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皆勤賞は何がすごいのか?意味ない、価値観として問題と考えている人は多い

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皆勤賞という賞がある。大人の世界では皆勤だからといって表彰されたりすることは少ないかもしれないが、子供の世界ではそういったことが表彰の対象になることがある。皆勤賞って私が子供の頃にもあったし、幼稚園か、小学校か忘れたけど、私も貰った記憶がある。その当時は賞をもらえるということは、学校を休まないで通うことは偉いことなんだなー。なんて思っていたが、大人になるとこの皆勤賞とやらは一体何の価値があったのか?意味ないのではないか?全く分からなくなってきた。そもそも学校に休まずに通うことが偉いことなのか?すごいことなのか?というのが、自分自身でも全く説明ができない。皆勤賞に関して同様の疑問を持っている人は意外といるようで、廃止した方が良いとか、社畜養成のための洗脳術だとか、いろいろ言っている人もいる。休まないことが美徳なんて価値観が生まれたら、当然休むのを我慢する人間がいるわけだ。子供の世界でどれだけいるか?は分からないが、大人の世界では間違いなくたくさんいると思う。休んだほうがいいかな?と思うときでも無理して会社に行くなんてことはザラだろう。

 

そういった悪影響があるというのも皆勤賞の1つの弊害とも呼ぶべき点になるかもしれないが、私が疑問なのは他にもある。そもそも学校を休まないことに、何の意味があるのか?ということだ。皆勤賞という賞を作ってしまうと、手段が目的になってしまうのだ。学校って何のために行くの?っていう疑問がたまに話題になったり、コラムになったりすることがあると思うのだが、それは学校に行くことが目的ではないからだ。学校に行くことは何かを達成するための手段だからこそ、そういう疑問が沸くのだと思う。実際、学校には1日も休まず来ているが、毎回ずっと授業中寝ている生徒や児童がいたら、そういうケースを良しはしないだろう。ってことは、学校に来るだけでは何の意味もないってことになる。学校に来ることが目的ではないということになる。そこで真面目に勉強をするとかして、得るものがあったときに初めて学校に行く意味が生まれると思う。この場合、学校に行くというのは、勉強をするための1つの手段であって、目的ではないということになります。学校に行っただけっていうのは何も生まない可能性がある。何かを生むためのスタートラインに立ったに過ぎない。その状況を学校側は評価して、わざわざ賞を授与しているわけです。学校に来るだけで偉いってことなってしまっている。

 

実際、学校に来るだけで、休まないだけで偉いという価値観が生まれると、不登校児に影響があるとして、出雲市は長年実施していた皆勤賞を廃止したということが以前ニュースになった。学校に登校することが偉いとか、そんな風潮を作ってしまうと、相対的に不登校児は問題だという価値観を醸成してしまうのでしょうか。そういった悪影響が懸念されるため、皆勤賞を廃止している学校は以前よりも増えてきているという。私自身はさっきも言ったけど、手段が目的になっている点において、評価対象にはすべきではないと思っているし、そもそも皆勤賞っていうのは物理的達成しようと思えば可能な人間は結構多い。そりゃ体調が悪い日があっても、無理矢理学校にくれば皆勤賞をもらうための条件を満たせることがある。本末転倒じゃないか?って話になります。健康な子供を表彰するための賞を作ったことによって、そういった賞を目指すために健康を犠牲にして学校に通い出す子が増えるかもしれないのだ。そうなれば、健康から余計に遠ざかる結果になりかねない。そうであれば皆勤賞には意味ない。そういう指摘をしている人もいましたね。

 

