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食品ロスは何が問題?なぜ増える?その原因と減らすには取り組みとして何をすべきなのか?

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「食品ロス」という言葉が最近よくニュースで聞かれる気がする。しかし、その議論の中心は廃棄されるものや食べ残しを減らそうとする動きであって、そもそも食品ロスの何が問題?という部分は全く議論されない。食品ロスを減らすには?どういった取り組みをすればいいのか?という議論がほとんどです。食品ロスがなぜ増えるのか?という議論があるのだから、多くの人にとっては食品ロスはいけないことであり、議論なんてするまでもないという思考になっている可能性もある。本当に食品ロスは何が問題なんだろうか?今回はその根本から考えていきたい。ここで取り上げる食品ロスは、主に廃棄と食べ残しの2つであるが、この2つのうち食べ残しに関しては、私は問題がないと思っている。というのも、ケースにもよるけど食べ残しというのは、イメージで問題にされている面が大きい気がします。たとえば、ご飯を食べていて、3分の1くらいを残したところでおなか一杯になってきた。でも、残したらもったいないということで食べる人がいますね。しかし、このおなか一杯の人が無理やり食べた残り3分の1のご飯というのは一体の何の役割を果たしているでしょうか?何の効果があるでしょうか?そこが問題なのです。

 

私たちって、胃の中に収めればもったいなくないが、ゴミ箱に捨てられたらもったいないという、すごい極端な二分の価値観があると思うんですけど、これは正しくないと思うんですよね。もうおなか一杯の状態で、無理に食品を口に入れるということは、この人はこの時点では食事は欲していないわけです。つまり、食事を欲していない人が食事を摂ったわけですよね。これってもったいなくないですか?つまり、国が金持ちだけに現金を配るみたいな、十分お金を持っている人が国からお金をまた与えられるという、よくわからない政策をやっている状態なのです。お腹いっぱいの人がご飯をあえて食べるというのは、お金持ちの人に国がお金を配る状態とあまり変わらない気がします。おなか一杯の人が時間が経過して、またおなかが空いてきたというときに、さっき残しておいた3分の1のご飯を食べたならば、この人は食事を欲している状態で、食事をしたので意味があると言えると思うのです。それは先ほどの例でいえば、貧困家庭にお金を配ることになるので、まだ意味があると言えると思うのです。だから、残した食事というのはとりあえず口に入れれば良いとか、もったいなくないとか、そうではないと思うんですよ。問題は、その食事が私たちに何の効果をもたらしたか?役割を果たしてくれたか?だと思うのです。おなか一杯の人が食べ残しをしないために、無理に口に入れたところで、苦痛を味わっているだけであって、食事が果たす意味ってものすごく小さい気がするのです。

 

だから、先ほど言ったみたいにおなかがすでに一杯で食べ残しをしそうという状況ならば、おなかが空くまで待てばいいとなると思うんですけど、そのときには廃棄の問題が出てくるわけです。つまり、おなかが一杯なので、ある食事量を食べ残し、それを別の機会にとっておくとなると、次の食事をするタイミングでは、作る量は少なくて済みます。さっき食べ残した分があるから。そうなると、例えばファミレスでのケースを話すと、Aさんが昼食時にB店でCというメニューを注文し、食べていたがおなか一杯になってしまい、食べ切れなかった。しかし、夕食の時間まで経過したら、食べられるようになってそれを店内で食べて帰りました。家に帰ったAさんが予定した食事よりも少ない料理を作り、それを食べてもうおなか一杯です。という状態になりますけど、こういうケースがあると、Aさんは当初予定していた夕食の食材のうち、一部を使わなくて済むので、万々歳!と思うかもしれないけど、こういうケースがあると、賞味期限が切れてしまって、明日まで持たないから捨てるしかないという状態が生まれる可能性があるのです。つまり、食べ残しを減らそうとする動きは、廃棄を生む可能性があるということになります。お腹がいっぱいの状態で無理に食べ残しをしないために口に入れる行為も、お腹が空くまで待ってから食べ残しを再度食べるという行為も、結局そんなに意味がある行為ではない可能性もあるのです。

 

食べ残しをするタイミングを完全に予測できれば、使われなかった食材が廃棄される可能性を見越して、少な目に材料を買っておこうか?とかできますけど、食べ残しを完全に予測できないというのが問題だと思うのです。だから、食べ残しが一定の確率で発生するし、食べ残しを防ごうとして時間を空けて食べた結果、使われなかった食材が廃棄されるといったことが起きてしまうのではないでしょうか?だから、食品ロスの何が問題か?っていうと、食品がロスされること以前に、私たちの食べ方の問題があると思うのです。食べ方というか、食事の作り方ですか。食品ロスはなぜ起こるのか?原因は何か?っていうときには、結局まとめて作るのが問題なんです。かなり極端な例を挙げると、ご飯を炊くときに茶碗一杯になるように計算して炊くと全部食べ切れなくて、食べ残しになる可能性は上がります。しかし、ご飯粒を1つずつ炊いて食べれば、お腹いっぱいのところでストップすればいいので、食べ残しは100%生まれないしょう。つまり、食品ロスを減らすにはこういった取り組みをすれば、簡単に根絶できますよ。でも、こんなことやらないでしょう?あまりにも面倒すぎるからです。

