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挨拶はして当然?挨拶をしない人、できない人の少数派の気持ちが尊重されない社会

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イケダハヤト氏のブログに「「挨拶ができない」ことに悩む必要などない。 : まだ東京で消耗してるの?」というエントリーがあったから、それについて自分でも考えてみたのだが、挨拶って何なんですかね?挨拶の意義っていうのは、恐らくお互いが気持ちよく過ごすために存在しているマナーのような存在で、挨拶をしない奴はけしからん!とか言う人は確かにいるけど、何でけしからん!なのかね?これが仮にマナーの一種なのだとしたら、挨拶をしない人っていうのは、その点に関して言えば他人と上手く付き合う気がない人間とは言えるかもしれない。でも、挨拶をしないことが=悪いことか?というとそうではない。そりゃ誰だって付き合いたくない人間はいるだろうよ。そういう人でも、表面上は穏やかな関係を維持するために、仕方なく挨拶をしている例もあるだろうが。挨拶は重要なものっていう認識は所詮は風潮でしかないと思う。これは1人1人が挨拶は重要だと考え方結果、社会の中で1つのまとまりの大きな風潮になっただけじゃないか?と。

 

>「ちゃんと挨拶しろ」みたいな説教って、いまだにまかり通ってるじゃないですか。あれ「日本軍かよ!」って感じの古さがありますよね。

そもそも、超上から目線。

「ちゃんと挨拶しろ」みたいなことを言う人は、前提として「挨拶ができない人間は劣っている」という思い込みのなかに生きています。 挨拶は「できた方がベター」ですが、別に、できなくても仕事はできますし、生きていけます。 ぼくなんかろくに挨拶できないですよ。妻からいつも「人の目を見て話さないよね」と言われてます。 「仕事をする上で挨拶は必須だ。挨拶ができないやつは人間としてダメだ」という狭い世界で生きている人とは、できるだけ距離を置きたいですね。

オレに対して敬意を見せろ、という意識が透けて見える

「ちゃんと挨拶をしろ」という説教は、ようするに「敬意を忘れるな」と伝えたいわけですね。 これはまぁ、同意しますし、正論です。他者に対する敬意はたしかに大切。 しかし! そういうおっさん的説教の背後には、「(オレに対する)敬意を忘れるな」という意識が透けて見えるんですよ……。気持ち悪い! もっともらしい説教で相手をコントロールするのは卑怯です。 いっそのこと、 「オレは正直、おまえの態度の不快感を抱いた。オレに対しては、ちゃんと挨拶をするように心がけろ。その方がオレは仕事がしやすいんだ」 とかなんとか、包み隠さず伝えてくれればいいのに、って感じ。 それを変に恩着せがましく「"世の中"は挨拶が重要だ。おまえは挨拶に気を配った方がいい。」と、大きな主語で善人ぶって伝えるのは、どう考えても卑怯者。 個人対個人ではなく、個人対集団という構図に逃げ込んでいるわけですね。あぁ、鳥肌が……。

 

以前、「敬語」についても書いたんだけど、敬語に関しても使わないといけない感じになっている。もはやルール同然になっている。ルール化されているわけでもないけど、マナーというよりはルールに近い。年上の人間にタメ口を使ったら無条件で怒られるだろう。でも、何で敬語を使わないといけないのか?っていうと、理由は説明できない。ルール化されていないことだから、「そういうもんだ」というしかないだろう。つまり、これもイケダ氏が言っていることと同様で、言われた側が不快だから。という理論が正当化されているに過ぎない。敬語を使ってもらえたほうが気持ちよく仕事ができるっていうのはあるだろう。でも、変な話ですよね。タメ口を使われた方が不快だから敬語を使わせるとなると、敬語を使いたくない人間に敬語を使わせれば、その人は不快ですよね。何でこっちには不快を背負わせて良いのかな?と思うんですよね。挨拶に関しても小さい頃から教育されていくと思うけど、これも何だかな?って思いますよ。教育っていうか、同調圧力を加えているという言い方の方が正しいだろうか?挨拶ができない人間よりは挨拶ができる人間の方が、世の中を生きやすくなるっていうのはあるが、その前提として挨拶を強要する社会自体の正当性はまた別なわけだ。

