに少なからず迷惑をかけていると思うが、そんな人たちが平気で他人に迷惑をかけるなと良い、迷惑行為を非難する。本当に訳が分からないし、生き辛い国だと実感する。「公共の場だから弁えてほしい」と言う人も中にはいるみたいだが、その公共の場で自己都合を押し付けるのは良いのか?公共の場だからこそ、自分以外の大勢の人たちを尊重する姿勢が必要だと思うのだが。自分たちにとって都合の悪いことはするな。という発言は、公共の場を私物化する発言のように思えてくる。それを究極的に進んだ場合、新幹線も普通の列車もただ乗車している以外何もできなくなる。誰かの機嫌に触る行為をしたら、すぐに注意される。本当に生き辛いわ。私は実害を生じさせること以外であれば、私は一切文句言わないし、寛容の姿勢だ。むしろ、そっちの方が良いと思っている。結局、どこかで線引きは必要なんだよ。それが今の場合は「マナー」というオレルールの集合という曖昧な概念になっている。何がマナーで、どこまでが守るべきマナーか?は人によって違い、ケースによっても違う。だから、非常に曖昧なんだ。法律やルールによって線引きされているケースはまだ明確になっているから良いかもしれいないが、そうじゃないケースはほとんどこのマナーが基準になる。

 

ただ、マナーはすでに説明したとおり、曖昧な尺度だから、はっきり言って基準にならない。基準自体が人によって違うんだから。だから、いわゆるマナー違反と呼ばれる行為が続々生まれてしまう。だから、「実害が出るか?否か?有形力があるか?どうか」という点を基準にしたらちょっとは明確になると思うんですけどね。日本人は他者に厳しすぎる。別の言い方をすれば、凄い自己中だと思う。マナー違反をする人を世間では自己中と言うようだが、マナー違反連呼する人も同じく自己中だと思うが。それは同じような意見の人がたまたま大勢いるから自己中としては扱われないだけ。例えば、極端な例を挙げると、何のルールもない中で、お店の前の列に並ぶ順番を勝手に先着順にしているとする。後から続く人もみんなそれを守っている。ただ、ある人がいきなり列の先頭に並ぼうとしている。「おいおい!ちゃんと最後尾に並べよ!」と他の人たちは言うだろう。しかし、「勝手に先着順なんてルール作ってんじゃねえよ!お前らにそんな権利はあるのか?」と言われたらどうするだろう?この先頭に割り込んだ客も、列に先着順に並んだ客も対等なはずだ。つまりお互いルール設定権者ではない。そうなると、ルールを作る権利のないものが作ったルールを守らされる謂れもないわけで、この客が半ば暴力を使って列に割り込んだとしたら、それも先着順に並べよと対等に並ぶ自己ルールかもしれない。この客ももちろん、そんなルールを作る権利はない。

 

暴力で勝負を付けて列の順番を決めるか?先に並んだ順で列の順番を決めるか?どっちのルールも存在しない。世間的には後者を支持する人が多いのだろうが、それも多数決で一応そうなるというだけであって、別に数が多いから正しいということには客観的にはならない。凄い極端な例だが、喧嘩をして勝った者から列に並べるというルールがあっても不思議ではない。もちろん、そんなルールを設定して多くが納得するわけはないのだが、先着順に並ぶというルールをお店の人間ではない人たちが勝手に作っているというのも、やっていることの性質は同じだ。ただ、違うのはそれを支持する人の数で、99%は後者を支持するだろうから問題が起きていない(支持しない方があまりに少数派なので異議を唱えづらくさせている)という現状があるだけ。

 

 

そして、「結局、マナーなんて俺ルールの後ろ盾に過ぎない」のページには以下のことが書いてあった。

 

>私は「でも、演奏会では静かにしろ!」というその要求もひとつの「俺ルールを押し通すこと」だよな、と思った。結局のところ、マナーなどとは誰かが俺ルールを押し通す際に、その行為に正当性を与える枠組に過ぎないのではないか、と思う。

 

もしそのような枠組がない状況においては「騒音なんか気にしない。好き勝手おしゃべりしたいし、パラパラと音を立てながらパンフレットをめくり音楽を聴きたい」という俺ルールと、「音楽は厳粛に聴きたい。騒音なんか聴きたくない」という俺ルールはどちらも並列に置かれてしまい、どちらも正当化されてしまう。あるいはどちらも正当化されない。しかし、実際には後者の俺ルールが優位性をもったものとして扱われる。後者にはマナーという後ろ盾がある。「どうしてマナーを守らなければいけないのか」。こういった問いはあまり意味を持たない。「守らなければいけないマナーがあるから、マナーを守らなければいけないのだ」という同語反復的な返答によって、問いは解消されてしまう。

 

マナーっていうのは、人々の価値観からくるものだから、ある意味誰でもマナーは作ることができる。そうなると、演奏会では静かにしろ!というマナーがあれば、別に少しくらい音立てたって良いだろ?というマナーがあっても良いことになり、前者のマナーが「マナーであること」を理由に批判するのであれば、じゃあ別のマナーをオレが今作った。という言動にどう反論できるのか?少なくともどういう内容のマナーであれ、それがマナーである限りは、それらは全て対等なはずです。双方ともにお互いを否定できないのです。ここでいう演奏会では静かにしろというマナーを強制させると、少しばかり音を立てながら気楽に演奏を聴きたいという人の利益は失われる。つまり、あるマナーを守らせる根拠が「人が迷惑をかけるから」ならば、そのマナーを守らせることにより、その相手には確実に迷惑がかかる。あるマナーが正義ならば、その対極のマナーも正義となってしまう。そして、マナー違反を自己中と主張するのならば、そのマナー違反を叫んでいる人も同様だろうし、自分が気に入らない行為を何でもかんでもマナー違反と非難する姿勢も同様に自己中だろう。そうなれば、家の外には一歩も出られない。公共の場では生活できない。それは嫌ならば他者と公共の場で生きていくしかないが、そこで同じくマナー違反を連呼する人間は、やっぱり公共の場でオレルールを主張する自己中な人間になってしまうでしょう。

 

 

 

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