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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

ちりきん氏の「選挙に行く理由」に個人的に共感できない、腑に落ちない理由

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ちきりん氏のブログに書かれているエントリー「なんであたしは選挙に行くのか - Chikirinの日記」で、彼女が選挙に行く理由が書かれている。選挙に行く、行かないは自由だと思っているし、選挙に行く理由も私は自由だと思っている。だから、ただのおせっかにしかなっていないことを承知で書くが、とりあえずこのエントリーを読んでみると、選挙に行く理由として、イマイチよく分からない。このエントリーを要約すると、選挙権っていうのは、長い歴史の中で勝ち取ってきたもので、女性がずっと差別されてきた時代の中、選挙権に関しても与えられたのは戦後だったという。そうやって女性蔑視の時代を乗り越えた今、選挙権がこうやってあるのだから、せっかくもらえた選挙権なのだから使わなくちゃ。女性の投票率が下がって、女性に選挙権を与えた意味がないとか言われたくない。というのが理由らしい。私に言わせれば、何のために選挙に行くのがよく分からないのです。

 

特に最後の一文とかね。女性の投票率が下がったら、女性に選挙権を与えた意味がないと言われたくない。とあるが、これは言ってくる連中が頭おかしいと思うんですよ。というか、そもそも女性の多くが選挙に行かないでことで、選挙権を剥奪しないといけない理由になるんですか?選挙権っていうのが、実物でそれを作るのにお金や手間がかかったりする。だから、それを渡したのに、使わないならばもったいない。じゃああげるのやめよう!っていう理屈は通るかもしれないが、選挙権って権利だから、実体のあるものではない。強いて言うならばハガキがあるか。もっと言うと、選挙っていうのは各人が意思表示をするものであって、何で女性というくくりで考えるのか?というもの。女性の投票率が低かったら、女性の選挙権は意味がないっていう思考をするってことは、じゃあ、そういうのはいくらでもカテゴライズできるじゃないか!という話になる。例えば、朝食のパンを食べる人の投票率が低かったら、朝食にパンを食べる人の選挙権はいらないとかも言えるわけだよ。トヨタの車に乗っている人の投票率が低かったら、彼らも選挙権も剥奪すべきだ。さらに90歳以上とか、物理的に投票行為が行いづらい人たちは、当然投票率も下がる。もちろん、彼らにだって「投票率が低いんだから選挙権を与える意味がない」と言わないとおかしい。

 

選挙における投票率が発表されるのは、せいぜい世代や性別くらいだ。先ほど言った朝食にパンを食べる人とか、トヨタの車に乗っている人とか、そんな細かすぎるデータなんか調べもしないし、発表されない。しかし、女性のような性別というカテゴライズで、投票率の低い層の選挙権は意味がないと判断するのに、それ以外の層の人たちで投票率が低い人たちから選挙権を剥奪するなんて動きがなかったら、それはせこいな。と個人的には思う。実際、こういうことをいう人間がいるか?は分からないが、それを仮に言うならばかなり功例の人で物理的に投票ができず、投票率が下がる世代にも同じことを言うべきだろう。起きていることは同じなのだから。だから、仮に私がちきりん氏の立場だったら、女性の投票率が低いなら、女性に選挙権を与えた意味がない。なんて言われても別に気にしない。言っている人間の考え方がおかしいと思うから。そして、今のような反論をするだろう。そして、せっかく与えられたものだから使わないといけないという風にちきりん氏は思っているようだが、こういう表現を見ると、使う意味をあまり感じられないけど使わないといけない気になっているような雰囲気を感じてしまう。例を挙げるならば、お中元とかで親戚が食べ物が届いた。しかし、その食べ物は私はそんなに好きじゃない。でも、せっかく届けてくれたならば食べないと悪いし。と思って、食べたいと思わないものを仕方なく食べるような状況にも思えてくる。

 

