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遅刻をしない方法はないのにイライラ、怒る人は非現実的?謝らない人の方が自然か?

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遅刻をするということは私たちにとって「悪いこと」として捉えられていますが、遅刻をすると怒る人はいっぱいいますよね。でも、遅刻をして怒る人もいれば、怒らない人もいます。例えば、ブロガーのイケダハヤト氏は自身のブログ「誰かの遅刻・ドタキャンを怒る人は、仕事ができない : まだ東京で消耗してるの?」で以下のように述べています。

 

>少なくとも、突然のキャンセルやブッチなんてものは、怒るほどの話ではありません。怒らないのが普通で、怒る方がおかしいのです。そのくらいでブチギレるとか、どんだけ人間として偏狭なんですか。 と、いう意見に対して、「仕事の上では絶対に欠席してはいけない重要なMTGもある!」という批判もあるでしょう。これは一見正しい感じもします。 が、誰だって欠席する可能性はあるわけですから、「絶対に欠席してはいけない重要なMTG」なんてものをやらざるを得ない時点で、その仕事はどこか無理があるのです。 出社途中で事故にあったらどうするんでしょう?たかがMTGの遅刻や欠席ひとつで潰れるような会社、事業は、所詮その程度の持続可能性しかなかったということです。その遅刻や欠席がなかったとしても、どこかのタイミングで潰れていたことでしょう。

(中略)

そうです、たかが遅刻や欠席で怒るというのは、そもそも時間の使い方が下手なんです。 もしも重要人物がミーティングに来なければ、そういう時間をどう過ごすかを考えればいいだけです。ぼくは今日(12/9)の夜に家入さんと対談予定ですが、来なければ来なかったで、家入さんのメルマガ編集者のインタビューを実施する予定です(なんと定刻にいらっしゃいました!)。誰かが欠席したくらいなら、なんとでも工夫できます。 根底にあるのは、「遅刻・欠席は悪いことだ」というよくわからん「空気」なんでしょうね。それがあるために、みんな多少のミスで謝ることになる。本当は仕方な地ことなのに。これはなんとも不健全です。 そういう空気をぶち破るためにも、多くの人が「私は遅刻、ブッチ大歓迎です」というスタンスを示すことが大切だと思います。共感する方はぜひブログやツイッターで意思表明してみてください。多分、あなたの人生はもっと有意義になりますよ。他人のミスに怒り狂うなど、実にくだらない話なのですから。

 

イケダハヤト氏の意見としては、遅刻は常にする可能性があるのだから、その想定をそいておけば良いという話なのでしょう。つまり、想定さえしておけば、遅刻によって迷惑を被ることはないし、損害も少ないって話なんでしょうね。だから、遅刻で怒らないし、怒る必要もないという理屈でしょう。言っていることは筋が通っていると思います。まず問題なのは遅刻は100%避ける方法が存在しないということです。遅刻を100パー避けられる方法があるならばそれを実践しない方が悪いと言えるかもしれないが、そんな方法がないならば遅刻をするなと言っている方が非現実的なわけですよ。100%避ける方法がないのに、絶対に遅刻をするなっていうのは、人間に対して死ぬなと言っているのに等しいわけだ。あと、イケダハヤト氏は大切なことを言っている。それは遅刻を怒る人というのは、その想定ができていないということなのです。

 

