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茶番ばかり?世の中に「心から悪いと思う、誠意のある謝罪」は少ないだろう

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ある程度の有名人であれば、世間から非難されたことに対して釈明や謝罪をすることが多い。しかし、その謝罪は本当に謝罪なのか?というのが疑問で、見た目は謝罪だけど、実は謝罪じゃないものがすごい紛れている気がする。謝罪をしても相手が許さないようなケースも多々あるし、あえて謝罪をする意味もなくね?と思えるケースもある。それを見越したのが舛添知事だろうね。あの人は一応、自身の行為に関して釈明はしたが、国民は納得いっていないらしい。私はその釈明会見はそこまで見ていたわけではないから、全貌は知らないが、とりあえずやったことは違法ではないということだけは知っている。小林よしのり氏は自身のブログでは、釈明を諦めて何も語らなくなった舛添氏を評価しながら、辞任の前も後も舛添叩きをしている民衆を罵る内容を書いていた。

 

舛添知事もそういう意味では頭良いねと思う。あれ以上釈明しても、事態は変わらない。感情論の揚げ足取りしかない国民と、ホリエモンも一時揶揄っていたが、そういう状況だと気付いた時点で、事を大きくするよりも、もう静かにしていた方が良いと思ったんだろうね。舛添知事は謝罪はしていたが、本人はしたくてした謝罪ではないだろう。見せ掛けの誠意だった可能性も高いと、私は見ている。それと似たようなことが先日起きていて、ニコニコ動画内でも放送された今年の参議院選挙の党首討論が行われ、司会をしていた古市憲寿氏のある質問が小沢一郎氏を怒らせて、謝罪に追い込まれたというものだ。私はこれで生で実際に視聴していたが、ガチで放送事故レベルだったと思うよ。古市氏は小沢氏のプライベートな質問を党首討論の中でしていたのだが、その質問内容が小沢氏によっては逆鱗に触れるものであったのだろう。いきなり怒り出した。古市氏の意図は、主義や政策はマニフェストを見れば分かるから、こういう場を設けた意味は普段見られない人柄の部分を見せるためではないのか?としていた。その意図の妥当性は私は判断しかねるけど、正直言って、あんなに空気を悪くするほど怒ることか???というのが、本音です。逆にああいった質問でいきなり怒り出すという人柄が見えたという点では、古市氏の意図は成功と言えるのかもしれない。

 

答えたくないならばノーコメントで良いだろうに。あの態度は個人的にはあまり好みではない。小沢氏の圧力なのか?番組側の圧力なのか?分からないけど、古市は謝罪をしないといけない状況になってしまい、番組途中に「この紙に書いてあるのを読めば良いんですか?」と、明らかに誠意のない謝罪をしていた。それに対して、小沢氏はまた怒り始めて、謝罪になっていない!と繰り返したが、本人がそもそも悪いことをしたと思っていなくて、周りが無理矢理謝罪させているような状況ならば、そりゃそうなるよ。誠意なんかあるわけない。それを言うならば、せめて謝罪をしないといけないほどの行為をしたんだ!ということをまずは小沢氏が説明すべきで、聞かれたくないことを聞かれたから怒ったんだろうけど、それが本人にとって怒るほどの質問か?どうかは古市氏にも分からないだろう。私も正直言って、あそこまで怒るほどの質問には思えない。とは言いつつも、小沢氏にとってみれば気に触る質問だったんだろうから、全く古市氏に落ち度がなかったとは思わないけ。だけど、公開の場で謝罪を強要するような姿勢は正しいとは思えない。少なくとも本人が嫌がっているならば。だから、小沢氏もスルーすれば良かったのに。小沢氏以外の党首もたくさんいたけど、ああいう質問をしてああいう態度に出る政治家の方が少ないと思う。少なくとも安倍首相であれば、あんな態度はとらないはずだ。舛添知事は演技で誠意ある謝罪をしているように見せたか?どうかは分からないけど、それなりの謝罪っぽく見えた。

 

でも、世の中の謝罪の多くは誠意なんかないだろうと思う。それは自ら謝罪をしているというよりは、やらされているからだ。舛添知事のケースも本人が好きでやっているとは思えない。古市氏も場合は完全にそうだろう。誠意ある謝罪を!と要求する人間がいるけど、それがいちいち謝罪をしないといけないようなことと本人が思えていないならば無理だ。そんなことまでする必要ないだろ!と古市氏も多分思っていたんだろうから。そうなると、謝罪を要求する側が、謝罪をしないといけないことをお前はしたんだ!ということをやっぱり説明すべきだという話になる。本人がやる気がない、必要性を感じていない中ならば、相手側が謝罪を要求する正当性を示すべきということです。ビジネスの現場では、何でオレがこんなことをしないといけないのか?と思いながら、立場の違いから仕方なく謝罪をしてしまっているケースが特に多いと思うのだが、それらの中には誠意なんかない、形だけの謝罪に留まるケースが多いだろう。そんな謝罪に何の意味があるのか?相手の自己満足なのか?という疑問もあるが、謝罪をすれば全てよしではないと思う。小沢氏の言うように謝罪が謝罪になっていないケースが多々あるだろうし、そもそも謝罪をする必要性の有無の問題もある。謝罪は自発的にやるものだと個人的には思っているが、誰かからの圧力、世間からの圧力で無理矢理やらされている謝罪が世の中に溢れている気がする。芸能人の不倫の会見とかも、本心と口から出ている言葉はかみ合っていない可能性も高いんじゃないか?と思う。

 

謝罪の本来の意味は、悪いと思ったことを悔い改めて相手に謝る行為だと思う。それはその人が思う思えたからこそやって意味があるのに、本人が思えていないのに、謎の圧力で行わせていたならば、それは謝罪ではなく、茶番だ。世の中に存在する謝罪の多くは謝罪ではなく、この茶番じゃないか?と思う。この茶番劇を繰り広げることで、満足する人間がいる限りは、形だけの謝罪、誠意のない謝罪は今後も繰り広げられるのでしょう。

 

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