就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

出る杭は打たれる原因、出る杭を打つ人間がいる理由は思考停止が原因か?

【スポンサードリンク】

出る杭は打たれるという言葉があるし、日本社会はそういう傾向にあるということが特に言われている側面もあります。こういった現象は世界である程度存在していることのように思うが、出る杭を打つことこと良いか?どうかはケースバイケースによると思う。出る杭は打たれるという表現を使うとマイナスイメージが浮かぶかもしれないけど、良い場合も少なからずあるんじゃないか?と思います。出る杭は打たれるという例を挙げると、ビジネスの現場とかで、1人の社員が意見を言ったとして、それがすごい突飛な意見だったとする。斬新なもので、周りからはあまり理解されない。そうなれば、その意見は否定される可能性が高いが、ここで行われている現象は、まさに出る杭が打たれている状況のように思う。しかし、問題は否定することそのものではない。否定する理由だ。単に突飛だから。という理由で否定する人がいれば、それは否定する理由がないだろうという話でしかない。しかし、否定する理由に関してちゃんと合理的なもの、つまりその意見を支持して、会社として実行すると失敗する可能性が高いならば、否定することは間違いではないだろうと思う。

 

日本で起きている出る杭を打つ現象はどっちなのか?というと、ケースバイケースになるんだろうけど、感情的な理由によるもの、つまり合理性がないものが個人的には多い気がする。またまた出る杭は打たれることの例を挙げると、さっきたまたま見たニュースの中に「態度がでかい」というワードがあった。「態度がでかい」と聞くと、すごいマイナスイメージになるかもしれない。でも、態度がでかいことの何が悪いのか?というと、説明はしづらいです。強いて言うならば、態度がでかい人に対して嫌悪感や不快感を持つ人がいるということくらいか。しかし、逆に謙遜している態度は日本においては美徳として扱われている感じもするが、こっちが良い理由は何なんだろうか?っていうと、その態度に不快感や嫌悪感を覚える人が少ないからというのが理由になるのではないでしょうか?態度がでかいっていうのは、具体的にどういう定義なのか?も感情的だが、態度がでかいことが悪いことと見なすのも感情的でもある。態度がでかい人は相対的に少ないため、そういった人たちは叩かれることが多い。でも、逆に謙遜ばかりしている人も嫌われているケースがあるんじゃないか?と思う。態度がでかい人を嫌うのは勝手なのだが、そういう人を否定することに理由があるか?というと何とも言えない。

 

つまり、さっきで言うところの単なる突飛な意見だから。という理由で否定しているケースとあまり変わらない気がする。態度がでかいことを嫌う人がいるのは事実だが、それは態度がでかいことそのものに嫌悪感などがあるわけではなく、態度がでかいことは悪いことであるという定義によって心情を左右されているのではないか?と思う。つまり、悪いとされていることに対して嫌悪感を抱いているのであって、態度がでかいことが直接な理由ではないのではないだろうか?別の例をあげると、私は冷蔵庫の下の段の方を閉めるときに、足を使いたくなる。しかし、足を使うのを躊躇してしまう。なぜか?足を使うのは行儀が悪いとされているからだ。しかし、手を伸ばして閉めるよりも、明らかに足を使った方が早くて、手間もかからない。しかし、手を使わないで足を使うということは行儀が悪いこととして定着しており、私の脳裏にもきざまれている。私自身は冷蔵庫を足を使って閉めることは何の問題もない行為にしか思えないのだが、そういった世間の風潮によって善悪が書き換えられている状態になっている。明らかに、あえて手を使って冷蔵庫の下の段を閉めることに合理性なんかない。しかし、それを妨げるのは世間の行儀という風潮なのです。実際、人前で足を使って冷蔵庫を閉めたら、それを指摘される確率はそこそこありそうな気がする。でも、何でダメなの?と聞いても恐らく合理的な理由は返ってこない気がする。

 

冷蔵庫を足を使って閉める行為を非難するのも、出る杭を打つ行為に近いと思うのだが、そこに合理性がないという点では共通している。では、なぜ出る杭を打つのか?それは冷蔵庫を足を使って閉める行為そのものが悪い行為として定着してしまっているから。言ってしまえば思考停止みたいな状況に近いかもしれない。悪いとされているものは悪いものとして扱うことしかできず、なぜ悪いのか?を考えないのだ。だから、世間で悪いとされているものは無条件で非難をする。それが出る杭を打つという人間のメカニズムの1つかな?と思います。思考停止のみが原因とは言わないが、出る杭を打つ行為のうち、客観的に見て合理的な理由がないようなものは、それが原因になっている気がします。悪いと刷り込まれてしまったものは、理由に限らず支持できないという一種の癖なのかもしれないけど、そういう側面が日本でも、他国でもあるのではないか?と思います。

 

 

出る杭は打たれる―フランス人労働司祭の日本人論 (岩波現代文庫―社会)

出る杭は打たれる―フランス人労働司祭の日本人論 (岩波現代文庫―社会)

 

 

あわせて読みたい記事