 

ファミレスが食材などをまとめて仕入れるのも同じ理由で、お客さんがどれだけくるか?その料理がどれだけ注文されるか?を完全に読めないからですよね。お客さんから注文が入って、そのメニューに必要な材料をそのときに初めて取り寄せて、それから作り始めるなんてやり方をすれば、ファミレスでも食品ロスは廃棄においてはなくなりますよ。でも、むちゃくちゃ時間がかかるからやってられない。だから、多めに仕入れて、廃棄が出てもしょうがないという体制をとっているわけなんですよね。つまり、食品ロスは私たちの利便性という部分と密接に関係していると思うののです。だから、食品ロスを減らすにはその利便性を一部捨てないといけない可能性もあります。食品ロスがなぜ増えるか?の原因は、私たちが利便性を追い求めているからという部分もあると思いますよ。仮に自給自足の生活を国民全員がするようになれば、食品ロスはだいぶ減ると思いますが、そんな全員が農民みたいな状況は受け入れられないでしょうから、食品ロスはどうあがいても根絶は無理ですよ。無理というのもあるし、そもそも現在行われている取り組みに関しては、先ほど言ったように、必ずしも意味がある取り組みか?どうかは分からないと思います。

 

そして、食品ロスを減らすにはという取り組みをしている以上、本当にメリットはあるの?というのが気になっているわけですが、食品ロスはそもそも何が問題か?について議論したいと思います。食品ロスって問題なんですか?食品が仮に石油みたいに埋蔵量に限界があるものならば、確かに食べられない捨てられてしまうのはもったいない気がしますが、食べ物ってそういう性質ではないと思うのです。いくらでも作り出せる性質だと思うんですよね。たとえば、水がそうでしょう。水は今後なくなるものですか?といったら、まずなくならないでしょう。水がなくなるときというのは想像できないと思います。実際に100%とは言わないが、99.9%以上の確率でなくならないでしょう。天候によっては水不足くらいは起きるかもしれないですけど、それも一時的な問題であって、未来永劫にわたって水がなくなるというのはまず考えられない。食べ物が今後なくなりづらいということを考えると食品ロスがどこまで問題か?ていうのは個人的にはよく分からないんですよね。だからこそ、私たちは1日3食食べているわけでしょう?食べ物に困る未来なんか想像できないから、平気で3食も食べるし、お腹いっぱいまで食べるんですよ。で、食べ残しが存在しても困らないのに、食品ロスはなぜいけないんでしょう?食品ロスの取り組みとかを見ていると、イメージだけで判断して本質的な部分を見る力のない人たちばかりなのかな?と思えてきます。食品ロスの取り組みをした結果、何のメリットがあるのか?と。

 

震災とかで特定の地域に食べ物が不足するみたいなことが実際にあったので、まったく問題ないとは言わないが、でもそれが問題ってことになると、私たちの普段の生活ってすごい食べ物をもったいなく消費してません?さっきもちょっと言ったけど、私たちって食事をするときにはおなか一杯まで食べるじゃないですか?そういう人が多いと思うんです。でも、そんなことをする必要ってあります?生命を維持するのに必要な量を摂ったら、後は食べる必要性は本当はないんです。でも、おなか一杯まで食べるのは、満足度を高めるためでしょう。つまり、その満足度を高めるための部分の食事って本来そんなに必要じゃないんですよね。それをしなくても生きていけますから。つまり、食べ物が不足するかもしれないのだから、食べ物を廃棄したり、食べ残しをしたりするのはもったいないという意見が仮に正しいとすると、おなか一杯まで食べるという行為もあえてする必要性がないのだから、じゃあ食べ物が不足するときに備えてとっておくとかした方がいいのでは?と思うんですよ。だから、保存が利くものだけを生産して、それ以外は生産しないとか、そういった体制にすれば、最低限のものを食べて、残ったものはいざというときのためにとっておくみたいなことってできますよね。

 

でも、そんなことは誰もしません。そんなことをしたら、食べたいものが食べられなくなるから。つまり、食品ロスを非難する人はきれいごとなんですよ。実際、すごいきれいごとを言っていた人に遭遇したことがあるのだが、その話をしたい。数年前に寿司のネタだけ食べてシャリを残す人が問題視されたニュースがありましたよね。あれも食品ロスの問題で、もったいないと世間では批判されていましたよ。ただ、その話題を扱った2chまとめのブログのコメント欄で、「ラーメンを食べる奴はスープを残すじゃないか!」という批判がきていたのです。これは寿司のシャリを残す人を批判していた人に対する批判でしょうけど、これはもっともなんです。ただ、そのコメントに対しては「スープを全部を飲んだたら健康に悪いんだよ!一緒にするな!」みたいな反論がきていました。この反論を皆さんどう思いますかね?私はこれマジで言ってるの?wwwと思ったんですよ。で、その2人でコメントを書き合っている間に割って入るように、すかさず私もコメントをしました。なんて書いたか?というと、「あなたは食べ物を残すのも、健康を害すのもよくないと考えているのだから、あなたはこれから一切ラーメンを食べるべきじゃないですよね?」と書いたのです。そしたら、当然ながら論破されてしまったようですね。パタッと返信が止まりました。

