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もったいないという気持ちがさらなるもったいないを生む可能性が現実にある

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「もったいない」という気持ちは非常に重要なモノかもしれないが、そんな気持ちを優先しすぎると、さらなるもったいない状況を生む可能性がある。それは「時間を無駄にする」ということだ。今から数年前、あるバラエティ番組で学校ではお馴染みの人体模型が矢面に立たされたことがある。人体模型って、小中高などには必ずと言っていいほどあるが、使ったことがないという人は多くいるかもしれない。私も学校に置いてあるのは見たことあるけど、使った記憶はあまりないのだ。その人体模型っていったい何のためにあるの?ただの理科室のインテリアじゃないの?という調査をしたところ、なんと100校以上の学校が取材拒否という事態になる。これは・・・何かあるなと視聴者も勘ぐったに違いない。そして、粘り強く取材を申し込んでいると、校名を伏せる形である学校が取材に応じてくれた。その学校の理科の先生にインタビューをすると、人体模型は使ってないという。インテリアですか?と念を押して聞くと、「そうなっちゃうかもしれないですね(笑)」と答えていた。

 

この人体模型は1体15万円ほどするらしく、全国で約50億円が使われているらしい。でも、なぜほとんど授業で使わない人体模型がこれだけ学校に置いてあるのか?というと、文部科学省が買えと言っているらしいのだ。つまり、50億円分のお金を使って、使いもしない人体模型を購入しているということは、やはり業者との癒着などが想像される。小学校のシャーペン禁止令などと同じだろうか?この番組を見て、50億円もかけていらないものを買っているのか!けしからん!ということを私は言いたいわけではない。そんな話は今回はあまり関係ない。私が取り上げたいのはこの番組を見ていた視聴者が発した一部のコメントだ。「そんなにお金をかけているならば授業で使えばいいのに」というようなコメントを何人かしていたのを見た記憶がある。このコメントは私はあまり正しくないと思っている。お金をかけているのだから、それを有効活用しないといけないという意見は確かに自然かもしれないが、問題は「時間は有限」ということ。学校で教えられる授業内容には限りがあるので、当然ながら優先順位を決めたうえで、教える必要性が高いものを選んで教えているはず。そうなると、学校側の目線から言うと、人体模型を使った授業というのは、優先順位が低いということになる。だから、そもそもそんな授業がないのだろう。その優先順位が低い授業をやるということは、相対的に優先順位が高い授業を(する時間がなくなる)ために犠牲にしなくてはいけない。

 

これは正しいだろうか?50億円が無駄になっているのはそうかもしれない。しかし、だからといって優先順位が相対的に低い内容をわざわざ授業でやるということは、今度は時間をも無駄にする可能性を持っているのだ。もちろん、ここでいう優先順位というのは学校が決めたものであって、各人の中には学校で普通に行われている授業よりも人体模型を使った授業内容の方がよっぽど大切だろう!と思う人がいても不思議ではない。そういう動機の場合には、人体模型の授業をやることが時間を無駄にするとは言えないだろう。しかし、単に50億円をかけただけで何もしないのはもったいないという理由のみで、人体模型を無理やり授業で使えというのは、私はそれこそもったいない行為ではないか?と思っている。こういうケースというのはよくあると思うんですよね。例えば、大学の授業をサボると1回あたりいくらお金を無駄にしているという議論もたまにあるけど、それは確かに事実かもしれないが、じゃあその授業に出たからといって、その金額が返ってくるわけではない。無駄にした状況は変わらない。

 

何でサボるか?って言えば、本人にとって必要ない授業だからだ。大学の授業っていうのは四年制大学ならば130単位前後くらいが卒業に必要なはずで、自由度もあるけど、決められたルールに沿うように単位をとらないといけないという決まりもあるはず。そうなると、必然的に卒業のためにとりたくもない授業を履修しなければならない。その取りたくもない授業が仮に楽単だったら、出る意味がないと言われても仕方ない気がする。興味もないし、授業に出なくても単位がとれる授業に出ないとしたら、確かに授業料だけかかって得るものが何もない(単位はもらえるかもしれないが)というのは、もったいないと言えばもったいない気もしてくる。でも、興味がない授業に出たところで、その人にとって何の意味があるか?というと、これも何も得られないケースと近い気がします。見たくもない映画を見させられている気分に近いのではないか?授業に出なければ、その時間で何か有意義なことができるかもしれないが、授業に出ると90分くらいは時間をとられるので、それの方がもったいなくない?と思うのです。かかった費用を回収しようと思う行動こそがさらなるもったいない状況を生む可能性があるのだ。

 

間違えて見たくもない映画のチケットを買ってしまったとき、あなたはその映画を観るだろうか?観ない人が多いのではないか?と思う。映画を観ても、観なくても、かかったチケット代は返ってこない。じゃあ、どっちが合理的な行動か?というと、観たくもない映画は観ないという行動だと思うのです。チケット代がもったいないから仕方なく映画を観るという行動は、結果オーライ(面白くなさそうと思っていたが、観たら面白いと感じられた)を除いては、まず本人にとって満足度を高める要因にはならないし、意味をもたらすとも思えない。時間が無限ならば、そういう行動を否定する理由はない気がするが、現実的には何を優先して行うか?という決定は非常に重要だと思う。それこそ大学受験とかで、数学の問題を解いていて、時間をかけて1つの問題を解いているときに、ここまで時間をかけてやったんだから、ここで諦めるのはもったいない!答えが出るまで解き続けようと思うのか?時間をかけてやってきたけど、このまま続けても解けそうにないから、この問題は捨てて別の問題にいこう!と思うのか?の選択は、合否に大きな影響を与える可能性がある。有限な時間の中でどういう選択が自分にとって最も合理的なのか?の判断力というのは、人生の中で大切なのではないでしょうか?

 

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