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息苦しい社会の同調圧力が嫌い、気持ち悪い、ウザいとする原因は出る杭を打つ教育にある

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日本は同調圧力がとても強い国だと言われています。同調圧力自体は別に他の国でもあるんだろうけど、この同調圧力は息苦しい世の中を作っている所以だとされている。同調圧力って、基本的にその圧力をかけること自体に何かメリットが存在するものではないですよね。メリットがある場合もありそうだけど、自己満足の部分も強そうな気もしてきます。同調圧力をかける側の言い分はたいてい矛盾を生む。同調圧力はそれ自体の合理性よりは、感情的な部分が優先されていることも多いと思うから、結局頭の良い人に反論されるとどうにもならなくなる場合もあると思うが、そこは数で押し切るというのが常套手段なのだろうか?例えば、私が見た例では、あるブログで紹介されていた記事で、海外のYoutuberが自宅の庭に、空気を入れて作るタイプの簡易プールを膨らませて、その中に溢れんばかりのコーラを入れて、浸かるという映像を流していたらしい。しかし、その映像を見た視聴者は、その投稿主を批判するコメントが多く寄せ、中でも印象的なのは、コーラの使い方がもったいないというものでした。この類のコメントは日本人も多く投稿しており、海外の貧しい国では今日を生きる飲み物すらないような人間が多くいるのに、そんな使い方はあるか!みたいなことを言っていたのだが、私は「は???」って感じでした。

 

同調圧力を私が嫌いだとする理由にはこういう都合の良いことしか言わないという部分があります。結局、彼らが批判する理由はコーラは飲むためのものであり、プールに使うものではないという勝手な固定観念を他者に強要しているのです。でも、水のプールに入っている人は山ほどいるんだけど?そして、水もコーラと同じ飲み物なんだけど?水でプールを楽しむのはよくて、コーラは何でダメなの?私と同じような発想の人間もわずかだけどいて、コメントしてるのが見られたが、大半はさっきみたいな批判ですね。水を使ったプールなんて毎日誰もが利用している。そこで批判をしていた人間もこれまでに水のプールなんてどれだけ利用してきたんだ?と思います。水がよくて、コーラがダメな具体的な理由はあるのだろうか?結局、同調圧力が嫌いな人を増やす理由の1番の部分で、都合の良いことしか言わないのです。同調圧力は気持ち悪いどこじゃなくて、嫌悪感以上です。水のプールはみんなが使っているからOKだが、コーラのプールは多くは使わないからNGとする。そこに具体的な、合理的な理由はまるでない。水のプールは擁護し、コーラのプールを排除する同調圧力が生まれる理由はそこなのでしょう。だいたい、仮にコーラを飲み物として利用しても、そこにもったいない状態は普通に生まれているわけですけどね。多くは気付いていないが。

 

例えば、コーラを例にすると、コーラは喉が渇いたときにも飲むし、そうじゃないときにも飲むと思います。コーラを飲むときには自分が満足するまでとりあえず飲みますよね。実際、先ほどのような貧しい国の人たちを引き合いに出すの出れば、ここで出させてもらいたいと思いますけど、貧しい人たちが仮にコーラを飲むとしたらどういう飲み方をするでしょうか?私が仮に貧しい国の人たちだとしたら、2、3口飲んで終わりですね。後はとっておきます。なぜか?彼らの状況は飲み物や食べ物が満足に手に入る状況ではないからです。だから、生命維持に必要な量だけを飲んで、あとはできるだけとっておくようにします。つまり、喉の渇きが完全に言えるまで、満足するまで飲むなんてことは考えづらいのです。しかし、私たちが普通にコーラなどを飲むときにはそんなことを考えて飲んでいないでしょう。だから、好きなだけ飲みます。しかし、境遇が違うひとからしたらそれはとてももったいない行為にもなるわけです。だから、コーラをプールに使うのがもったいないと批判する人も、コーラを日常的に飲んでいる行為そのものが、誰かにとっては同時に批判の対象になってしまい、結局やっていることはどっちももったいないということになってしまいます。にもかかわらず一方だけをもったいないと批判するならば、その同調圧力は気持ち悪いというか、意味が分からないって感じでしょう。どちらもコーラは自分の満足度を高めるために消費されており、一方はプールに使い、一方は飲むという手段で使っているだけ、どちらも貧しい国の人たちのような生命維持としての目的では使っていないはず。だから、両方が批判されたり、両方が擁護されたりということはあっても、一方が批判されているという現状はおかしいわけです。

