読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

偽善者はうざいと嫌われるケースが多いが、偽善者で何が悪いのか?悪いことなのか?

働くことへの意識 その他の話題
【スポンサードリンク】

偽善者って叩かれるよね。偽善者の定義もよく分からないし、そもそも偽善者か?どうかっていうのは行動している人の内心の問題も含むから、外部の人間が勝手に判断できる性質のものでもない気もしてくるが。偽善者は何が悪いのか?偽善者はそもそも悪いことなのか?そんな答えは簡単には出せないでしょう。というか、感情論以外の議論にはたいていならない。偽善者叩きが加速してきているのは今に始まったことじゃないから、さすがに今回の熊本地震のケースでは、偽善者叩きが起きる一方で、偽善者叩きを叩く人間も結構現れてきた印象です。今回の熊本県地震に関して、偽善者叩きは当然のように起きているが、その一方で偽善者で何が悪い?と反論する人たちも多くいます。芸能人とかが特に叩かれている印象だが、叩かれやすくなっているのは自ら支援や募金を口にした人たち。批判している人は売名行為とか、イメージアップのためか!など批判がきているが、仮にそういう目的だったとして一体何が悪いのか?も分からない。むしろ、潔いくらいに私は思います。偽善者の問題に関して考えると、この国では何かと動機を重視しますよね。偽善者がダメだということになると、それは結局動機を否定していることになるわけじゃないですか?

 

例えば、就職試験とかもどこも動機を聞いてくるわけです。この風潮は個人的には意味が分からなくて、動機なんか聞いて、動機なんか重視して何の意味があるんだろう?と思うし、そんなものを聞いたところで結局真意はほとんど人間は言わない。本当に志望動機なんて言わない。だからこそ、尚更意味がないんじゃ?と思っているが。偽善者の問題に関しても、支援や募金をする目的が被災者のためではなく、自分のためだとしたらそれは叩かれる対象になるという。しかし、行動自体は結果的に被災者のためになっているわけだから、そんなところを問題視して何の意味があるのか?つまり、偽善者は支援をするな!募金をするな!と言ったら、今集まっている支援や募金のうち、かなりの部分は失われると思うし、それって結局被災者のためになっているのか?なっていないでしょう。偽善者からの支援や募金は要らないと被災者が言ったならまだしも、言っているのは関係ない第3者じゃないですか?芸人のウーマンラッシュアワーの村本さんが、こういう風潮をTwitterでもろに叩いて、熊本県被災した人と直に連絡をとりあったら、巷で不謹慎!不謹慎!言っている人とは真逆の反応だった。だから、不謹慎言っている連中は被災者の代弁なんかしていないんだから黙ってろ!とTwitter上で発言して話題になりました。

 

中には高須クリニックの委員長の高須克弥氏とか、他にもいたかな?完全に批判を覚悟で偽善者ぶりを発揮しているというか、そういう行為をしているケースもあるみたいで、個人的には賞賛を送りたいと思う。だいたいイメージアップとか、売名行為とか、つまるところ、自分の利益のために被災者を利用している姿が気に食わないというのがあるかもしれないが、そういう職業って山ほどあると思うのですがね。医者、弁護士、葬儀社の人間あたりは代表的だろうか、このあたりの職業は人の不幸がないと成り立たない職業で、でも彼らは偽善者とは言われないわけですよね。何で医者になったのか?儲けたいからじゃないのか?という批判はもっとあってもよさそう。実際、そういう動機で医者になっている人もいても不思議じゃないと思う。でも、そういう動機でなってもらっても構わないと思う。それは医者は絶対に必要だからです。ちゃんと医者としての仕事を全うしてくれるならば、医者になる動機なんてどうでも良いと個人的には思っているので。他の職業もそう。どんな動機でなっても個人的には何の批判的感情も生まない。逆に動機を重視する方がおかしいと思えるケースすらある。

 

