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学校に通う意味って?不登校になる子ども甘えどころか、実は有能なのでは?

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不登校になる子というのがいるが、不登校というのは世間的にイメージがよくないし、それもあってか、大人はその子どもを学校に行かせようとするケースが多いように思います。不登校は甘えとか言われることもありますから。ここで言う大人というのは教師や親ですね。学校に行かせないとマズイと思うのでしょうね。小学校、中学校、高校あたりに行かないと、なんていうか、「普通の人生」を送りづらくなりますね。その普通の人生っていうのが素晴らしいか?どうかはともかく、多くの大人は普通の人生を歩むことを想定するするのでしょう。だから、学校に行かないと、それが達成困難になるから、学校に行かないといけないという雰囲気にさせてくる。学校に行かないと困るか?っていうと、困るという見方はできなくはない。しかし、不登校の場合はちょっと事情が違う。学校に行くことが困るという判断を子どもがしている。その状況で学校に行く意味はあるのだろうか?もっと言うと、この状況で学校に行かせて、何の解決になるのだろうか。イケダハヤト氏の「ちきりん「学校は不利な人をより不利にする場所」 イケハヤ「まだ不登校で消耗してるの?」 : まだ東京で消耗してるの?」というブログのエントリーに以下のようなことが書いてあります。

 

>直感的にいって、「不登校」が、なぜ「問題」になるのかがわからないんですよ。 「こどもが不登校」になると、なんか絶望するじゃないですか、多くの親って。なんで絶望するんでしょ?何が「問題」なんですか? デストロイヤー・イケダハヤトとしては、学校の価値を、もっと落とさないとダメなんだろうなぁ、と思っています。 学校なんて趣味のサークルみたいなもんです。学校なんて大したものじゃないし、あそこに入り浸ると「自分の頭で考える」能力が失われています。なんでみんな、そんなにこだわるんでしょうね。 まずは日本社会に、「まだ不登校で消耗してるの?」と伝えたいですね。 消耗している人多いじゃないですか。ほんと生産的じゃないなぁ、と思います。 勝手に「問題」を作り上げて、こどもを、親を、無駄に追い込んでどうするんでしょ? それ、そもそも問題じゃないですよ。 学校なんて、真面目に通っても特にいいことありませんから。 それどころか、害にすらなりますよ。無理やり学校に通わせる方が、よっぽど「問題」です。

 

ここで述べられている自分の頭で考える能力が失われるっていうのは一理あるかな?つまり、学校に通うとステレオタイプの生き方しかできなくなる。学校に通わないとそうじゃない生き方ができるか?っていうと、そうともかぎらないけどね。ステレオタイプの生き方が素晴らしい生き方には私は思えないが、多くはステレオタイプの生き方しかできない。というか、ステレオタイプ以外の生き方をするという発想が浮かばない。それを加速させているのが学校教育なのかな?という気はする。不登校になると、そうじゃない生き方を容易にできるとか、そういうことを言うつもりはないが、ステレオタイプの生き方が別に良いとも思えないので、不登校になることが一概に悪いとも思えないのです。さらに言うと、不登校になるってことは学校の中に、その児童や生徒にとっての問題点が存在しているわけでしょう。例えば、「いじめ」が原因ならば、そのいじめから逃れるために不登校になったわけだ。さて、これがおかしいだろうか?

 

例えば、道を歩いていたら通り魔に遭遇したとする。そこで、通り魔から逃れようとすることはおかしいだろうか?学校の中に何らかの問題点が存在していて、そこから逃げることは別におかしいとは思わない。むしろ賢明だろうと。いじめという問題が解決に至っていない段階で、その子どもを学校に通わせることで、一体何の解決になるか?というと、むしろ嫌がらせにも思えてくる。学校に行かないといけないという認識は子どもにも大人にもあるんじゃないか?と思うが、その認識自体もどうか?って感じですよ。別に行かないといけないものではないでしょう。行かなければ行かないで代償はある。しかし、行ったら行ったで代償もあるわけだから、どっちもどっちだと思います。学校に行くのが辛いとか、不安と思っている状態で行かせることは何の解決にもならない。となれば、大人がその不登校の子どもを学校に通わせたいならば、その児童や生徒が不登校になった原因を詰んでからにすべきで、まずはそのための行動をとるべきという話になります。学校にもリスクはありますからね。当たり前ですけど。家から一歩でも外に出れば、危険がそこらじゅうにあるのが社会なので、学校も例外ではない。