遅刻に対して怒らない人はその想定ができているから怒らないということなのでしょう。遅刻をして怒られるケースがあるとしたら、相手の時間を無駄にしたから。というのが理由だと思うのです。でも、すでに説明したように遅刻しない方法っていうのはないわけです。遅刻しないために努力する方法はありますけど、100回に5回遅刻していたのが3回に減るとか、そのレベルの努力しかできないと思うのです。たまたま100回注遅刻が0回でした。ってときがあるかもしれないが、それを全員が達成するのは無理です。したがって、イケダハヤト氏は仕事ができる、できないとい見方をしているけれども、遅刻をしない人なんかいないという当たり前の想定があるならば、遅刻をされて困ることなんか起きないということが言えるわけです。その想定がないからこそ、遅刻する人がいるために時間を無駄にしてしまう。当たり前に起きるかもしれないことへの想定がないような人を、イケダ氏は仕事ができないと言っているわけだが、仕事ができるか?どうかの別はともかくとして、遅刻するかもしれないリスクは誰もが常に持っているのだから、遅刻をたまにするくらい良いじゃないか?と、寛容になれる社会の方が望ましいという見方もできなくはない。とは思います。

 

待ち合わせの相手が遅刻してくるかもしれないという想定があるならば本当に相手が遅刻してきたならば、その間にスマホでゲームでもやっておこうとか、株価でもチェックしておこうかとか、読書でもしておこうかとか、その空いた時間を有意義に使える可能性を考えておけば済む話になりますから、怒る理由はなくなります。遅刻をする人に対してイライラする人は多分多いだろうし、私も多分イライラしてた瞬間があったと思うが、このイケダ氏のエントリーを見ると、正直感化された感じになる。私は今まで遅刻してくる人に対してイライラする派の人間だったと思うが、これを読んでこれからはそういう想定をして、時間を無駄にしなければ良いんだ!イライラする必要なんかなかったんだ!と思えるようになったんですね。実際、遅刻する人に対して怒る人がいるのは気持ちとしては分かるが、これも結局幼いころからの洗脳教育によるものなんでしょう。「人に迷惑をかけてはいけない」という教えを忠実に守っている人がいるからこそなのです。

 

人は迷惑をかけないで生きることは不可能だという、当たり前の原点に立ち返ると、イケダ氏の言っていることは正しいと、私には感じられるわけです。遅刻しない方法がない以上は、遅刻をして怒られることは何だか違和感を覚える。1度や2度遅刻するのはしょうがない気がする。仮に100回中100回遅刻するような人間がいたとしても、そういう想定さえあれば誰も困らないわけだから、社会の中にそういう想定がないということ、遅刻してくるかもしれない人の存在をあらかじめ認めて、準備している人たちがあまりに少ないという部分が改善されれば、遅刻をして怒る人はほとんどいなくなるだろうと思う。今回は遅刻に関してだけで欠席に関しては特に述べていないが、遅刻をして怒る人が現状では多いだろうし、遅刻をすると怒られるケースはほとんどだろう。そして、遅刻をして謝らない人なんかがいれば相当叩かれそうな気がするけど、遅刻に対するネガティブなイメージは、実際のところそんな悪いことではないんじゃね?とも思えてくる。

 

遅刻を怒るならば、じゃあ100%遅刻しない方法を是非教えてもらいたいが、そんなものを提示できる人はいない。遅刻は誰もがリスクとして持っている。だから、どうしても迷惑をかけてしまうかもしれないことなのであって、当然のように迷惑がかかると想定できるものならば、あらかじめそれはしょうがないことだ。と寛容になれる社会の方が生きやすい気がしますけどね。だから、遅刻をしても謝らない人だらけになるのが、私の中では理想ですよ。そして、その態度に対して誰も怒らない状態があったならば、無茶苦茶寛容な社会の出来上がりだということになるが、遅刻は誰もが常にやってしまう可能性があるならば、それが良いんじゃない?と思います。遅刻をしても謝らない人がいると、イライラする人も多いだろうし、絶対に叩かれると思うけど、遅刻を防ぐ方法がないのだからしょうがないと見なす方が適切な気がしますし、遅刻をされて困るケースというのは、防ぎようがあるので、そっちの努力をした方が賢明なんじゃないですかね?遅刻に対して怒るとその時間もまた余計にかかるじゃないですか?やっぱり遅刻を悪いこととして捉えない社会の方が効率的な気がするのです。

 

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

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