就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

学校や会社で何度も遅刻すると何で怒られる?遅刻が当たり前の前提で行動した方が賢い?

【スポンサードリンク】

学校は遅刻してはいけない。というのは、なんとなく私たちの頭に刷り込まれているもので、遅刻をすると怒られるみたいなことがあるわけですけど、なんで怒られるんですかね?私は高校生の頃に何回か遅刻したことがあって、朝礼が終わるまで教室の外で待たされたりしたこともあるんだけど、そもそも遅刻は何がいけないのだろうか?全く理解ができない。学校や会社で何度も遅刻をすると当然ながら怒られるし、1回でも怒られることはあるでしょう。私が遅刻をすることで、誰かに影響があるのか?全くないですよね。私が来るまで授業が始まらないとか、そんなことないじゃないですか?大人になっても思うけど、学校に遅刻することの何が悪いのか?はよく分からない。大人たちが勝手に悪いことだと決めつけているんだろうな。と、いまだに思うこともあります。これに関しては西村博之氏が面白いことを言っていて、彼によると学校っていうのは、全授業の3分の1を欠席すると単位がもらえない。で、遅刻っていうのは3回で1回の欠席になると。そうなると、仮に欠席が0だとすると、全ての日に遅刻をしてもギリギリ単位が貰えて卒業ができるという。そして、西村氏は「遅刻がいけないことならば、なぜこんな制度にしているのか?遅刻が仮に悪いことならば、遅刻を全ての日にしても理論上卒業ができるなんて制度にしなきゃ良いのに」みたいなことを言っていたのです。

 

遅刻と欠席の関係や単位と卒業の関係に関しては、私はよく分からないけど、西村氏の言うことが本当ならば、学校としては遅刻しかしない生徒でも卒業を認めるってことになるわけですね。つまり、理論上は何度も遅刻をしても良いような制度に映るわけです。そして、西村氏は遅刻をしない人をむしろ無能だと断じているわけです。それは学生が全ての日に遅刻しても卒業が可能という点があるのに、真面目に学校に遅刻しないで通う必要性の問題というのも含まれるが、さらに別の視点もあるのです。それは遅刻をしないという努力をすると、自分の時間を無駄にする割合が増えるからなのです。彼によると、遅刻をしないようにすると、当然ながら待ち合わせの時間ぴったりじゃなくて、5分前、10分前とかに着こうとするわけですよ。そして、たいていの場合にはその時間通りに着いて、後から相手が来るみたいなことになる。もちろん、先に相手がすでにいる場合もあるが。しかし、そういうことを何度も何度もしていると、相手より先に来て待っている時間がどんどん積み重なり、その時間がどんどん無駄になるわけです。したがって、結果的に遅刻をしないように努力をすればするほど、自分の時間を無駄にすることにつながる。というのが彼の言い分ですね。遅刻しかしない人間は、基本的に着いたらすでに相手がいるわけだから、こっちが待つ時間というのは基本的にはないから、その点に関して言えば、時間は無駄にしていない。西村氏は、何度も時間通りに来る人間よりは、会社とかで何度も遅刻をする人間の方が優れているという考えを持っているのではないでしょうか?

 

西村氏の言い分は理解できるところもあるけど、待ち時間に関しては有益な時間の使い方がないわけではないので、ただ待っているだけではなくて、そういう時間の使い方をすれば、その場合には決して無駄な時間にはならないと思うのです。ただ、学校の遅刻のくだりはそうかな?と思わないでもないが。でも、学校に遅刻をすると特に周りへの影響がないのに、なぜか怒られるのはよく分からないですけどね。学校に遅刻しないようにするくらいならば、家で寝ていないと思う人は多くいるでしょう。大学とかの授業に遅刻しても誰も怒らないじゃないですか?怒る人もいるかもしれないけど、かなり少数派だと思うんですよね。あれが正しい気がするんですけどね。学生側の言い分としては、遅刻してもしなくても変わらないという認識だから遅刻をすると思うんですよ。遅刻したらマズイとか、単位が貰えないという危機感しかないならば、遅刻しないように努力するはず。でも、遅刻してもしなくても一緒と思われる授業の場合には、その授業に自分の時間を使わないで、別のことに使ってから、授業に遅刻して出るという方が効率的な気がするのです。学校に遅刻をして怒られることがなんのためになっているのか?というと、誰のためにもなっていない可能性があるわけです。

 

学校に遅刻をしても具体的な影響はないし、勝手に授業は始まっているし、進められる。仕事とかは遅刻をすると影響が0ではないということになるだろうけど、これに関しても西村氏は反論していて、「先に進めれば良いじゃん」とか、「先に出発すれば良いじゃん」という言い方をしているわけです。言ってしまえば、特定の人が来ないと仕事が回らないような会社というのは、それはそれで1つの問題と評価できなくはない気がします。会社でも遅刻が当たり前になれば、その当たり前の前提で仕事が進められるだけだと思う。今は遅刻しないことが当たり前になっているから、会社に何度も遅刻をすると影響があり、怒られるが、でも遅刻を一切しないというのは無理なのだから、遅刻するのを当たり前とは言わないまでも、遅刻する人がいても当たり前に仕事が進む状態は作っておくべきじゃないですか?

 

例えば、社長が来ないと会議が始まらないという場合、社長への依存の割合はとても高いじゃないですか?でも、社長が遅刻してくるかもしれないって想定は本来は持っておくべきなのです。だって、絶対に社長が遅刻をしないという前提はないわけだから、社長が遅刻したらどうするのか?または来れなくなるかもしれないし、その場合にはどうするのか?の想定をしておいた方が良いと思うのです。極端なことを言うと、社長が死んだらどうするの?社長がいないと会議すら始まらない会社は、特定の人間への依存度があまりにも高い。つまり、「特定の人が遅刻したり欠席したりすると、会社への影響が大きいのだから、遅刻や欠席はご法度」という風潮は実際にあると思うけど、それって経営体質的にヤバいのではないか?という見方もできるわけです。つまり、このケースで言うと、遅刻や欠席をする人間が悪者扱いされがちだけど、特定の人間が遅刻や欠席を絶対にしないなんて保証はないのだから、特定の人間が欠席や遅刻をしては回らない会社の体制そのものが問題なのではないか?と思うのです。

 

特定の人間が遅刻や欠席をしたら会社が回らないという状態というのは、収入を夫に依存している家族が、生命保険にも入らないような状況だと思うのです。だから、夫が倒れたり、亡くなったりしたらどうするの?その備えが全くないという状況なわけです。だから、これは学校での遅刻にも言えるかもしれないけど、遅刻そのものを悪いこととするのではなくて、そもそも遅刻は本当にいけないことなのか?を考えさせたり、遅刻をして仮に困ることがあるならば、その状況を生まないための対策をしたりすることを教えた方が良いのではないか?と思います。学校の場合には遅刻の影響というと、怒られることくらいしかないと思うけど、仕事の場合には影響はもっと大きい。しかし、影響が大きいから、遅刻をする人が悪いのか?というと、すでに話したような感じで、必ずしもそうとは言えないと思いますけどね。仕事や学校で遅刻すると怒られることは日常茶飯事で、そのときには自分が悪いと諦める人が多いかもしれないけど、実は別のところに問題点が隠されていることがあるので、そこに目を向けて改善していくことが重要ではないか?と思います。遅刻が当たり前になるとは言わないけど、遅刻を肯定的に評価する人も西村氏以外もいるので、そういう意見も大切にしていくと良いかもしれないのです。

 

 

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成

 

 

あわせて読みたい記事