 

実際、コーラをプールに使うのはダメで、飲むのはOKという同調圧力が世界中で存在しているのかもしれないが、同調圧力はどんなものであっても嫌いです。私はコーラをプールに使うことは何とも思わない。ちゃんとお金を出して買ったものをどう使うか?は所有者の自由だ。ある行為がもったいないか?どうかは個人の主観の域を出ない。しかし、その主観を基準にした同調圧力は息苦しい世の中を作り出し、少数者を蹴散らすための道具にもなっているのが現状なのです。同調圧力は多数派の正当性の力になりうるもので、数の暴力にもなりうる存在でもあります。どういう風に圧力をかけるか?にもよりますけど、今回みたいに直接文句を言われると、同調圧力は息苦しい社会をどんどん作っていくことになる。正解がない事柄に正解を設定して、それを強要する人間がいる限りは、同調圧力というか、価値観の押し付けは今後も続くでしょう。同調圧力はそれを嫌いとする人間がいる一方で、それを仕掛ける側が常にいるので、しょうがないでしょうね。ある意味法律とかも同調圧力の1つになりうる存在だが、私は教育そのものが同調圧力を生む原因の根底にある気がしますよ。同調圧力が気持ち悪いと感じる人を生んだり、そういう圧力自体を生む原因としてあるのは幼少期からの教育だと思います。

 

日本の教育そのものが同調圧力を呼ぶきっかけにはなっていると思います。大人になってみると日本の教育は間違っているというか、とても非現実的なことを教えているなと思う面があります。それが結局仲たがいを許さない点です。クラスのみんなが仲良くなんて、大人でもありえないような理想論を実現しようとする姿勢は、時間の浪費どころか、単なる人と違うことを許さない人間の根源になっている気がするのです。子供の頃は何でもかんでもみんなと同じことを強いられる。キャラ弁が禁止されたりするのも、教師が出る杭を打っている状態と変わらない。だから、大人になったときにうざいと思われるほどの同調圧力に加担する人間が増えるのです。同調圧力は嫌いという人も多いが、私自身はそれを生み出す教育のあり方自体が嫌いだ。社会がそもそもみんなと同じように学校に通わないとまともな人間扱いされないこと自体もどうかと思うが、それ自体も1つの同調圧力でしょうね。例えば中卒の人間は就職活動すらままならないかもしれないけど、それは中卒の人間とそれ以外の人間を差別しているから。しかし、そこに合理的な理由があるわけではない。大卒の人間と中卒の人間を比べて、後者が劣っていると見るのが日本の企業だが、そこに具体的な説明はない。中には専門的なことを学んでいる大学を出ている人間はそれだけ仕事ができると言う人もいるが、一体どの専門分野がどこで生きるというのか?と聞くとくちごもってしまう。そもそも文系の場合には特定の学部に固執することなく、分け隔てなく採用している現状では専門性に注目して企業が採用しているとは思えない。

 

結局、そこにあるのは中卒の人間が少数派であり、そんな人間はおかしいという同調圧力の賜物であろう。こういうところが同調圧力の嫌いなところかもしれない。結局、さっきのコーラの例と一緒です。合理的な理由なんかないんです。髪を染めたらいけない理由、学校に関係ないものは持って来てはいけない理由、買い食いをしてはいけない理由、シャーペンは使ってはいけない理由などはほとんどが、単なる好き嫌いと先入観なんですよ。同調圧力が当たり前だった時代からうざいと思う人が増えてきたのは、結局個性を主張させろという側の圧力があるから。同調圧力を生み出す教育そのものにもNOが最近突きつけられてきている気がするけど、同調圧力と教育は密接な関係があると思います。誰が考えているのか?分からないが、同調圧力は日本の場合にはマナーという言葉で誤魔化されたりするが、これが正しい姿だと思って続けているのならば日本の教育は同調圧力も正しいと思っているのでしょうか。マナーという言葉を正しいと思っているのならば、そういうことになるでしょうね。同調圧力による息苦しい社会を構築していたのは、そもそも教育によるところが大きいならば、そらそういう大人が育ちますよ。合理的な理由ではなく、空気が支配する国である日本で育つ子達が心配でなりませんよ。

 

 

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