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学力低下の何が悪い?何が問題?実態は問題視する風潮ばかりだがプラスの要素もある

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親の年収が高いほど子供の学力は伸びやすいというようなことが言われています。これは事実なのか?というと、データ上は事実だと思います。データ上はということは、因果関係はよく分かっていない可能性があるということです。つまり、たまたまそうなっているだけという可能性もありますが、データ上そうなっているということは、強い相関関係はあるということなのでしょう。私はこういったものを見るたびに、学力が低いことってそんなに悪いことなのか?と思います。頭が良いこと、学力が高いことはそれはそれでメリットがあるでしょう。でも、学力が低いことは学力が高いことと比べてそんなに劣っていることなのでしょうか?学力低下が叫ばれている中、何が悪いのか?よく分からない面もあるわけです。学力が高くなるには、勉強をしないといけない。勉強をするための意識付けや環境を用意するために、親の年収が高い方が有利というのはあるのかもしれない。でも、結局は本人がやらないといけないことなので、努力が必要になります。つまり、学力が高い人は勉強をするという努力をしているはず。別の見方をすると、勉強をするために多大な時間を使っているわけです。

 

じゃあ、学力が低いとしても、その学力が高い人が勉強をしている間に別の何か有意義なことに時間を使っていれば良いんじゃ?とも思います。勉強を時間をかけてやって学力が上がりました。それ自体、本人にとってどんなメリットがあるか?っていうと、良い大学に入れましたとか、良い就職先が見つかりましたとか、いろいろあると思いますけど、同じようなメリットって勉強をしなくても達成できるんじゃないですか?学校で習うような勉強はしないでもという意味ですが、例えば、学校に通わないで、経営のための専門学校とかがあって、そこに幼少期から通って、起業をするための基礎から学び始めれば、その人は経営に関してはかなり長けた人間になれると思う。でも、学校には行っていないから学力は低いままとなってしまう。しかし、そういう人が悪いか?っていうと、そんなことはないはず。学力低下が起きていても、仮にそう実態があるならば、別に良いんじゃないか?と思うわけですよ。学力低下は何が悪いか?っていうと、学力が低いことだけを見ている気がするのです。学力という1つの基準のみに固執すると、それが高い、低いで優劣がはっきりするので、学力は低いことが問題だとされてしまうのです。

 

でも、学力が低くてもほかの分野で学力が高いことで勝てば良いんじゃないですか?って見方もできると思うんですよね。むしろ、そういう人を増やす政策をやるべきだと思うのです。みんなが学力を高めようとして、良い大学を目指して、良い会社を目指してなんて人生を送っていたら、ライバルが多すぎるんですよ。だから、そこから漏れる人が出てくる。それに、みんながみんなサラリーマンを目指せば、以前別の記事でも説明したけど、企業にとっては選べる人が多くいるから、条件を下げやすくなり、働く人たちの待遇は下がる。だから、サラリーマンになる人が減ることは、良いことでもあると思うんですよね。さっき挙げた学力は低いが経営の才能があるような人を起業家にしていければ、その人は学力が低いことが何の問題にもならないし、起業家が増えれば、サラリーマンが減るし、起業する人たちによって会社が増えて、労働市場の需給のバランスが、労働者側に有利になっていく。Win-Winな関係になりやすいのです。だから、ある意味学力が低い人が生まれるのは悪くないと思う。勉強以外で活躍する人を育てるには、他が勉強をしている間に別の何かをしていないといけないと思うのです。つまり、学力をある程度捨てないといけない。学校にも通いながら別の才能を育てられる人もいるが、そういう人だけに絞ると現状のようになり、起業家はあまり出てこない。リスクのある生き方かもしれないが、学力を高めようとする生き方も十分リスクはあると思うのです。

 

だから、そういう人を増やす環境を作るためには、学力が低いことの何が問題?と開き直れる社会が必要だと思う。学力低下の実態はすでに存在するようだが、問題は彼らが単に学力が低いだけというところにある。つまり、学力が低いとされている子たちは勉強をしてしまっているわけです。勉強をしていて学力が低いってことは、時間を勉強に対して大きく割いているのに花開いていない(今のところはね)ということなのです。それってホリエモンも似たようなことを言っていたんだけど、勉強に向いていない人が含まれている可能性が大いにあるわけだ。実は向いていないんだけど、みんなやっているし、やらないといけないものと子供自身や親が思い込んでいて、不向きなことに時間を費やしていて、結果が出ないみたいなことが普通にいろいろな家庭で起きているのではないか?と思います。人間はどうしても向き不向きが絶対にあるのだから、勉強に向いていない人が出るのはしょうがないと思います。こういった状況を打開するには、それぞれの家庭が考え方を変えるとかいうのは無理です。意識がそうはならない。だから、社会が変わらないと厳しいと思う。

 

勉強をすることや学校に通うことは、みんながみんなやることではなくて、向いている人だけやりましょうよと。習い事の1つみたいな感じで、水泳をやる子もいれば、そろばんを習う子もいるし、スポーツチームに入る子もいるしという感じで、その中の1つの選択肢として学校に通う子がいるような状態で良いと思うんですけどね。学校という存在が悪いというつもりはないが、学校はみんなが通って当たり前という風潮が、なんか非効率な状態を作り出している気がするのです。学校に通う子が減れば学力低下は益々進むだろうが、学力は低くても違った形で社会に貢献できる人が増えるんじゃないか?と思いますよ。学力低下の実態はすでに存在していると言われるが、それを悪いと捉える風潮があると、社会全体の非効率を進めそうな気がします。学力低下が起きて何が問題か?というと、いろいろな反論があると思うんですけど、それは別の記事で回答したいと思います。学力低下は社会全体から見ると問題という風潮になりがちだが、一人一人の個人の目線から見ると、学力低下が必ずしも問題とは言えない部分があると思うのです。学力低下は何が悪いのか?について、1から討論するような機会があっても面白いのかもしれないですね。学校に行かない子や学力が低い子が増えた方が、実は社会全体にとってプラスになることもあるではないか?と思います。

 

 

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