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犯罪被害に遭った人への同情する、しない人の境界線とその少数派を批判する人の心理

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アメリカのラスベガスで起きた銃乱射事件が思わぬ波紋を呼んでいる。それが「コメント:信じられないコメント:私はラスベガス乱射事件の犠牲者に全く同情などしていません」に載っていた記事で、ある人物が殺された人たちに対して「同情しない」という発言をしたところ、盛大に叩かれまくっている。詳細は以下になる。

 

>先ず、名前はヘイリー・ゲフトマン・ゴールド、彼女はCBS(民放テレビ局)で法律専務職員として働いています。上記はフェイスブックから既に削除されたようですが、これを読んだ人々は激怒しました。特に問題になったのは下線を引いた部分です。ヘイリーさんは、ラスベガスで犠牲となった人々に同情できないと言っているのです。 私は犠牲となった人たちに、全く同情などしていない。なぜなら、カントリー音楽ファンのほとんどは、拳銃に狂った共和党支持者だからだ。 正常な人間が言える言葉ではありません。偏見的なヘイリーさんは、カントリー音楽ファンのほとんどは共和党支持者であると決め込み、まるで犠牲者たちを嘲笑っているようです。

 

この「同情しない」という部分の是非についても言いたいことはあるが、問題はこの文章を書いた筆者なんですよ。この筆者は「犠牲者をあざ笑っているようです」と書いているが、う~ん・・・なぜそういう解釈になるのかな?というのが、個人的な感想です。この発言をした本人は、殺された人たちには同情しない。なぜならば殺された人たちは銃社会を容認している共和党支持者だから。と捉えられると思うのだが、この発言から読み取れることは2つある。まず殺された人たちに同情していないということ。もう1つはこの人が銃社会を支持している人たちに対して何らかの不快感や嫌悪感を持っているだろうと推測されることです。そもそもこの人の見方(今回犠牲になった人たちの多くは銃社会に賛成している人たち)が正しいのか?という点が問題としてはあるわけだが、同情しないってことは、同情できない理由があるってことだと思うのです。それが何なのか?ってことです。私なりに考えてみると、この人は銃社会に反対の立場で、それに賛成している人たちを憎んでいる、またはよく思っていないということが1つある。もう1つは銃社会に賛成しているのだから、結果的に銃によって殺されることが起きる(殺される確率が上がる)のは仕方ない。というのがもう1つ。つまり、この人が同情しない、または同情できないと考えた理由はこの2つのどちらかではないか?と思います。

 

このどちらの理由だとしても、犠牲になった人をあざ笑っているとは思えないのです。バカにしている感じはしない。仮に銃社会に反対の立場だから、賛成の人たちを憎んでいるとしても、同情しないという気持ちは=あざ笑うにはならないでしょう。悲しい気持ちにはならないってだけだと思うのです。そして、銃があれば銃によって殺される人が増えるのは当たり前的な意味合いからこの発言をしたとしても、それは単なる事実を述べただけなので、あざ笑うという気持ちとは無縁な気がするのです。だから、この発言を犠牲になった人たちへの侮辱みたいに捉えるのは、おかしい気がするのです。こういう事件って世界中の多くが犠牲になった人たちに同情している現状があると思うから、同情しないという気持ちを持った人は間違いなく少数派だと思うのです。だから、叩かれてるんだなと私は判断しました。世間の空気ですね。全ての原因は。傍から見れば、特定の思想は許さん!っていう感じにも見える。実際、同情しないというか、このニュースに興味ないって人は大勢いると思います。でも、それを公言すると叩かれるのが予想がつくから、多分言わないだけだと思う。実際、このコメントを書いた人も結局削除したいみたいだが、批判されて削除するくらいならば、最初から書かなければいいのに。とは思う。

 

ただ、この人が同情できない理由っていうのは、恐らくあるのだろう。だって、私たちだって、例えば連続殺人犯が殺されました。って聞いたら同情しないでしょう。それはそういう人間を快く思っていないから。逆にそういう人間が殺されて同情するなんて発言したら、それはそれで叩かれますよね。おい!そんな凶悪な人間に同情するなんておかしい!っていう人が多くいると思う。でも、今回殺された人たちが本当に銃社会を支持している人たちならば、彼らは銃社会に反対している人にとって脅威なわけじゃないですか?それって、そういう人が殺されたケースというのは、連続殺人犯が殺された人たちと全く同じに見えるって人がいても不思議ではないのです。だって、銃社会が存続すれば自分がその被害に遭う可能性は高まるとも考えられるわけですよ。だからこそ、銃社会に反対するわけでしょう?ならば、理屈は全く同じですよね。私が言いたいのは同情しないという気持ちが正しいとかではなくて、今回のケースで同情しないという気持ちは、連続殺人犯が殺されたときに世間がするであろう同情しない気持ちと矛盾しないということなのです。矛盾しないことを言ったのに叩かれるのはなぜだろう?という気持ちになったということです。

 

結局、人間の気持ちっていうのは立場によって変わるものなのです。金持ちは貧困層には目もくれず利益をどんどん伸ばしていきたいと思う(そうじゃない人もいると思いますが)だろうし、貧困の人は金持ちの人たちから俺たちに再分配しろ!と思うだろうし、それが当たり前というか、自然じゃないですか?何らかの事情で快く思っていない人間、または層が犯罪被害に遭ったときに同情できないという気持ちは、本能に近い部分であって、人間誰しもが抱えている気持ちだと思うし、紛争地に出向いた人が実際に殺されたら、あんなところに行く方が悪いという発言をしている人も多くいたし、家を施錠しないで出かけて、その間に空き巣に遭ったら、その家主が責められて世間から同情されないだろう。同じ犯罪被害に遭うというケースでも同情される、されないが分かれるのはともかく、分かれた中で少数派は常におかしい的な見方をされるのが今の世界のトレンドみたい。結局多数決で良い、悪いが決められるのが世界なんだなー。と、こういうニュースを見て、こっちの方が私は悲しい気持ちになる。

 

そして、こういう事件が起きると、銃社会それ自体への批判は強まる。でも、利権もあるのだろうから、銃はアメリカから消えないだろう。オバマ大統領時代には、銃社会への規制を試みたことがあったが、成功しなかった。規制へ反発する人の中には「銃を持った悪い奴に対抗するには銃を持つしかない」という理屈を言っている人もいた。この理屈は一見正しいように思えるかもしれないが、銃を持った悪い奴がそもそも出てこない状況にすれば、日本と同じような状況が生まれるのでは?と思うのだが。それが可能か?って話もあるのだが、自衛のための銃を所持しているとしても、その銃の所持によって、新たな犯罪が生まれるというのは当然に予想できるものであって、銃を所持しなければいけない事情があるのは理解するが、銃を持たない側からすれば、どんな事情があるとしても、銃を持った人間は自分にとって脅威になるのは間違いないのだ。だから、銃社会に反対の立場からすると、自衛のために銃を所持している人間ですら許せないと思っている人間も確実にいるのではないか?また、自衛のためといえども銃を所持する人間がいるから、銃社会は終わらない(彼らが銃社会を、銃による犯罪を助長している)という見方もあるかもしれない。会社の言いなりで、違法労働だと分かっていても働き続ける人間がいるから、ブラック企業はなくならないという批判をしている人人と同じでしょうね。銃がある中で生きるということが当たり前になってしまった以上、この状況を変えることは難しいと思う。だから、銃社会に反対する人は、アメリカを捨てるしかないだろう。アメリカを変えようとするのではなく、銃のない生きやすい国を選んだ方が、私は賢明ではないか?と思います。

 

銃社会アメリカのディレンマ

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