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ドーピングはなぜ禁止?感情論以外でいけない理由が見つからない

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スポーツ界の1つの問題点にもなっているのがドーピングです。以前、ロシアの選手がいろいろと問題を起こしたようなニュースがあった気がするが、何故ドーピングをするのか?というと、記録を上げるためとなる。でも、何故ドーピングはいけないのか?と質問をすると、しりごみをする。それはドーピングがいけないと思っている理由は、多くが感情的なものであり、具体的な理屈としてはあまり説明できないからでしょう。例えば、結論としてはドーピングはNGだとしている「なぜドーピングをしてはいけないか | 陸上競技info」のサイトでも、ドーピングが何故いけないのか?の具体的な説明はできていない。というか、読んでみると分かるけど、途中まではドーピング容認の文章にも見えてきます。このサイトは、結論としてはドーピング否定であるものの、ドーピングがNGとされているよくある理由について反論をしている。そして、最終的には、でもドーピングは認められないとしている。ただ、個人的にその結論に至る理由もあまり腑に落ちないですね。ドーピングが何故いけないのか?でよく言われている理由は以下になります。

 

・選手の健康被害をもたらす可能性があるから

私がドーピング自体にNGを突きつけられるとしたら、この理由くらいでしょうか。ただ、この理由もドーピングがよくないということ言えるかもしれないが、禁止をするほどの理由か?と思う。というのも、先ほどのサイトにも書かれているが、健康被害が生じないと思われる程度に留めるならば問題がないということになる。また、健康被害がNGとか言うけれども、そもそもスポーツそのものが命がけの競技だってあるわけですよ。格闘技とか、F1とか、競馬のジョッキーとか、これは日常的に危険との隣りあわせなのに、そういった競技自体は認められて、ドーピングはNGなの?命を賭けるスポーツはよくて、ドーピングの健康被害はNGという理屈もどうもよく分からない。国民が健康被害からドーピングにNOを突きつけている例もあるようだが、そういう元々危ないスポーツには何の異論も唱えないというのは意味が分からない。健康被害がダメならばタバコもダメだと言っている人もいた。私は喫煙者ではないのでよく分からないが、タバコを吸うと仕事の能率が良くなるという人もいるみたいで、これはまさしくドーピングによってスポーツのパフォーマンスを高める行為と大差ない。健康被害への懸念があるという点においても同じだ。ドーピングも最悪死亡するするというケースもあるようだが、ドーピングが原因となった死亡例がこれまでにどれだけあったのか?のデータも必要でしょう。死亡というのはかなり極端なケース化もしれないが、死亡がするのがダメだとしても、すでに話したように競技中に死亡例があるスポーツが存在するわけだから、そういうスポーツへのNOが突きつけられないのは謎でしかない。そして、健康被害がダメならばタバコはなぜOKなのか?これもよく分からない。

 

・ドーピングを使う選手と使わない選手がいて不公平だから

これは完全おかしな理論です。どっちが不公平か?っていったらドーピングがNGの今でしょう。ルールでドーピングが禁止されているから、基本的には使わない選手が大半だが、一部で隠れて使う選手はいる。そういうルールを守る選手と守らない選手がいる今は不公平が実際に生じていますが、ドーピングを完全に認めたら、使おうと思えばみんな使えるのだから完全に公平になります。自分の意思で使わないのも自由だが、だからといってそれは不公平ではない。選手の意思です。使える状態なのに自分の意思でドーピングをしないならば、それは不公平な状態ではないのです。2008年くらいかな?横浜の村田修一と巨人のラミレスがホームラン王争いをしていて、横浜と巨人の試合になったときに、その試合のニュースの解説をしていた高木豊氏が、巨人は村田と勝負してくれているのに、横浜はラミレスを敬遠している。と横浜のほうを批判していた記憶があるが、これもおかしいと思いますよ。巨人は勝手に好きで勝負しているのだから、横浜が敬遠をしたとしても、その姿勢に非難をされる謂れはない。巨人も敬遠すれば良かったじゃないか!となります。そもそもスポーツそのものがいろいろな不公平が混在して成り立っているものです。人種、体格、選手の出身国の経済事情など、いろいろな不公平な要素が混在した中で成り立っているのに、なぜドーピングの不公平さだけ問題にするのか?これも理解ができません。

