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東京メトロの駅乃みちかのデザインに批判がきて、美術館の絵に批判がいかない謎

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東京メトロが考案した「駅乃みちか」というキャラクターのデザインが批判にさらされているという。理由はいろいろあるが、以下のキャラクターデザインを見てもらいたい。ちょっと見づらいだろうけど、今回問題になっているのは右のリアルな方の駅乃みちかの方で批判を受けて、スカートが修正されたという。元々のデザインではスカートが透けており、足のシルエットが少し見えていたようなのだが、それが完全に見えなくなった。私なんかは言われてみないと分からないくらいで、え?透けてたの?と全く気付かないくらいの微妙な透け具合のように思う。こういったところを批判しているのは一般人で、擁護しているのはいわゆるオタクということが言われているが、その点に関して面白いことを書いているブログがあったので紹介したい。

 

 

それが「萌え絵が迫害されるのは歴史が足りていないから - 本しゃぶり」である。このエントリーの趣旨は、結局その絵を許容できるか?どうかには、本人の中の慣れがあるか?どうかが問題だという。本文では「歴史」という言い方をしているけど、本文には美術館に展示されている絵が例に出されていて、今回の駅乃みちかとは比べ物にならないくらいに露出が多い絵が飾られている。しかし、こっちには批判はいかない。それはなぜか?歴史が違うから。という結論になっているが、つまり、そういう絵が存在にするこに対する耐性という言い方もできるだろうか?オタクはそういう絵を見慣れているから批判しないが、見慣れていない人は批判をする。逆に美術館の絵はどれだけ露出が多くても、そういう絵が長く存在してきた歴史があるし、芸術という言い方もできるから、批判する気にならないというものかもしれない。慣れとか、耐性の問題になるのではないでしょうか?でも、全く同じものどころか、美術館の絵の方がどうみても過激な描写じゃないのか?と思えるものがある。露出が多いというのがその1つであるけど。駅乃みちかの絵は露出はほとんどない。スカートが透けているだけで、露出と言えるような部分はほぼないと思うのだが、それで何で批判になるのか?も個人的にはよく分からない。

 

100歩譲って批判者が言うように、「不特定多数が出入りする場所に見えるような場所に掲載するものとして相応しくない」という意見が正しいとするならば、こういう絵が出てくる前に、なぜ美術館の絵は批判されないのか?となる。そこが不思議でしょうがない。それどころか、プールとか、海水浴とか、同じく不特定多数が出入りする場所で水着姿になる男女はなぜ良いのか?こっちは絵じゃなくてリアルなんだけど。どう考えても水着姿の方が露出が多いし、問題だと思うんだけど。それらが放置されて、駅乃みちかに批判がいくって意味が分からないです。単純に好き嫌いで選別して批判しているだけじゃないのか?と思えてきます。説得力がないんですよね。この絵を批判するのに、同じく身近にあって、もっと過激な同様なものが放置されているという現状は。中にはこの駅乃みちかを性的な絵として捉えている人もいるようだが、萌え=性的という図式が勝手に出来上がっている人もいるのか?と思う。それは偏見がいきすぎだろうと思うけど。

 

結局は嫌悪感の有無や慣れの問題だと思いますよ。私の予想だけど、萌えに対するイメージって世間一般ではあまりいいものではないのではないか?と思います。オタクや萌えに対するイメージは過去の事件とかが影響しているのか?いまだに偏見を持っていたり、嫌悪感を抱いている人がいるのは事実じゃないか?と思う。逆に言うと美術館に飾っている絵に対してはそういう気持ちがないというだけじゃないだろうか?だから、批判がいかない。見慣れた光景というのもあるかもしれないですけどね。こういうキャラクターが生まれ始めたのはここ10年くらいの出来事じゃないか?と思うし、見慣れた光景とは言い難い。こういう状況がずっと続けば、いずれ批判はされなくなるんじゃないか?と思う。私は歴史が浅い今でも批判なんかしませんけど、見慣れているか?どうかっていうのは、人間の心理に大きな影響を与えるのでしょう。こういったキャラクターが営業に関係してくるのならば、今後いろいろな会社や自治体が生み出してくることになるかもしれないから、そうなれば世間一般で萌えキャラクターに対する偏見や嫌悪感もなくなるときがくるかもしれないです。

 

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