 

寿司のシャリ残す人を批判していた人が、ラーメンのスープを残すことを指摘され、それは健康の問題的に仕方ないんだと反論をしていたわけだから、この人は食べ物を残すことと健康を害すことはどちらもよくないことと考えているのがよく分かります。その結果、導き出される結論はこの人はラーメンを食べるべきじゃないとなります。ラーメンを食べなければ、スープも残さないで済むし、健康も害しません。どちらも達成できるのです。しかし、ラーメンを食べればスープを残すしてもったいない状況を作るか、スープを飲み干して健康に悪い状況を作るか、のどちらかは絶対に発生するのですから。この人はラーメンを食べないが正解になるわけだけど、この人はどうせこの先もラーメンを食べ続けるでしょう。そして、スープを残すんでしょう。つまり、こういう人は食品ロスをいけないことと捉えているけど、単なる詭弁でしかない。人の行為にはケチをつけたがるが、自分の利害が関係する同様の行為は例外として平気で扱おうとする。本当に卑怯者ですよ。世の中で食品ロスを批判する人、取り組みを実行している人も恐らく同類だと私は思っています。食品ロスを減らすにはという取り組みをしている人だって、絶対に自分の都合でやっている食品ロスは継続すると思います。

 

食品ロスをなくすことで失われるメリットは普通に存在するわけです。で、得られるメリットってそんなにあるの?と思うのです。食品ロスは何が悪いのか?何が問題なのか?さっぱり分かりませんが、多くの人は1日3食程度食べるし、食事のたびにお腹がいっぱいになるまで食べるのだから、食べなくても死にはしない量を越えて食事をしている時点で、もったいないですよ。摂る必要ない量を食べているんだもん。お腹いっぱいまで食べたり、1日に3食食べるのは単なる自己満足であり、寿司のシャリだけ残す人がやっているのも自己満足です。あとはプールとか、娯楽に使われる水ももったいないし、美容に関する商品(化粧水とか)も水を使っているので、もったいないですよね。化粧水がなくなっても誰も死にませんけど、こういったものに水を無駄に消費するっていうのは、寿司のシャリを残す人と同じで自己満足の領域なのです。あとは写真を撮ってSNSとかにアップして他人を楽しませることもできるという意味ではそれをしないで食べるだけで済ます人ももったいない行為をしている。そして、コンビニやスーパーは廃棄なしでは成り立たないので、それを日常的に利用している人ももったいない食品ロスに貢献してます。つまり、こういった行為は少なからず全員がやっているもので、その中で食品ロスをなくすことが正しいとか言うのは、やっぱり詭弁にしか思えません。欺瞞という言い方もできますな。食品ロスをなくす取り組みをしている人はそんなところまで頭が回らないのだと思いますが。何度もしつこく言うけど、私は食品ロスの何が問題なのか?さっぱり理解できません。そして、多くがもったいない行為をしているのに、食品ロスをただすことが正しいという風潮も理解できません。矛盾する行為を平気でする人たちばかりなのに。

 

この思想というのも、さっき言ったような、胃の中に入れてしまえばもったいなくないという価値観から生まれていると思うんでうよね。つまり、胃の中に入っているのだから、おなか一杯まで食べる行為はもったいなくないんだ。という理屈なのではないでしょうか?でも、食べものが全然ない国の人たちから見たら、おなか一杯まで食べる光景はもったいなく映るでしょう。彼らは食べ物を食べるときには、おなか一杯まで食べるなんて行為は絶対にしないはず。次はいつ食べ物が手に入るのか?分からないのだから、できるだけとっておくと思いますよ。私に言わせれば、食品ロスの何が問題?というのは、かなり限られたシーンでのみだと思うんですけど、それが問題となるならば、そもそも私たちの普段の食事の摂り方も問題じゃないか?と思うんですよ。おなか一杯まで食べるというのは、満足感を与えているのだから、食事がちゃんと役割を果たしているという意味では、意味がある行為と評価できなくはない。でも、満足感が理由になってしまうと、食品ロスがなぜ増えるのか?の原因を探ったときにも、さっきも言ったように満足感が起因していると思うのです。自分の都合を優先することと引き換えに廃棄とか、寿司のシャリを残すことは起きているわけですから、食品ロスが起きる原因は全てが満足感の一種なので、食品ロスを叩く理由なんかこれっぽっちもないのに、何か多くの人は騒いでいるな。と、私は不思議なまなざしで見ています。

 

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)
 

 

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