 

・ドーピングが蔓延すると社会に悪影響を与える

これは実はNPBのホームページの「スポーツとドーピング -なぜ、ドーピングはいけないか? | NPBアンチ・ドーピングガイド | NPB.jp 日本野球機構」の欄に書かれていたことなんです。

 

なぜ、ドーピングは社会に悪影響を与えるのかを考えてみましょう。
 プロ野球選手はとくに少年少女たちのあこがれの対象です。野球をしている子どもにとって、「将来はああいうふうになりたい」という存在がプロ野球選手です。それは、みなさんの子ども時代をふりかえるとよくわかることでしょう。
 そのあこがれのプロ野球選手が「ドーピング」をしていたとわかったらどうなるでしょう。「活躍するにはドーピングしてもよいのだ」「あれくらいの選手になるにはドーピングが必要なのか」と思う子どもも出てくるかもしれません。あるいは、尊敬していた選手がドーピングで活躍の場を奪われたとしたら、野球、さらにはスポーツがきらいになるかもしれません。

 

これの何がおかしいって、そもそもここではなぜドーピングがいけないのか?を説明するページなんですよ。にもかかわらず、ここに書かれている社会への悪影響をや子供たちへの影響というのは、ドーピングが悪であるという前提に立ったうえでの話でしょう。ドーピングが悪影響を社会に及ぼすと言うためには、ドーピングが悪であるという前提条件が必要です。しかし、NPBは根拠も特に示さずに、まず悪だと決め付けた上で、社会や子供たちへの影響があるからダメだという風に、書いてあるように読めると思います。ここに書かれているのはドーピングをプロ野球選手が平気でやると、子供たちが野球を、スポーツを嫌いになるかもしれない。ということのみです。つまりその元となるドーピングが悪か?どうかは議論されていないわけですね。結局、子供たちが嫌いになるようなイメージのよくないものという位置づけをするだけで、それの何がいけないのか?の部分が全く書かれていないと思うのです。言ってしまえば、偏見により作り出された文章って印象ですね。いけない理由が結局伝わってこないとなります。

 

2017年8月現在、NPBのホームページを見ると、上記の引用文は消えており、選手の健康を害する、アンフェアである、社会に悪影響を与える、スポーツそのものをダメにするという4つの項目が書かれているのみとなっていました。以前の文章と比べると、健康被害やアンフェアという項目が見られるので、ドーピングがなぜ悪なのか?という前提条件の根拠はとりあえず見つかります。しかし、この2つの項目に関してはすでに述べた通り、反論が容易となります。スポーツそのものをダメにするに関しては、漠然としすぎていて、何が言いたいのか?が分かりません。

 

・薬が蔓延する&ドーピングをするようなスポーツを大多数は見たくない

最初に挙げたサイトがドーピングを認めない理由は、薬が蔓延する恐れがあるから。そして、大多数がドーピングをするスポーツを見たくないから。としています。薬が蔓延するという理由は、スポーツ選手が使っているのを見ると、他の人たちが使いだすから。としていますが、本当か?と思いますけどね。じゃあ、覚醒剤とかも使いだすんですかね?そもそもドーピングを容認しても、多くがドーピングをするとは思えないのです。例えば、脱法ドラッグとかも日本で使っている人結構いましたけど、だからといって使いたくなりますかね?私は全くならないけど。というのも、知識があるからでしょう。脱法ドラッグを使うとのは危ないという。それと同様、ドーピングに使われる薬もそれに対する知識があるならば、大多数は使わないですよ。仮に使ったとしても、一応合法なものに限りますが、合法な薬であれば自己責任で使うのはその人の自由じゃないですか?

