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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

親が給食費を払わないことで給食が食べられない子どもが可哀相とは限らない

大学生活、教育問題
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給食費未納問題で給食を取り上げられる子どもがいることが問題視されるような記事をまた最近も見たのだが、同じようなことを思っている人もいるかもしれないけど、給食ってあまり好きじゃない。だから、私の場合には取り上げられてくれた方が良かったという思い出もある。今でもある程度鮮明に覚えているが、私は子供の頃から牛乳が大嫌いで、給食では牛乳がほぼ毎回出ていて、私は本当に大嫌いだったので、残していたんですよ。でも、小学校3年生のときの担任が結構厳しい人で、ある日私が毎回給食で牛乳を残していたことを気付いたみたいで、「おい!〇〇!お前はなぜ牛乳が飲めないんだ?理由を教えろ!」みたいなことを言われたことがある。理由なんか嫌い以外にあるはずないだろ。そんなことも想像つかないのか!と今なら言い返してやるところだが、小学校3年生にそんな思考能力はないので、何て言い返したか?覚えていないが、その日以降、パワハラのような当時の担任の言い方に脅迫される形で、しぶしぶを牛乳を飲み始める。

 

やっぱりまずかった。ということで、できるだけ味を感じないために舌には一切触れないように牛乳をただ飲むだけの作業を毎回繰り返していたけど、今思えばあの担任はありないだろうと思っている。ただ、なぜか小学校6年間の中で、あの担任のときに1番の成績を出したのは謎だったが。私の場合には牛乳は未だに嫌いで、ずっと飲んでないし、これからも飲むつもりはない。それどころか、私は給食がそもそも好きじゃない。正確に言うと好きなメニューもあれば、好きじゃないメニューもある。当たり前と言えば当たり前だ。自分で食べるものを指定できないのだから、そうなるに決まっている。今は好きなものしか基本的に食べないし、マジで給食は困っていましたよ。中学校になると弁当に変わって、嫌いなメニューは消え去ったが、また飲み物は牛乳しか出ない。牛乳嫌いの子のことを何も考えていないんだなと思った。その腹いせのつもりもあるけど、中学校卒業以降は一切牛乳飲んでないんですね。高校も弁当だったけど、高校からは飲み物も自由だったから、もちろん牛乳を飲んでいる人は周りにいないし、自分も飲んでいない。

 

私は給食全般に不満だったので、そもそも給食が食べられないということも一定のメリットを感じてしまう。はっきり言ってコンビニ弁当の方が美味しいと思う。これはマジで本音です。だから、弁当にすると親の手間とか、負担が増えるから難しいならば、コンビニ弁当にさせてほしかったくらいだ。当時の給食と今の給食は多分違うんだろうし、コンビニ弁当の方が美味しいだなんていうと、作っている人が可哀相と思うかもしれないが、個人の好みの合わせて作っているわけではないので、そこは当然だと思う。味も美味しくなるように追求はしているだろうが、栄養面が第一に考えられているというのもあれば、そもそも一律に支給するしかないので、特定のメニューを苦手な子がいて当然なのだ。つまり、私が給食よりもコンビニ弁当の方が美味しかったと思ってしまうのは、給食というシステムに問題があるのです。コンビニ弁当は結局、こっち側に選択権があるから、美味しいと思えるものを選べるというのが大きい。給食費未納問題で、子どもが給食を食べられないという光景が可哀相という声もあるみたいだけど、給食を食べさせられることの方が可哀相な子どもが絶対にいるはず。

 

給食というシステムを廃止しろとは言わないけど、食べるものは自由に決めさせろと思う。給食が良い子は給食で、弁当などの方が良い子はそっちにさせてやってほしい。分別がついた今ですらも、私は栄養面よりも美味しさを追求してますからね。栄養がいくらよくても食べるのが困難なものはさすがに無理です。しかも、それにお金を払うだなんてありえない。ただ、キャラ弁とかにも厳しい規制を入れている昨今の教育事情を鑑みると、結局一律で給食支給か、一律で弁当にするか?の極端な制度しか無理だろうなとは思うし、弁当でも何でもありではないんだろうから、すごいものを持ってきた人がいたら、キャラ弁みたいな感じで、禁止にされる可能性も高い。給食費の未納の問題に関しては子どもが食べられないことの是非もあるが、親が払わないのだから食べられなくて当然という意見もあれば、子どもに親の功罪を背負わせるの理不尽という意見もある。子供が味わっているのはどちらかという連帯責任に近い。子どもは食事を権利はあるはずで、それが誰が負担をするものか?という話です。どっちでも良いから負担をしろという権利はあるはずなんですよ。

 

ここでいう子どもは親の連帯責任をつかまされているだけだと思うのですよ。親が子どもを虐待していても、食事を与えないでも公的な機関は一切関知しません。というスタンスなら別ですけど、そうじゃないならば給食を食べられない子供がいる現状で、ただ給食を取り上げて終わりじゃ意味が分からない。個人的には給食になぜお金がかかるのか?の方が分からないのだが、理屈としては給食費を払わない親がいた場合には子供には給食を食べさせた上で、親から徴収をする。また支払いが厳しい現状があるならば、生活保護などを受給させる。といった策が必要なのではないか?と。結局、何で子どもが割を食うのよ?という疑問は永遠に消えない。子どもを産んだ親は子どもを育てる義務があるという観点からは給食費を負担するという義務も見出せなくはないが、少子化対策を進めて、子どもを産ませようとしている側にも同様のことは言えるので、結局学校側が給食を取り上げるっていうのはありえない措置でしょうね。私みたいに給食が嫌いな人間にとっては必ずしも悪い措置ではないかもしれないが、給食を欲している子どもいるはずですから。学校に通うことにお金がかかること自体が私としては改善した方が良いのでは?と思う。結局、ある程度の年齢になるまでの子どもは大人の形振りに人生をそのまま左右されがちなのだから、責任の所在はともかく、子どもが影響を受けないような、システムは作ってもらいたいと思う。

 

それは結局給食を支給するという形ではそもそも機能しないという可能性もあるから、結局は別の策が必要になる気はしてくるが。この国では旧態依然のシステムがそのまま残っているようなところがいろいろなところに見出せると思うが、給食っていうのもその1つだと思う。給食を与えないのが虐待だと感じる人もいるかもしれないが、給食しか食べるものがないのも虐待を感じる人もいるということ。給食には給食のメリットもあるのだろうが、メリットがいくらあろうが、食べたくないものを食べさせられることほど苦痛はない。残してお腹が空くならばまだしも、私もみたいに無理矢理食べさせられることもあるのだから。当時の担任の対応は、大人になった今でも間違っていると思っている。学校側の対応でトラウマに子もいるかもしれないね。学校っていうのは、はっきり言って会社よりはマシかもしれないが、また通いたいと思える場所ではないね。大学とか、高校はともかく。結局、自由がないっていうのはそれ自体が無茶苦茶ストレスが溜まる要素になるってことでしょう。

 

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