就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

PC作成の履歴書や推薦入試は手抜き、楽をしている、せこいという謎の風潮のおかしさ

【スポンサードリンク】

効率化と手抜きって言葉は似て非なるものなのかもしれないが、区別が難しい。手抜きは否定され、効率化は賞賛される風潮にあるが、その境界線は一体どこにあるのか?の議論はほとんどされない。基本的にそれぞれが主観で考えているからだ。したがって、私は効率化という言葉も手抜きという言葉も使うべきじゃないと思っている。効率化と手抜きのそれぞれの定義やボーダーラインなんて存在しないんだから、この言葉を使うってことは、感情論にしかならないのだから。問題はある行為が手抜きか?効率化か?どっちに当てはまるか?ではなくて、その行為がどういう結果を生むか?で判断をすべきだろうということです。ある行為が手抜きと評価されても、それをした結果何の問題も起きないならば、その行為を手抜きと評して否定する理由はなくなる。つまり、手抜きの何がいけないの?となる。こういった例でよく挙がるのは履歴書の問題で、PC作成か?手書きか?という問題として議論されることも多いです。

 

だいたい手書き推奨の方が割合としては多いのかな?そして、彼らがPC作成を否定する理由の1つには「手抜き」が挙げられる。PC作成が手抜きに該当するか?どうかは、先ほど言ったように感情論の域を出ないので、そこについては無視で良いと思う。問題はPC作成の履歴書を提出して、一体何が問題か?ということ。問題点を挙げられて、それが現実的に起こりうるものだとして認められて、かつ一定以上の深刻な問題だと思われるならば、PC作成の履歴書が否定される理由になるでしょう。しかし、普通に考えたらPC作成の履歴書がそういう問題を生じさせるとはあまり思えない。問題なんかないだろうね。あと、手書きの方が熱意が伝わると採用担当の人間が言っていたりすることもあるけど、PC作成が相対的に熱意が伝わらないっていう人間は、履歴書を作る手段の部分しか見ていない。つまり、視野が狭いってことです。PC作成をして来る人間の中には、字が汚い人もいるはずで、そういう人間は字が汚い履歴書を渡すくらいならば、見やすいPCで作った履歴書を渡す方が良いと考えるかもしれない。これはより見やすい履歴書を相手に渡すための努力なのだから、熱意ととれるはずだ。また、PC作成の方が手書きよりも時間がかからないはず。そうなれば、より多く残った時間で志望動機とか、自己PRとかをより魅力的に見せる努力をする余裕が生まれる。そうやってより多くの時間をかけて内容を練った履歴書は熱意があると言えると思いますけどね。

 

あと、例は変わるけど、たまに大学受験とかにおける推薦入試がせこいと批判する人もいます。せこいという問題は手抜きと効率化の問題とはやや性質が違うかもしれないが、似ている例だとは思う。推薦入試で大学に入る人間をせこいと思う人の理由は、一般入試と比べて手間がかかっていない、楽をしていると思っているからではないでしょうか?つまり、手抜きってことになると思う。しかし、本当に推薦入試って楽なんですかね?狙っている大学のランクにもよると思うけど、私は推薦入試はほとんど受からないと思う。それは面接とか苦手だから。私の場合には間違いなく一般入試の方が良い大学に入れる確率は高かったと思っています。一般入試と推薦入試はそれぞれ受かるのに必要な能力が違う。一般入試は完全に学力重視だが、推薦入試は学力よりも人物重視に傾いている。つまり、それぞれの入試形式に向いている人間がそれぞれを受ければ良いだけであって、そこにせこいとかの問題はないと思いますけどね。この状況をせこいと言うならば、偏差値が50程度の人が偏差値60以上の大学を受けないで、50近辺の大学しか受けないのもせこいって言えると思います。偏差値50くらいの人は偏差値が50くらいの大学の入試には向いているが、もっと偏差値が高い大学の入試には向いていないってことになる。向いている入試を受けるのが大学受験の定石になっているならば、同じく向いている試験方式を選んで受けるのも何がいけないのか?となる。実際、推薦入試とか、AO入試とかで入る人間は面接とかの人物試験に長けた人間だと思う。特に有名大学の場合には尚更です。

 

私には推薦入試やAO入試は無理だね。私が向いていない推薦入試やAO入試を受けないで、向いている一般入試を受けて大学に入ったのはせこいとは言われないが、これは結構謎ですよね。それに推薦入試の方が楽をしているからせこいと言われるならば、例えばMARCHを目指して勉強している生徒は、早慶を目指して勉強している人間から見れば、よりランクの低い大学に入ろうとしているわけだから、楽をしていると言えますよね。早慶に入るための勉強よりもマーチに入るための勉強の方が基本的に楽だろうから。さらに言うと、早慶に入ろうと勉強している生徒は、東大に入ろうと勉強している生徒からは同じように楽に見えますよね。すると、国内で言えば、東大を目指して勉強している人間以外は全部せこいと言えてしまいます。これは正しいのでしょうか?推薦で入るのが楽っていうのも結局は幻想だと思います。名前も聞いたことないような大学ならば確かに推薦で入るのは楽かもしれないが、そういう大学は一般入試で入るのも楽でしょう。大学のランクによって、楽になったり、難しくなったりするのは推薦も一般入試も同じです。そして、一般入試と推薦の間ではそもそも必要な能力が違うため、どっちが楽か?楽じゃないか?は比較ができないと思います。

 

そして、大切なのは推薦入試の方が仮に一般入試と比較して楽だとして、手抜きだとして、何がいけないのか?ということです。同じ結果を手に入れるために、一般入試よりも推薦入試の方が楽で簡単ならば、当然こだわりがない人以外は推薦入試を選びますよ。それの何がいけないのでしょうか?同じ金額を当てる宝くじの売り場が2つあって、一方は確率50%、もう1つは確率10%で当たるときに、確率50%の売り場で買う人はせこいのでしょうか?この場合、確率10%の売り場で買う人間に対して、世間は恐らく「せこい」ではなく、「バカ」と揶揄しそうな気がするんですけどね。何でわざわざ損をするほうに動こうとするのか?ということでしょう。履歴書の手書きとPC作成の問題も同様な気がします。同じ結果をもたらすのに、何でより手間がかかるほうを優遇しようとするのか?人事に聞きたいのは印象論ではなくて、その人を優遇して一体何の意味があるのか?ということ。手書きの方が印象が良いというのは、人事の問題だけであって、会社に良い影響を与えるわけではない。手書きの方が印象が悪い人も社内にはいると思うし、手書きの人を優遇する意味とは何なんだろうか?PC作成の履歴書の人を優遇する意味は、ビジネス文書を作成することができるという点において意味はありそうだが。

 

 

 

あわせて読みたい記事