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欠損女子に萌える男性への批判は、障がい者本人も傷つける可能性

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昨日かな?たまたまはてなブックマークを見ていたら、「欠損女子」なる言葉が踊っていて、なんとなく想像はついたが、身体の一部を事故などで失った女性らが働くバーが新宿にあるらしい。そこに集まってくるのは、多くは男性なんだろうが、彼らは欠損女子に性的思考を持ち、訪れていると言う。欠損男子と言って良いのかな?分からないが、乙武洋匡さんは、この状況にかなり好意的みたいで、この人は自らの障害に対するジョークを笑って突っ込める人だからね。中にはこういう状況を見て、不謹慎とか、どうかと思うという反応もあるらしいが、そこで働く彼女らは、そういう男性がいることをむしろ好意的に見ているらしい。障害を持っている人にとって、何よりも嬉しいのは、障害者だからという特別扱いをしないこと。というのがよく言われている。つまり、何か萌えるときに、特定のものは許容するが、障害に萌えるという人たちを批判している人たちこそが1番嫌いなんじゃないか?と思う。

 

恐らく批判をしている人は、別に障がい者を思って批判しているのではなく、恐らく個人的な価値観にそぐわないから批判しているのではないか?と思う。乙武さんも言っていたが、性的嗜好1つをとってみても、世の中で受け入れられるものとそうじゃないとものがある。例えば、多くの人が引くかもしれないのが、いわゆるデブ専という人たち。太っている人が好きという人たちはマイノリティでしょうから、世間的にはあまり理解が得られていないと思う。ただ、そんなの本人の勝手だと言われればまあそれまでです。多様な価値観を認められるか?否か?になるが、私は認めている方だと思う。本能的に受け入れられないものはどうしてもあるので、そこはしょうがないと思うが、言葉に出して否定するのはどうかと思う。それをやりだすと、気に入らないものを全て否定していいという、些か殺伐とした状況になると思うので、好ましくないと思うし、否定した相手に否定され返したら、ムキになる人もいるだろうが、いやいや、それはお前が最初にやったことだろう(笑)となり、説得力がない。

 

冒頭でも話したが、障害者にとっては、普通の健常者と同等に扱ってもらえるのが何もよりも嬉しいのならば、そういう目で見た方が良いのでしょう。それぞれで活躍するフィールとがあるということでしょう。ブラックジャックの話の中に「海賊の腕」という話がある。これは読んだこともある人もいるかもしれないが、これは体操競技の鉄棒に熱中していた少年がいて、その少年は練習のやりすぎで、腕を痛めてしまう。それでも彼は練習をやめなかった。しかし、その結果腕は再起不能となり、切断を余儀なくされてしまう。その少年は腕にフック船長がつけているような鉤型の義手をつけて、今度は将棋の道を歩み始める。手術をしたブラックジャックが、「どうだ?その義手嫌か?」と聞くと、「いいや、これ凄い調子良いんですよ!」と返す。非常に良い話だと思うのだが、義手をつけているだけでも好奇な目で見られるのに、鉤型の義手なんてまず見ない。そういう自分の容姿を何とも思わない姿勢、むしろ曝け出してやれ!という姿勢が、今回紹介した彼女らの姿勢と共通している気がする。

 

実際に人前で働く姿はこうしてネット上でもとりあげられ、はてなブックマークが多くつき、ネットユーザーの多くに知れ渡ることになった。障害を持つ人は、全ての面において健常者と同じようにはいかないでしょう。ただ、それは物理的な面においての話であって、自分が何か場面で弱い存在であると認識しているならば、そういう気持ちを他者にも持てるのではないか?と思う。自分が経済的にあまり余裕がなければ、同じく貧乏な人たちの気持ちを思いやれることができるみたいな(現代では足を引っ張る人もいるが)感じでしょうか。そこの1つの魅力なんじゃないか?と思う。そこは健常者よりも優れていると言って良いかもしれないです。結局、何が言いたいかっていうと、乙武さんも言っていたが、欠損萌えとか、もっとおおっぴらに言えるような世の中が望ましいだろうということです。ドジっ子属性が好きな人もいるし、それはあまり好奇な目で見られないが、欠損女子が空きなんだとかいうと、別の見方をされる。それは結局、その見方をする人だけじゃなくて、欠損女子本人も同時に傷つけている可能性があるということを指摘したら、世の中の見方も少しは変わるかもね。

 

今じゃ全然不思議じゃないが、メガネをかけている人とかも、目が悪いという意味では、視力が良い人から比べたら障がい者といっても別おかしくないと思うのだが、眼の悪い人が障がい者扱いされないのは、それがあまり多いからです。義手などを付けている人くらい、メガネをかけている人が少なければ、彼らも好奇な目で見られていたでしょう。ただ、そんな雰囲気がないのは、メガネをかけている人が多いからです。そして、目が悪いというレベルでは、障がい者認定されないってことは、障がい者はかなり少数派に対する定義とも言えるかもしれない。ただ、メガネの例でも述べたように、そういう人がたくさんいるから後続の人たちが続きやすいというのは確かにあると思うから、彼女らみたいに人前で活躍する障がい者が増えれば、それ以外の障がい者にとっても、人前に出やすくなるような、人目を気にしなくても良いような状況が生まれるのではないでしょうか?

 

 

 

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