 

挨拶を強要する社会が存在したうえで生きていかないといけないから、幼い頃から挨拶ができるような人間にしていく。というのは合理性の面から言うと正しい。しかし、正義の面、感情的な面から言うと、挨拶がしないといけない社会の必要性って何なの?という疑問が沸く。感情によって動くのが人間だから、そんな疑問をぶつけても社会が変わるわけないんだけど、例えば学校に行くといじめられるから、あなたは家でじっとしておきなさい。と親が子に言ったとする。これは学校に行けばその子は十中八九いじめられるならば、学校に行かせないのは正解かもしれない。でも、腑に落ちないんじゃないですかね?何でいじめられている方が我慢をしないといけないの?と。悪いのはいじめる方じゃないの?と。さっきの例で言えば、挨拶を強要する社会の正当性を説明できないならば、挨拶ができない人間よりもそっちの社会の方が悪いって言える可能性もあるわけだ。実際、多くの人間は誰とでも挨拶を交わしたいとは思っていないと思う。挨拶が苦手っていうのもあれば、特定の人間とはあまり付き合いたくないと思うのが自然だろうから。誰だって嫌いな人間はいるはずなんですよね。つまり、挨拶をしたくない人間はいて当然なのだが、そういう人間とでも上手く付き合うために挨拶をしないといけないと教え込まれてくると思う。それどころか、今後一生会わないんじゃないか?と思う人間とも挨拶しないといけない可能性もある。

 

イケダハヤト氏は「恩着せがましい」という表現を使っているけど、それにちょっと同感できるんですよね。挨拶って、してくれた相手に返さないと相手は多分ムッとすると思うんですよ。ムッとした結果、怒り始める人間もいると思います。した挨拶は返さないといけないような風潮が実際あるわけじゃないですか?こっちがしたんだから、お前もしろよ!という空気は、イケダ氏が指摘するように恩着せがましい雰囲気はある。それが嫌だから、私は基本的にこっちから挨拶はしない。挨拶をされたら一応返すが、こちらからはまずしないですね。最後にこちらからしたのは多分バイトをしているときですね。上司とかに対してだけど、しないといけないような雰囲気だからやっていた感じだけど、やりたくてやっていたわけではない。敬語もそうだけど、挨拶をしない人間は少数派みたいな感じだから、そこが理由で叩かれている印象なんです。挨拶をしない人間は相手への敬意がないと言われることもあるかもしれないが、敬意っていうのも大切な気持ちではあると思うが、強要する性質のものにも思えない。敬意を示せない相手に無理矢理示した表面上の敬意は、実質敬意ではないですよね。その敬意は、本来の敬意というよりは、敬意を示してもらった側の自己満足にも近い気がします。挨拶って実際そういう自己満足の領域かもしれないけど、ある意味幼い頃から学校で誰とでも仲良くするように教育されると思うんだけど、それが現実離れしていると思うんですよ。そういう教育を受けて大人になった人たちが、実際に今を生きる社会で誰でも仲良くしたいと思えますか?思えないでしょう。嫌いな人は嫌いでしょう。仕方なく、立場上そういう気持ちを表面に出せないという事情があるだけで、関係を切れるなら切りたいと思っている相手っていくらでもいると思うんですよね。それを無理矢理くっつけて和ませようとする感じが学校の教育であり、その一環として「挨拶」という文化が存在しているのかな?と思えてきます。挨拶が本当にマナーとしての意味で存在していて、お互いが気持ちよく生活するためのものならば、身体障がい者のためのバリアフリーみたいに、挨拶ができない、したくない少数派の人間の気持ちも尊重してやる気持ちも必要な気もしますけどね。そういう多様性に寛容な社会というのは、そう簡単には生まれないとは思いますけど。

 

 

 

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