さらにどこかの学校のクラスだったかな?が、全員で皆勤賞を目指そうみたいな取り組みをやっていて、そのクラスは結果的にクラスメイト全員が皆勤賞を達成したそうだ。ただし、そのニュースに対する多くの人たちのコメントは冷ややかなで、賛同するコメントは少ない。むしろ、こんな取り組みをしていた教師や学校に対しての批判意見の方が多く見つかる。理由は想像に容易い。同調圧力を生んで、休みたくても(休む必要があっても)休めない生徒が増えるということが容易に想像できるからだろう。こういう取り組みをやられると、益々体調を崩した生徒が休みづらくなる。そして、結果的に無理をして健康を害すことになりかねない。私がこの話題に関して調べたときに多く見つかった言葉は「休まないことが偉いという価値観は廃れるべき」というものでした。これは大人にも言えることかもしれないけど、こういった価値観があると人間は当然無理をするわけだ。無理をするとどうなるか?体調を崩したりすることもあるし、過労死の原因の一端にもなりかねない。本当に重大な価値観になってしまっていると思います。現状の皆勤賞が意味ないと思っている理由は学校に通うこと自体を評価対象にしてしまっている点になると思います。

 

メジャーリーガーのイチロー選手が以前、野村克也氏の選手としての試合出場記録を超えたときのマスコミに対して放ったコメント「そんなものには意味がない」というのが全てを物語っていると思います。このケースではイチロー選手が野村氏を嫌っていると言われている部分も関係しているかもしれないですけど、出場試合記録なんてものを表彰する意味が分からないのは、私も同感なんですよ。こんな記録っていうのは意図的に作ろうと思えば作れてしまうものなのです。監督の匙加減でどうにでもなる記録であり、実際そういった記録が迫ってくると監督としても使わざるを得なくなるような状況が生じる。それが元阪神タイガース金本知憲氏の連続フルイニング出場だと言われています。彼の場合には連続フルイニング出場記録を更新し続けている後半には、地名的な怪我を腕に負っており、キャッチボールもまともにできないくらいのボールしか投げられなかったんですよ。したがって、彼のところに打球が飛べば、どんだけ浅い打球でもどのチームも3塁コーチはランナーを回していました。

 

バッティングはともかくとしても、あの守備力ではスタメン出場は厳しいだろうと思われる中でも、当時の真弓監督は金本氏を起用し続けました。それはいろいろな圧力もあったかもしれない。球団としてもこの記録は絶対に達成させないと!みたいな状況もあったかもしれないですから。そんな中で達成された記録っていうのは、監督の匙加減で積み重ねられた部分もちょっとは含まれる気がします。実際、彼の場合にはこの記録が騒がれ始めるずっと前にも腕を骨折していて、片方の腕1本でしかバットが触れないような状態でも試合に出ていました。その光景を見てみんなはどう思っていたのか?は知りませんが、私は多分高校生くらいだったと思うけど、何でこんな状態で試合に出ているのかな?と冷ややかな目で見ていましたよ。骨折している状態でも控えの選手よりは期待できるとしても、そんなことをしたら完治が長引くだけじゃないのかな?と思う。選手生命にかかわる怪我に発展するかもしれない。怪我を庇ってプレーするから、他の部分まで怪我をするかもしれないなどの弊害もある。結果的にチームにとってプラスだったのか?は何とも言えないが、こういうところを見ると、やっぱり休まないのが偉いという風潮は何か問題を含んでいる気がするんですよね。イチロー選手が試合に出るだけの記録に興味を示さないっていうのは、いろいろな思惑があるんだろうが、私自身は休まないことよりも休んだ方がときには良いことはあると思っているから、その点に関して試合に出た多さとか、連続で試合に出ることの記録を称える風潮はあまり賛同できない。プロ野球選手は試合に出るだけではなくて、結果を出してはじめて評価される仕事ですから。金本選手の場合には結果出していたならば評価できる面も大いにあっただろうけど、学校に通って皆勤賞をとっている子供たちはどうだろうか?学校に通うことが目的になっていないだろうか?ちゃんと通った結果としての成果を出しているだろうか?学校を休まないことがすごいならば、学校を休んではいけないという価値観が蔓延する中で、学校をたくさん休む生徒がいたら、ある意味その勇気もすごいと言えるだろう。卒業や進級に影響のない範囲で休むならば、それがズル休みであっても、私はどうでも良いと思っている。学校に通いたくない理由や気持ちになっているときに無理に通う必要はないと思っているから。

 

 

休む技術

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