 

ちょっと前に広島県の中学校で万引きを疑われた生徒が自殺をした問題があったが、あの事件が起きたときに、学校側の対応を非難するとともに、「こんな学校は怖くて子どもを通わせられない」という声があったんですよ。正直言って、何を今更wwwwwwwと私は思ってしまった。いやいや、今頃気付いたのか?と思います。学校が危険な場所と言うのが、そういう事件が起きないと気付けないようではいけないと思う。学校だけに限らないけど、外を出たら危険しかないんだと。学校ももちろんその危険なエリアに含まれる。運が悪ければ何らかのトラブルに巻き込まれる場所として当然親は認識しておくべきだし、それを認識した上で学校に通わせるべきだと思う。基本的に学校の教師っていうのは異動が頻繁で、同じ学校でもころころ教師が変わることがよくある。ってことは、今まで問題が起きていない学校も今後同じような問題が起きても不思議じゃないってこと。いじめもそうだし、こういう教師の勘違いから起きる自殺の問題もそうだし、いろいろな危険が内在している。学校に通わせること自体もやっぱりリスクになるってことは多くの親や教師も認識すべきだと思います。そういう部分が多くの大人の発想としてなくて、学校に通わないといけない、通わせないといけないという固定観念に囚われている子ども、大人は多い。しかし、不登校になる子っていうのは甘えどころか、ある意味有能だと思います。危機を自分で察知して、そこから防衛策を実践しているわけだからね。学校に通い続けていたら、最悪自殺なんて問題にもなるわけだから、そうなる前に自分で対策を打っている時点で、彼らはの行動は理に適っていると思うのです。不登校は甘えすぎなのではない。むしろ、そういう選択がとれること自体が1つの光明になることもある。

 

私は大人になって考える力も大分養われたと思うから、今の私がそのまま子どもに戻ったら学校には通わないかもしれない。私も子供の頃は学校に通う理由なんて考えもしなかった。学校に通わないといけないというか、通うべきか?べきじゃないか?そんなことを考える発想がなかった。なんとなく生きていたら学校に通ってしまっていたという感じ。学校に通うのが間違いとは言うつもりはないが、通わない選択肢も本人が望むならばありでしょう。学校に通うのが辛いと感じている子は不登校になって良いと思うし、それは賢明な策にもなりえること。学校の中は資本主義社会の縮図でもある。スクールカーストなんて言い方があるけど、1つのクラスの中で事実上の身分の差があるわけだ。その底辺になってしまった子どもはときには辛い思いをすることもある。全員が全員幸せになれる場所ではない。にもかかわらず、教師はみんな仲良くなんてキレイごとをいってくることもあるが、それは子どもたちにためになっていないと思う。嫌いな人間や合わない人間は絶対にいる。大人になってもいるんだから、それが普通というか、それで良いと思う。誰とも仲良くしないといけないとか、みんな揃って授業に出席して、真剣に勉強して、同じ道を歩んでというような教育が、不登校の問題の根底に存在している気もしてきます。資本主義社会の中で向かない人間(社会不適合者と呼ばれたりもするが)もいるはずだから、学校の生活に向かない子どももいるんですよ。そういう人、そういう子が別の生き方を模索することはむしろ肯定すべき側面もあるのでは?と思います。学校に通う前提ではなく、学校に通う意味って何か?それを大人や子どもに考えさせる授業を、学校でやってほしいと思います。

 

 

「不登校」は天才の卵

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