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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

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読書感想文はなんのために?やる意味ない?何を書けばいいのか?悩む時点で、洗脳と目的は同じで無意味だと思う

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小学校や中学校であるのかな?読書感想文って。読書感想文の目的って何なのか?やる意味あるのか?読書感想文はなんのために?と思いながらやっている人は多くいると思う。読書感想文は、私は高校のときに経験したが、読みたくもない本を読まされて感想を書かないといけない。それが宿題と言ってしまえばそれまでだが、感想と言われているのに、何でも書いて良いわけじゃないという。読書感想文は何を書けばいいのか?でまず悩む。何を書けばいいのか?で悩むって、もう感想でも何でもない。要は空気を読んだ感想を要求されているということになる。少なくとも、私が日頃から書いているような、常識に反することを書いたら成績に影響するか?呼び出しを食らうかされるだろう。空気の読めない価値観を持っていると、社会では苦労することが多い。夏休みの宿題の定番として定着している感はあるものの、私が読書感想文っていうのは何を書けばいいのか?迷う点も含めて、生徒側にとってそんなにメリットがあるものではないように思う。むしろ、読書感想文は何のために行われているのか?というと、メリットがあるのは学校側か、社会の側だろうか。読書感想文っていうのは、道徳の授業に近いかもしれないけど、ほとんど洗脳に近い授業じゃないか?と思う。実際、これで洗脳される生徒はいないものの、やっていることは洗脳と変わらないだろうと。ただ、洗脳しようとする内容が社会一般的に受け入れられやすいものだから、その洗脳に意義を唱える人が少ないのだ。

 

ニコニコ大百科の「読書感想文とは (ドクショカンソウブンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科」のページには、皮肉を込めて以下のように書かれている。

 

夏休みの宿題として主に出てくる。目的としては「読み書きの力を養う」といったところか。大抵は本を読んで原稿用紙数枚にその感想を書くという物。読む本は大抵の場合小説でなければならず、漫画はもってのほか。かと言ってライトノベルだと少しまずい。ハードカバーや名作と呼ばれる明治文学などが一般的。先生がたまに本を指定してくることもある。 読書感想文といっても、正直に「面白かった!」とかいう小学生並みの感想一文だけ書いて先生に提出すると通知表に「もう少し頑張りましょう」がつく可能性がある。かと言って、自己犠牲の尊さを語っている部分を指して「なんでこんな馬鹿な真似したんだか今の僕には理解できない」とか書くと呼び出しを喰らう可能性が高い。先生指定の本の場合はなおさらである。それも立派な感想だと筆者は思うのだが、よって指定枚数分の原稿用紙を、思ってもいないような肯定意見で埋めるハメ書く事になる。 また、語彙が少なく文章を書く力が身についていないうちにやらせることも多く、原稿用紙数枚文の文章というのは苦行となり得る。その苦行を通して読書嫌いになり、そして勉強が嫌いになるといういろいろ本末転倒なことになる可能性が存在する。筆者がその良い例である そもそもの問題としては、読書感想文のために読書を強要し、上記の問題にぶつかってしまった読書嫌いを作ってしまっては本末転倒であるように筆者は思える。

 

社会的に許容できないような感想は却下されるってことです。感想は感想なのだから、はっきりその感想が正しいか?どうかなんて議論する必要ないし、正しい感想、間違った感想なんか存在しない。それが本来感想というものである。そうすれば読書感想文で何を書けば良いのか?なんて悩む必要はない。だから、読書感想文は、読書感想文を出した時点で、全員一定の評価をすべきだと思うし、内容を吟味して評価を変えるのが腑に落ちない。正解、不正解を決めたいならば、感想文ではなく、論文とかにすべきの話になる。例えば、上記で書かれているような「自己犠牲は馬鹿だ」というような内容を読書感想文に書いたとしよう。この生徒は結構な確率で呼び出しを食らうだろう。しかし、「自己犠牲は馬鹿だ」という思想は間違っているだろうか?間違っている根拠はなんだろうか?感想文の前提なのだから、感想文を書いた本人に根拠はいらないはず。しかし、感想を否定する側は当然根拠を提示すべきだろう。その教師はどうやって説明するのだろうか?中学生とかくらいまでならば、一般的な社会常識のみで無理矢理納得させられるだろうが、私はいくらでも反論できる。自己犠牲をどう思うか?なんて当然人の勝手です。問題はそれが社会一般的に受け入れがたい価値観、相容れない価値観だということ。

 