 

タバコや酒だってそうでしょうよ。アルコール依存症やヘビースモーカーの人は結構いると思うけど、社会でそれらを問題視している印象は全くないんですけどね。結局、自己責任だからでしょう。タバコや酒も社会にとって十分迷惑だと思うんですけどね。ありえないと思うけど、仮にそうやってドーピングによる薬が蔓延したとしてもだよ?大多数がそれを望んでいるのなら、それで問題ないじゃん?となりますよね。だってね、このサイトは次に挙げている「大多数」がドーピングを望んでいない。という点を理由として挙げているわけですよね。大多数が望んでいないから禁止となるならば、逆に大多数が望めば解禁とするのが自然じゃないですか?大多数を基準にするならば、大多数がそう判断したことが正しいということになるはずだ。じゃあ、大多数が薬を使いたいといって、薬が蔓延したって、それが合法なものである限りは、大多数が望んでいるんだから良いじゃん。となりますよ。2つの理由間に矛盾があるし、それいがいけないという理由は感情論以外でしかないわけですよね。結局、ドーピングは何がいけないのか?の理由は、客観的に是認できるもの、納得感のあるものは存在しないと思います。

 

まあ、ドーピングが蔓延するようなスポーツを見たくないという点は全く同意できないわけじゃない。私もそういう光景を見たいとはあまり思えない。ただ、何で思えないのか?というと、「違和感がある」しか理由がないのです。つまり、ドーピングが禁止された中でスポーツを見てきたから、その光景が自然であり、違和感を覚える光景はなんとなく反対してしまうというだけの話であり、単なる保守派としての主張でしかないので、私のこの主張は正しいとは自分でも思えませんし、正しいと主張するつもりもありません。自分自身で、私のこの感情は感情論そのものだと感じているからです。薬によって自分の身体能力を向上させてスポーツにおいて高記録を出すということは、何かズルい感じがする。ただ、それだけなんですよ。でも、スパイクを履くだけで記録が伸びるのも同じような努力量で高記録を出す例なのに、こっちに違和感を覚えないのはなぜ?と自分自身に問えば、さっきと同じで、その光景が当たり前だから。という以外に答えようがないでしょう。理屈なんか存在しない。当たり前か?そうじゃないか?で単に結論を変えているだけなのです。ドーピングが完全にOKになって、そういう選手が当たり前にでもなれば、そういう違和感はなくなるかもしれないが、現時点では無理でしょう。

 

私はまるでドーピング容認派にも見えるかもしれないが、決してそんなことはない。ドーピングが良いと思っているわけではないが、だからといってドーピングの何が悪いのか?上手くドーピングがいけないことと否定できる理屈が自分の中で見つからないのです。だから、積極的にアンチドーピングとも言えない。理屈として通っていないことを主張するのは、自分の中に正義に反するから。そして、アンチドーピングを唱える人たちの意見は、やはり筋が通っていないように見えてきてしまうので、その点をぶつけてみただけです。スポーツのルールである以上は、そのスポーツを志すのであれば、ルールは守らないといけないだろうとなる。ドーピングに関しては、ルールの一部をなすものではあるが、禁止理由が曖昧なものであるがゆえに、理由を説明するとすれば、1番有力なのは、現時点でスポーツをする人、観る人にとって望ましいと思われていないから。これしかないでしょうね。健康被害が生じるからとか、不公平だからとか、すごいもっともらしい理由をつけてドーピングに反対している人もいるけど、私はそれは詭弁にしか思えない。すでに書いたように容易に反論ができてしまうからだ。だから、私が感じていることと同じで、単純に「ドーピングをする選手ばかりのスポーツを見たくないから」とでも言ってくれれば、反対の理由としては全然納得がいく。先ほどのサイトも最終的には「ドーピングは必ずしもやってはいけないものだとは言えないが、社会的な要請とスポーツを観る人の要請によりスポーツ界ではドーピングが禁止されている。」としているようですからね。そこを反対する人間が認めれば、反対派に対抗する人間も少なくなる気がします。

 

うっかりドーピング防止マニュアル

うっかりドーピング防止マニュアル

 

 

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