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評判は悪い?イケダハヤト氏の働き方で社会が回らない批判の勘違いや問題点

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何かと新しい生き方や働き方を提唱するブロガーのイケダハヤト氏ですが、彼の最新のエントリーで「「みんながイケハヤのように働いたら社会は回らない」批判についてあらためて。 : まだ東京で消耗してるの?」という記事がありました。イケダハヤト氏は何かと批判されることも多いです。本人の知名度がかなりあるから、評判としても良いものだけになるとは言えないわけだが、イケダハヤト氏の評判に関する1つの面白い記事にはなると思います。イケダハヤト氏はブログにて、従来の価値観にとらわれない働き方を何度も提唱してきているが、そういう彼の意見には批判も多い。その1つがこのエントリーで取り上げられているもので、イケダハヤト氏のような働き方の人が増えたら、社会が回らなくなるという批判です。この批判に対して、彼は「いや、そんなことないんじゃない?ちゃんと社会は回るでしょう」という内容の反論を、このエントリーでしている。その反論内容の妥当性はここでは議論しない。私がこのエントリーを読んで、疑問に思ったのは、「そもそも社会が回らなくなったらダメなの?」ということです。全く違う角度からの意見になるけど、社会が回らなくなっても良いんじゃない?っていうのが私の意見です。

 

そもそも「社会が回らなくなる」っていう表現が非常に曖昧だ。社会が回らなくなる状態って具体的にどんな状態?っていう疑問がまずある。イケダハヤト氏に批判をした人は「社会が回らなくなる」というよりは「(イケダハヤト氏のような働き方をする人が増えれば)あなたも我々も生きていけないでしょう」という言い方をしているが、多分意味合いは同じだと思う。結論から言うけど、そもそもこの意見は完全に破たんしていると思う。イケダハヤト氏のような働き方をする人が増えれば、社会は回らなくなるとは言うが、評判はあまりよくないイケダハヤト氏のような働き方をして社会が回らなくなる状態というのは、その状態を是認したうえで起きることじゃないの?と思います。つまり、イケダハヤト氏のような働き方をする人が増えれば、例えば警察官や消防士がいなくなるとか、そういうことが起きる可能性があるわけですよ。特定の職業に就いている人がいなくなるということを意味すると思います。でも、そんなの全員が想像できるでしょう。みんなが仮に彼のような生き方をするとなれば、世の中からそういう職業が徐々に消えますよね。ってことは想像に容易いと思う。

 

現実的に彼の影響で、世の中から警察官や消防士のような職業が完全になくなるなんてとても想像できないけど、仮に世の中の大半がブロガーのような生き方を目指せば、徐々にそういう状況に近づくという現象自体は誰もが現在進行形で確認できると思う。つまり、例えば世の中の8割の人間が、結果的にブロガーという職業になりました。となれば、その状況は「8割の人間は警察官や消防士が世の中から消えつつある状況を承認した」という見方になると思います。8割の人間がそういう職業なくて良いんじゃね?って思って、そういう職業を目指さないと、結果的にそういう状況は生まれないわけだから、そういう現象は2割の人にとっては困るかもしれないが、8割の人にとってどうでもいいならば、別にそんなに問題?という話でしかないと思う。社会が回らなくなるという状況を問題として捉えるか?どうかはその人次第となる。だから、社会が回らなくなることを問題視する人がいてもいいんですよ。でも、問題視しない人がいても良いと思うので、社会が回らなくなる状況が生まれたとしても、それが悪いことととは定義づけられないでしょう。警察官や消防士がいない世の中で不安だなーと思うことはあっても、社畜として生きていて明日会社に行くのが不安という人間にとっては、イケダハヤト氏のような生き方にシフトできれば、明日会社に行きたくないのに行かないといけないという不安からは解消されますよね。だから、イケダハヤト氏のような働き方をする人が増えることは、その生き方を選択した当人にとっては、結局一長一短でしかないのです。

 

イケダハヤト氏の働き方を目指しても、全員がそれで満足する生活を送ることができるとは限らないけど、それは彼のような生き方を志向しなくても一緒だと思うので、大した差はないと思っています。結局、社会が回る、回らないっていう定義自体がはっきりしない問題なので、私が例に出した警察官や消防士がいない世の中は、社会が回っていない状態なのか?という部分がそもそもはっきりしない。社会が回る状態と回っていない状態の違いがどこにあるのか?が分からないので、この議論はそもそも、まじめに考察する意味がどこまであるのか?という問題もあるでしょう。社会が回っていても、自分が満足できない生活を送っているならば、社会が回らなくなっても自分が満足できるような生き方を選ぶ人はザラにいると思いますよ。結局、どういう世の中を望むか?なんていうのは、単なる価値判断の問題なので、別に正解があるわけじゃないでしょう。資本主義社会を望む人もいれば、社会主義社会を望む人もいるわけです。それぞれの境遇、生き方、価値観などによって理想とされている社会の在り方は違うので、社会が回らない状態が仮に生まれたとしても、それを良しとする人がいても良いわけです。

 

イケダハヤト氏の生き方はアウトローなので評判は決して良くないかもしれないが、別にそれが間違っているわけじゃない。多数派には理解されづらいというだけの話だし、社会が回らなくても良いんじゃ?という意見も、多数派には理解されづらいと思っているし、それで良いと思っている。人間は相対的な部分をかなり気にするので、既得権益を手放したくないみたいな感情ってあると思うのです。警察官や消防士がいる世の中で生きてきた経験があれば、彼らのような職業がなくなってほしくないと思うわけです。それはそういう職業の恩恵を受けているだけに、その恩恵を手放したくないという思いがあるからだと思います。でも、警察官や消防士という職業がなかった時代もあるし、そのときに社会が回ってなかったの?といえば、決してそうではないと思う。その時代に生きている人は、警察官や消防士がいないという現状に大した不満も持ってなかったでしょうね。それは既得権益がないからです。警察官や消防士という職業からの恩恵を受けていないため、彼らの職業の必要性を全く感じていないのです。逆に現代において警察官や消防士がいなくなれば、ある意味油断ができないわけだから、犯罪被害に遭わないように、火事を起こさないように自分たちがより用心するような世の中になるだろうし、結果的にそういう被害って減るような気がしますけどね。警察官がいないとなれば、いざというときに誰も守ってくれない可能性があるから、自分自身でちゃんと犯罪への抑止を考えて、対策を実行せざるを得ない。油断の気持ちが減少するから、仮に犯罪自体は増えても、犯罪の被害の甚大度のようなものは減少する気がしますし、それはそれでメリットじゃないですか?

 

警察官がいない世の中になれば、それに対応した行動をみんながとるようになるというのは単なる一例だけど、社会が回らなくなるというのは実は幻想で、社会が回らなくなると思えば、社会が再び回りだすように多くが行動をするというだけだと思うのです。だから、見方を変えれば、どういう状況であっても常に社会は回っているんですよね。回り方が違うというだけで。常に自分たちにとって理想的な社会であるような仕組みを作ったり、アイデアを出したり、行動したりということを無意識のうちにやっているのだと思います。不便があるならば、不便を解消するように今できることをするだけだと思うので、社会が回らなくなるということ自体が、実は起きないことなのではないか?と思えてきます。そういう意味ではイケダハヤト氏の意見は評判はよくないかもしれないけど、彼のような働き方をする人が増えても、社会への変化を気にしないといけない必要性は、実はそこまで存在しないのかもしれないのです。

 

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