ここが読書感想文が意味ないというか、生徒本人のためよりは社会の都合を優先されているな感じる部分でもある。こういう人間は、何の根拠もなく矯正の対象になりがちですよね。以前にも私のブログで書いたけど、学校の中で髪の染めるのがなぜいけないのか?校則で禁止されているのか?の理由は、やはり社会一般的に生徒が髪を染める風潮が根付いておらず、社会一般的に受け入れられないから。それによって学校の評判が落ち、経営を悪化させるから。私立の学校の場合には主にこういった理由になろう。端的に言えば、生徒が髪を染めるのはおかしいから。とかいう、すごい曖昧な理由なりがちでしょうね。それを「風紀が乱れるから」という理由に代えてはいるが、結局理由が曖昧であることには変わりはない。でも、生徒がなんで髪を染めたらいけないと思うのか?学校関係者じゃなくて、近隣住民に聞いてみたら何て返ってくる?まともな意見は返ってこないと思うよ。不良になりそうとか、イメージが良くないとか、結局曖昧な理由にしかならず、金髪や茶髪ではなく、黒髪じゃないといけない理由はもはやないだろう。生徒が髪を染めるというのは、見慣れない、風変わりな光景なため、あとは同調圧力が強い国民性の部分はあるだろうか?多数が受け入れがたい価値観は淘汰しようとする。学校はどうせ金髪の外国人が転校してきたら、髪を黒に染めろとは言わないはずで、外国人は金髪OK,日本人は金髪ダメって言うのならば、国籍によって対応を変えるならば、それはもはや人種差別だ。ここまで言えば、教師陣も、近隣住民もなかなか反論できないと思うよ。

 

その一環として行われているのが、道徳の授業や読書感想文な気がする。私も道徳や読書感想文の授業を受けて育ったが、その効果は出ていないと思う。自分の道徳心や価値観は社会一般的なものと比べて異質なものを持っていると感じるからね。読書感想文や道徳において、特定の考え方や価値観しか許さない学校側の態度があるのは、理由としてはここで育った人たちが将来犯罪者などに育ってほしくない、育ってしまうと困るという事情などもあるかもしれないけどね。そういう事情があるのはしょうがないと思うけど、別に異質な考え方を持った人間が、将来そういう人間になるか?どうかは別問題です。大切なのは、なぜそう思ったか?なぜそれを正しいと思ったか?であり、結論部分ではない気がするけどね。個人的には、異質な考えを持った人間は、むしろ天才肌なんじゃないか?と、逆に期待してしまう。多くが常識に沿った感想しか持てない中、まずその年齢で誰も思いつかないであろう感想を持っている生徒は、個人的にはすごい期待感がある。その期待感が良い方向に出るとは限らないものの。読書感想文は意味ないことを認めたうえで、学校とはそういう意味のないことを我慢してやる空間だとしている人もいました。でも、それは読書感想文を書くこと自体の話であって、読書感想文の感想の中身まで指定されないといけない部分とは、また次元が違う気がする。

 

あと、挙げられている読書感想文をやる意味や目的としては「本を読んで知識をつけてほしい」というものがあるが、別に漫画だって良いと思うんですけどね。漫画でも知識はつきますよね。それこそ、そもそも読書である必要もない。ゲームだって、スポーツだって、遊びだって、何らかの知識はつくんじゃないか?漠然として何かの知識で良いならば、それこそテレビを観ているだけだって良いはず。読書に、しかも活字のものに限る必要はない。あと、読書感想文はなんのために行われているのか?の理由として「文章を書くための練習」という声もある。確かに、文章を書く練習という意味では、練習にはなっている気もするが、多くて1年に1回程度の文章の書く練習が、練習として機能しているのでしょうか?それだったら、もっと頻繁にやるべきでは?読書感想文レベルじゃなくて良いから、1週間に1回何かの感想を書かせるとか。読書感想文が実際文章を書く練習になっているか?っていうと、なっていない気がするし、私は高校生の頃からブログ書いていたから、それで十分練習になっていると思う。全然文章は上手くならないけどね。そもそも、私は言いたいことを書いているだけで、上手い文章を書こうという意識がないので、当たり前かもしれないが。

 

それに文章を書く練習は読書感想文を書いた時点で全うできているわけで、中身の感想にいちゃもんをつけられる謂れはない。やっぱり、私にとって読書感想文は無意味な時間のように感じていますよ。読書感想文って、ほとんど慣習で続けられているものに思えてくる。それこそ年賀状とかと変わらない、別に年賀状も出さないといけないわけじゃないが、慣習が存在するからその慣習が存在するコミュニティの中で出さないと、のけものにされるようなものだろうか。読書感想文も私は無意味だと、少なくとも生徒にとっては意味ないと思っているけど、いつからあったんですかね?というくらい続いているんだろうから、急には止められない。読書感想文の目的を教師らに聞いたら、一体なんて返ってくるのか?非常に気になるところではあるが、少なくとも合理的な読書感想文の目的や意義を示せない教師は、読書感想文が教育になっていないことを認めてしまうことになるだろう。教師としても学校から言われたことを指示しているだけかもしれないが、子供の頃に受けた学校教育の無意味さに大人になってから気付くって、本当に何のために子供の頃に教育を受けたのか?分からなくなる。

 

 

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