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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

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龍谷高校が地方予選を辞退!高校野球の連帯責任の慣習は解決策にならず反対だ

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佐賀県龍谷高校の野球部員のうち、5人の3年生が部室でタバコを吸っていて、それが原因と思われる部室の小火騒ぎがあったという。それを受けて龍谷高校は甲子園への地方予選の準々決勝を辞退するということを発表しました。毎年、こういう連帯責任とらされるの事件は多いなという印象だが、何で連帯責任なのかな?と思うケースも多々ある。一部の部員が起こした事件によって、全員の出場が叶わなくなるということが毎回起きているわけではないものの、そうなっているケースもある。今回はそのケースだったわけだが、やっぱりこの連帯責任の風潮は腑に落ちない。こういうやり方に賛同している人間もいるし、そうじゃない人間もいるみたいだが、私が真面目に過ごしていて、こういう連帯責任に巻き込まれたら、正直言って高校を恨むと思う。タバコを吸って不祥事を起こした当該生徒ではなく、高校を恨むと思う。それはやり方がおかしいと思うからだ。

 

タバコを吸った生徒が悪いという前提はあるにしろ、でも彼らが責任をとるべきなのはタバコを吸ったことによって自ら招いた範囲だろうと思う。それはせいぜいタバコを吸ったことによる停学処分や部室で小火騒ぎを起こしたくらいであって、高校が準々決勝を辞退したっていうのは、高校側の匙加減であって、当該生徒のせいではない。だから、私はそんな対応を取る高校に対して強み憎悪を持つとともに、そんな高校のために甲子園に行きたいとは思えないだろうね。母校とすら思えないだろう。こういう野球部などの連帯責任をとらせるやり方に賛同している人たちの中には、野球がチームスポーツなのだから、一部の部員が起こした不祥事をチーム全体がとるのは当たり前だ。としている人もいたが、これはっきり言って意味が分からない。チームスポーツだったら何で連帯責任が許容されるのよ?逆に個人競技だったら同じ部活の仲間たちは連帯責任を負わないのが当然ってこと?この差はなんなの?チームスポーツはチームの1人がミスをしたりすると、それがチーム全体の影響になるっていうのは確かにあるが、それはそのスポーツのルールだからですよね。

 

しかし、チームの1人が不祥事を起こしたら、チーム全体を責任をとらないといけないというルールはあるのでしょうか?何かよく分からない解釈で、チームスポーツは連帯責任が当たり前だと主張する人がいるが、理屈に全く沿っていないと思う。あとは与えた社会的な影響が大きいのだから、連帯責任は当然だとする意見もある。これも結局与えた影響が大きい=連帯責任を肯定する理由になりません。影響が大きいとなぜ個人じゃなくて全体が責任をとらされないといけないのか?説明してもらいたい。今回の騒動は部員がタバコを吸ったことと部室が火事になったことくらいで、社会的な影響が大きいとはあまり思えない。学校の中の問題じゃないか。消防車が出動したかもしれないので、税金がかかっているなんて意見もあったけど、それが社会的影響として責任をとらされないといけないならば、当然救急車を利用している人たちも同じだ。彼らも何らかの責任とれという話になる。で、実際に彼らは何らかの責任とっているんですかね?とっているわけないですよね。何で救急車はOKで、消防車はダメなのか?

 

冒頭でも話したが、私は昨今の高校野球などの不祥事による連帯責任の風潮はおかしいと思っている。高校側が勝手に判断したことなんだろうけど、そう判断した真意が何も情報がないので、尚更ワケが分からない。なぜ連帯責任をとらせて、理不尽な目に遭わそうとするのか?社会の中ではそういった一部の人間の起こした問題で、全体が責任をとらされることがよくある。だから、これも正しいんだ。なんて意見もあったが、これこそ謎でしょう。そういう現実が実際にあるのはその通りだと思うが、その現実は何で正しいのか?となる。サービス残業が罷り通っていれば、それも=正しいことになるのか?これは法律違反だから正しくないとなるかもしれないが、じゃあ犯罪に該当しないいじめとか、差別とか、セクハラ、パワハラとか、挙げたらキリがないと思うんだけど、理不尽に思いつつも、いろいろなところでよく起きていることってあると思うんですけどね。それらは正しいのでしょうか?世の中でよくあることが=正しいとなるはずもなく、正しいか?正しくないか?は、法律によらないものであれば、絶対的な正解はないだろう。だから、少なくとも世の中で連帯責任をとる現象がよくあったとしても、それは半ば慣習によるものならば、それ自体が正しいことにはならない。彼らが正しいと思ってやっているに過ぎない。だからといって、連帯責任をとらせないのが正しいという根拠にもならないが、連帯責任をとらせるのが正しいという根拠には少なくともならないだろう。

 

 そして、高校野球の問題に限らないけど、こういう連帯責任って一体何の意味があるんですか?会社とかでも、社員が起こした不祥事に社長が辞任したりすることがあるけど、あれって何の意味があるの?と思います。それは何の解決になっているの?と。それで今後不祥事が起きないことになるの?関係ないですよね。大切なのは不祥事を起こさない仕組みの徹底と教育の問題であって、トップが辞任する、しないはほとんど関係ないと思うんですけどね。そのトップじゃなかったらその不祥事は起きなかったのか?そして、辞任した時点で、次はもっとマシなトップの候補がいたのか?そこまで考えて連帯責任で辞任をしているケースなんかまずないと思うんだけど、これって何も考えていないでただ辞任しただけって感じで、全く無意味だと思うんだけど。辞任の意味がまるでない。責任を取れば、辞任をすれば許されるみたいな風潮は合理性の観点から言っても意味が分からないし、せめて辞任をしたら状況が確実に改善されるというケースのみで辞任をすべきだと思うが、そんなケースはありえるのか?今回の佐賀県龍谷高校の連帯責任の辞退の問題でも、関係ない部員を巻き込んで辞退をして何の解決になるんですか?以降、不祥事が起きないようになるんですか?関係ないですよね。大切なのは過ちを繰り返させないことじゃないんですかね?懲罰も必要かもしれないけど、それは当該生徒だけにやれば良いものだと思うのだが。関係ない生徒を巻き込んで、私みたいに憎悪を膨らませるだけじゃないかと。そうなれば、高校とかに恨みを持った生徒、または親などによる違った問題が表面化するかもしれないですね。高校ガの辞退は問題の解決とは全く関係ない対応であり、それどころかまた新たな火種を作っているに過ぎないと思うんですけどね。

 

 

「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学

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