少なくとも、ちきりん氏の選挙に行く理由が、女性という立場を考慮して、その女性という対象を悪く思われないために行くべきと思っているならば、それは本当に正しいか?というか、ある批判に備えて、その批判をかわすために選挙に行くとなれば、その批判自体が正しいと認めてしまうことになりそうだから。しかし、先ほど挙げたような批判派正しいか?というと、私は正しいとは思わない。例を挙げると、自分に子供が生まれて、つけたい名前がちょっと変わった名前だとする。しかし、変わった名前は現代では親自身が叩かれたり、子どもが不自由な思いをすることになる。だから、本当につけたい名前はやや変わったものだが、そういった部分を考慮して、よくあるような名前をつけておくか。と判断するような状況かもしれない。つまり、批判に晒される状況に備えて行動しておく。という点では共通していると思うのだが、問題は批判をする方がそもそも正しいのか?っていう話だ。今話した例は、俗に言う「キラキラネーム」とかの問題だが、現代ではキラキラネームを叩く方は批判されず、キラキラネームをつけた側が批判されるのが通例だ。しかも、それは現実的な側面からの批判よりは感情的な批判が多い。つまり、「そんな名前をつけたら、子どもが名前を読まれづらいから困るだろう」という批判はともかく、「そんな名前を付けるなんて頭おかしい、親として失格」のような批判が多い気がする。前者はまだ批判として成り立っている気もするが、後者は根拠がないので、ただの悪口だ。強いて言うならば「子供が可哀想」という漠然とした理由だが、キラキラネーム以外の名前をつけられた子どもが可哀想じゃないという根拠は絶対に出てこないだろう。この問題に関しては、キラキラネームをつける親を批判したって、今後キラキラネームをつける親が出てこなくなるわけじゃない。つまり、キラキラネームを批判するならば、国に対して制度としてそういう名付けを禁止するように迫るのが1番適格な方法になる。実際に国が変わった名前を禁止すれば、もはやキラキラネームはこの世に存在できなくなるからだ。そういう批判をするならば個人的には理解できるのだが、現実的に行われている批判のやり方、批判をする矛先がキラキラネーム撲滅に寄与できない形で行われているからこそおかしいと思うのです。しかし、こういう批判の仕方がまるで正当性を帯びているかのような雰囲気になっているのが日本なのです。

 

選挙で女性が投票しないならば、選挙権を与える意味なんかない!というのは、個人的には悪口だと思っている。選挙に行かない人間が当てはまる層全体から選挙権を剥奪しないといけない理由を説明できない以上はそうなるだろう。選挙に行かない人間に選挙権を与えるのが無意味というのを仮に肯定したとしても、それは選挙に行かない人間からだけ剥奪すれば良く、何で女性全体からなんだ?という話でもあるし、女性の投票率がずっと低いとしても、毎回投票している、投票していない人間は入れ替わるはず。女性の中にも考えて考え抜いた結果、投票する場合としない場合を使い分けている可能性もある。その場合、投票しない女性は考えて投票しないという行動を選択したのだから。その当人にとっては投票しないことに意味があると思っているのだろうし、それを第3者が投票しない人間が価値がないと評価することが必ずしも正しいわけじゃないとなる。つまり、どっちにしろ、女性の多くがある選挙において投票率が低い現象が起きても、それは女性に選挙権を与える意味がないと論じることは無理だろうと思う。だから、こういう意見は間違っていると思う。それにさっき言ったように特定の投票率が低い層(女性という性別)からのみ選挙権を剥奪すべきと言う人がいるならば、そういう人はそれ以外の投票率が低い層(朝食にパンを食べている人たちなど)に対しては同様の意見は恐らく出ない。差別とも思える状況を肯定することになってしまうだろう。しかし、ちきりん氏はそういう間違っている思われる批判、差別的とも思える批判に備えて選挙に行くならば、その間違っていると思われる、差別とも思われる批判を正しいと肯定するということなんだろうか。

 

 

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