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就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

「いじめられる方も悪い」と答えた小中学生が3割いたという事実に正当性はあるか?

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いじめはいじめられる方も悪いと回答した小中学生が約3割いたということが話題になっています。それに関してネット上でも話題になっていたが、「いじめ」という言葉は非常に問題を含んだ用語で、そこから正す必要があるのではないか?という気もしないでもない。というのも、犯罪に該当するものはまずいじめではなくて、犯罪と呼ぶべきではないか?ということもあるし、犯罪に該当しないいじめは問題なのか?ということもある。学校でやればいじめと呼ばれるが、それ以外の社会で同じことをやっていてもいじめとは言われなかったり、そもそも問題視されないことが実際にあると思うのだが、非常に曖昧な部分が多分に含まれてしまっている。いじめに関していじめる方だけでなく、いじめられる側も悪いと回答した生徒や児童は、そもそもいじめは悪いという認識になっているということでしょう。しかし、そもそも前段階として、ここで言ういじめとは何だ?という問題がある。具体的な行為ではなく、「いじめ」とまとめてしまうと、私にこのアンケートに答えるように仮に要請がきたら恐らく無回答ですね。答えようがありません。こんな漠然とした質問は。

 

例えば、悪口とか、無視とか、もっと具体的な行為として記されていたなら答えようがあるが、いじめと言われても定義が分からない。言ってしまえば、論者によってどこからどこまでがいじめなのか?の範囲が変わっても不思議ではない。それこそ私は犯罪行為はいじめではなく、犯罪と呼ぶべきだと思っているが、犯罪に該当するものもいじめと呼んでいる人はいるだろうし、どっちが正しいか?は分からない。それぞれの意見でしかない。いじめに関する議論っていうのはどうしてもそういう曖昧なものになりがちなだけに、1つの答えにたどり着くこと自体が難しい。そして、いじめはいじめられる側も悪いのか?の話についてだが、私の意見を言うと、いじめられる側が原因を作っていることはあるかもしれないが、その原因を持っていじめられる方が悪いか?どうかはは別問題である。という結論になると思う。例えば、すごい頭の良い生徒がいて、テストで毎回100点をとっていたとする。その子がいじめっ子のターゲットになった場合、いじめる理由が「頭が良い」ならば、その子は頭が良くなければいじめられなかったはずである。つまり、このケースではいじめられる側に確かに原因はある。

 

しかし、その原因があったからといっていじめられて良い理由になるか?というと、そうではないだろう。仮にいじめられる原因に悪質性があると認められる場合であってもだ。このケースでは頭が良いことは悪質性を伴っているとは言えないので、いじめられても良いという理由にはなりづらい。なりづらいという微妙な表現を使った理由としては、結局「いじめ」の内容によるわけだ。その子に何をしたか?で結論が異なるはずなんですよ。いじめという曖昧な表現が使われているがゆえに、断言ができないという弊害がここでも生じているわけです。じゃあ、逆に悪質性がある原因ならば良いのか?というと、どうでしょうか?例えば、ある生徒が万引きを繰り返していて、その生徒を別の生徒がいじめていたら?このケースでいじられる方が悪いと言えるでしょうか?これは意見が分かれそうですね。というのも、実際に同じような例があるからだ。犯罪者をネット上で叩いたりする例はいくらでもあるので、このケースでいじめらる方が悪いという意見を持っている人は結構多くいそうな気がする。このケースはダメなのか?というと、そりゃ叩き方によるんじゃないですか?批判は良いとしても侮辱はどうだろう?って感じですからね。その2つは全然違うじゃないですか?「いじめ」という、非常にアバウトな言葉でまとめてしまっても、結論が出ない。というのが、私の結論です。

 

でも、いじめという問題が犯罪じゃない行為に限定しても、しなくても、これは人類が永遠に付き合っていかないといけない問題だと思いますよ。いじめの被害に遭う確率を下げる努力はできても、いじめ自体を根絶することは無理に近い問題だと思います。人が生活するところ(プライベート空間も含めて)に隙間なく24時間体制で警察官などを配置するようなことができれば、いじめも犯罪もなくなるかもしれないが、それは物理的に無理だろう。私が考える犯罪やいじめを根絶する唯一の方法はこれだ。これが実行できないならば、無理だという結論になります。いじめに遭う確率を下げるのは簡単です。人付き合いをやめる、または消極的になれば自然といじめに遭う確率は減ります。人間が別の誰かと付き合ったり、接したりする以上は常に「馬が合わない」ってリスクがあるわけで、本人にいじめる意識がないとしても、相手がいじめられていると感じるような態度をとってしまう可能性は常に残る。人間には感情があるからだ。人間に感情がある以上は、いじめに該当する、しないにかかわらず、人間関係の軋轢が生まれないなんてことはない。政治家だって国会でヤジの応酬をしたりしているのだから、もはや他人の感情を害する行為を防ぐことは無理って言うのは、誰もが分かっているんじゃないですかね?ただ、教育上それを口に出来ないというような事情があるだけで。私が教師の立場で、いじめをなくすにはどうすれば良いか?と問われて、本音を言うならば、「基本的には無理だが、学校に通わなくなれば可能性は0ではない」みたいな答え方をするでしょう。

 

 

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