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裁判員制度って安すぎる日当や報酬を出してまで続ける意義はあるの?

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裁判員制度の日当は上限1万円らしい。1日のうちのかなりの時間を拘束されると思うので、バイトをやって稼げる金額と恐らく大差ないのでしょう。これは非常に安いとも言われていますが、税金からお金が出ている以上は、ある程度の金額までに抑えないと、制度の存続ができないといった事情があるため、しょうがないのかもしれない。でも、やっぱり日当1万円は安いと感じる人は多い。社会人は会社を休んで行かないといけないということに加え、見たくもない写真を見せられたり、被告人の前に顔を晒したりしないといけないなど、マイナス面が多すぎる。そういったことへの慰謝料も欲しいくらいでしょうか。だからこそ、以前「裁判員制度の辞退率が高すぎ!デメリットが多く、行かないのは賢明? - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の記事でもお知らせしたのだが、裁判員制度は、大半が辞退をしている。またはしたいと思っているのでしょう。お金がかかっているんだから、一応成果はあるんだろうみたいに思えるけど、本当に成果ってあるんですかね?

 

というか、裁判員制度の成果って何ですか?別に成果なんか測りようがないと思う。そういう意味で言えば、成果もあるかどうか分からない制度に多額の税金をつぎ込み、国民を巻き込んでいるという意味では、どうなんでしょうか?と思えてきます。裁判員制度の意義は、裁判の審理や判決において、市民感覚を取り入れるという部分だと思うのだが、市民感覚を取り入れる必要はあるのか?と思うのです。別に市民が素人だから、下した判決がおかしいとか言うつもりはない。別に裁判官の下した判決が正しいという根拠もない。あくまでも法律に則っていれば、手続き面では正しいということはできるが、下された有罪、無罪の判決や量刑が正しいか?は誰も客観的には判断できない。それらはあくまでも彼らの意見でしかない。有罪、無罪に関しては被告人だけは確実に正解は知っているが、裁判官や裁判員は確実なことは知らない。量刑に関しても、先例に倣っているので公平ということは言えるが、それが妥当か?という意見は人それぞれ違う。だから、市民感覚を入れようが、入れまいが、どっちが正しいとも間違っているとは言えない。

 

市民感覚を入れないといけない理由はそもそも何なのか?ここが明らかにならないといけないでしょう。市民感覚を根付くと一体どう良いことがあるのか?私は市民感覚を入れることのメリットがあるとも思えない。かといって、裁判官のみの裁判の方が良いと言うつもりもありません。どっちが良いとかは決められないのです。だったら、お金をつぎ込んで、国民を巻き込む意味とはナンなんでしょう?余計に存在意義が分からなくなってきます。裁判員制度に多くの国民が参加すれば、犯罪の抑止力になるという意見もあるみたいだが、それは本当か?と思います。抑止力として働くメカニズムが分からないのです。また、そもそも市民感覚の反映よりも「司法に対する国民の理解の増進、さらにはその信頼の向上」の方が趣旨としては強いという意見もあります。裁判員制度に参加すれば、確かに司法に対する国民の理解は進むと思うが、その理解というのも制度に対する理解であって、裁判制度、司法制度そのものを受け入れるという意味の理解は別の問題だと思うし、信頼が向上するか?どうかも別問題だと思いますけどね。むしろ、他人事と考えていたからこそ司法に対して一定の理解はあったが、真実を知ったせいで、むしろ不信感が増えたとかもありそうだし、司法の場に国民が参加すれば、それに対する信頼が向上するというのは考えづらい。

 

だいたい信頼を向上させるやり方として、どうして裁判員制度なんだ?というのは絶対に疑問だと思いますけどね。他にやり方がないのか?理解と信頼を得ようとするための方法としては、別に裁判に参加しなくても良いと思う。傍聴でも良いと思うし、子供の頃からの教育でも良いんじゃないか?と思うのです。報酬の安さから端を発した今回の問題なんですが、結局私生活を犠牲にして、安い日当で我慢して、参加しないといけないほどに裁判員制度の意義があるのか?やはり解せないです。裁判傍聴経験を生かしたネタで芸人をやっている阿曽山大噴火さんは「元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 裁判員「辞退」の現実と説明責任」の記事で以下のように語っています。

 

>「そもそも、なんで裁判員にならなきゃいけないんですかね。国民が司法に参加する意義って?裁判に市民感覚を反映される必要性は?司法と国民の距離が近くなれば、冤罪がなくなったり、犯罪が減ったりするんですかね。その根っこの部分を、納得できるように答えてくれる人がいない。謎ですよ」

 

ここなんですよね。結局、ここが国民に浸透していない段階で、どうやって信頼なんか得られるんですか?誰が理解するんですか?理解や信頼が生まれた結果、じゃあその先に何が待っているのか?そこまで説明できないと、そもそも司法に対する理解や信頼以前に、裁判員制度への不信感しか生まれず、その先にある司法への理解や信頼なんか生まれないでしょう。私たちが気付いていないだけかもしれませんが、理解や信頼を目指しているのであれば、裁判員制度自体の意義をどこかで明確にしてほしいと思います。裁判員制度の給料は安いです。一応建前上は義務になっているようだが、辞退率がかなり高いので、もはや義務だと考えている人はほとんどいないようです。今後もこの制度自体は続いていくようだが、とりあえず私のところに通知が来ないことを願うばかりです。

 

えん罪を生む裁判員制度―陪審裁判の復活に向けて

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