それが公務員の試験です。特に国家公務員かな?国が国民に対して働くことを迫っている。または働くことを強いている世の中なのに、何で公務員になるのに動機がいるのか?が不思議でしかない。だって、国がそういう世の中にしているからこそ、働かないといけない国民が続出する。つまり、彼らが働く第一の理由は「生きるため」、「生きるためのお金を稼ぐため」になります。そうなると、働かないといけないように仕向けた国民が働いてくれようとしている。しかし、面接で志望動機は?と聞かれて「生きるため」と答えたら間違いなく落ちるだろう。は?って感じです。私がそういう目に遭ったわけではないが、働きたくない人間が基本的には山ほどいると思うんです。でも、国が働かないといけない世の中にしているから、生きるためには働かないという事実もある。じゃあ、仕方なく働くか。ここで、崇高な志望動機を持っていない(そういう志望動機を話せない)人間は、基本的に民間も公務員に採用されないはずです。つまり、崇高な志望動機を持っていない人間は、そのまま普通に生きていたらどこも働けないですよね。働け!って言っている国が、「あなたたちが働け!って言うので働きにきました!」という人を不採用にするわけですよね。ナンスカ?コレ?働かないといけない社会にして、国民をそういう窮地に追いやっている張本人が国民が安心して働ける環境を作っていないわけだし、仮に崇高な志望動機を無理矢理作って話したとしても、全員がそれをやれば結局採用されない人間が出てくるのは間違いない。結局、国は働かないと生きていけない世の中を作っているが、職探し自体は労働者に丸投げしているわけだから、原発の問題で賛成派が反対派に原発を廃止したら、俺たちの生活が困るだろ!何か代替案をよこせよ!と言っている中、は?そんなお前らが自分で考えろ!と丸投げしている状態に等しい。国がやっているのは完全にこれですね。原発賛成派の人間はこういう反対派の言い分に納得いかないのならば、国がやっていることに関しても同様の疑問を持ってもらいたいのです。民間も公務員も世間一般からイメージが良いとされている動機を持っていないとそもそも採用されないが、持っていても、無理矢理作っても採用されない事態が当然に出てくる。動機の問題もそうだが、動機の問題をどうにかしても、結局仕事にありつけない人間は当然に出てくる。

 

じゃあ、なぜ国がそんな状況を作っているのか?それは結局、どこからも採用されないような人間にあえて職を作る意味を見出せないからでしょう。ホリエモンも同じようなことを以前言っていたけど、生産性の悪い人間を無理矢理働かせると、かえって社会の効率性が悪くなるということですね。国にとってもそういう事実は気付いているはず。つまり、無理矢理職を作って仕事を与えないといけない人間は、国から見たらお荷物同然なのではないでしょうか?だからこそ、ハローワークの運営だって問題を抱えていたし、生活保護の支給金額だって減らす。そういう取り組みに国民の多くもあまり反論しない、生活保護に関してはむしろ支持する。逆に障がい者の支援などは世論の反発もあるからやらないとまずいのでやっている状態でしょうか。ホリエモンのさっきの発言は元々は障害者の雇用に関して端を発したもので、彼は障がい者を含めて、生産性の悪い人間を無理矢理雇用させると、かえって社会の効率性が悪化するから、生活保護等を与えて生き延びてもらった方が良い。というような発言だったわけですね。私に言わせれば、生活保護などを必要としている人たちを国は見捨てようとしているのに、熊本県への支援はこれだけやっている現状は正直疑問ですけどね、地震による被災者は自然災害であって、誰のせいでもないのだが、生活保護等を支給されている人たちは国の政策の帰結として生まれた人たちであり、本来は国にとってより救う義務のある人たちでしょう。国がそういう人たちを見捨てつつ、被災者を優先的に救っているのは、それこそ偽善に思えてきます。それは救っているアピールです。救わないで無視すると叩かれるから。逆に救わなくても叩かれない人たちはこうやって見捨てるわけじゃないですか。私は仮に国が偽善で被災者を支援していても別に何とも思わないが、偽善だろうが、なんだろうが、困っている人たちは被災者以外にもたくさんいるんだから、彼らにも手を差し伸べてあげてよ。と思いました。

 

 

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由

 

 

あわせて読みたい記事