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教師の将来性は安泰ではない?安定してるは幻想でいずれなくなる仕事か?

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教員という公務員でもあるので安定しているというイメージを持つ人は多くいます。しかし、私は将来的には教員のような職業はほぼなくなると思っています。その将来というのが一体いつになるのか?というのが断言できないが、教師は将来性では安泰というイメージはいずれなくなるでしょう。教員は安定してるとは無縁の時代が来る可能性があります。というのも、将来的に教師はなくなる仕事の1つだと思う。人工知能や機械が普及しても教員はなくならない仕事だという意見もあります。私が教員が将来性が安泰ではない、いずれなくなる仕事だと思う理由は、人工知能が直接関係しているわけではない。間接的には関係しているかもしれないが。私が教員がなくなる仕事の1つだと考えた理由は、需要がなくなるから。教育への需要ですね。もっと分かりやすく言うと、学校への需要が今後どんどん減っていくと思う。つまり、学校に通わせようとする親が減るので、学校への需要が減り、当然そこで働く教師の必要性がどんどん減る。つまり、人工知能の台頭とは関係ないところで、教師などの職業はどんどん衰退するのではないか?と思っています。でも、これは教師だけではない。塾講師や家庭教師などの教育関係者全般の話です。教育への需要がなくなると書いたが、子供に教育を受けさせる意味が今後どんどんなくなるのです。

 

以前、ホリエモンと「朝まで生テレビ」の人工知能の回でお馴染みの落合陽一氏が対談をしていて、両者とも今自分が子供に戻ったら絶対に学校に通いたくないし、子供を学校に通わせたくないと語っていた。ホリエモンは、自身が幼いころから学校に通いたくないと思っていたみたいだが、落合氏はまさに今子供がいて、学校に通わせることについて奥さんと揉めたらしい。結局、通わせているみたいだけど、子供を騙しているみたいで辛いみたいなことを言っていたのです。対談を聞く限りでは、2人に共通する信念は、学校に通う意味がないどころか、学校は子どもを不幸にしている場所だという認識みたいですね。今までは学校に通う意味は一応あったと思う。それは学歴社会が機能していたから。だから、学歴をつけるため。という名目のもと、学校で何を学ぶか?ではなく、学校を卒業したという証明を得ることに意味があったのです。一定の学歴がないと生きるのが厳しい時代だったんだけど、これからは学歴があっても生きるのが厳しい時代になりそう。そこで人工知能の話が出てくるのだが、すでに言われていることでは、100%近いホワイトカラーの仕事が今後なくなる可能性があると言われている。ホワイトカラーの仕事は容易に人工知能に代替されてしまうのだ。代替可能性があるから、全部が代替されるのか?と言えば、どうなるか?は分からないがある程度の割合は一定の年月をかけて代替されることになるだろう。つまり、親目線からするとね、今までは正社員になるために子供を学校に行かせて学歴をつけさせる意味は一応あったが、学歴をつけてもそもそも正社員とかの枠がものすごく狭くなるわけ。今までとは比べ物にならないほど狭くなる。または枠それ自体もかなり待遇面ではよくないと思うんですよね。

 

そうなると、学歴をつけて就職を目指してもまともな人生なんか送れないじゃん!って考える親が増えそうな気がするのです。すでに就職した先にどれだけ良い人生が待っているのか?について疑問を感じている人はいると思うんだけど、とりあえずきつい仕事を頑張っていれば生きられるだけの賃金を得られているから、今は就職を目指す人は多くいるわけです。でも、今後は正社員と非正規の格差とかではなくて、職に就けるか?どうかの格差がやってくると思うのです。しかも、職に就けた人も待遇は今より下がるだろうと予測される。枠が狭まっても職を求める人が変わらず多くいるならばそうなるでしょう。そして、機械におおよその仕事を奪われ、職に就けない人がどんどん増える可能性がある。そんな未来予測のもとでは、今まで当然だった学校を卒業する意味がほぼなくなる。学歴があればなんとかなった生き方が、学歴をつけてもどうにもならなくなるならば、学校に通わせる意味がない。学費や時間を別の何か使った方が効率的だと考える親がどんどん増えるだろうと予測するのです。その結果、学校への需要が減少し、教師は職業として必要性を失っていく。教師は決して安泰ではない。将来性はどうなるか?分からない。というのが、私の予測です。教師は安定しているイメージがあるかもしれないが、教師を含めて教育関係者全般は今後不安定どころか、社会から仕事そのものがなくなる時代になるかもしれないのです。

 

ただ、学歴以外にも学校の役割はあると考える人もいると思うんですけど、結局学校の在り方そのものが変わらない限りは、いわゆる勉強を教えること以外にも価値を見出せる親は減ると思う。例えば、学校ではいわゆる「しつけ」などを教えることがあって、それも学校の役割の1つだと考える人もいると思いますが、結局「しつけ」っていうのも「社会適合者」になるために必要なことであって、これからの時代は社会適合者では生きられない時代になると思うのです。というか、すでになっています。つまり、学校で教師から教わる他者との協調性とか、不和を起こさないでみたいな部分というのは、メリットにも思えるかもしれないけど、それがそもそもの教育の問題だと思うのです。他の人と協調して生きましょうという教育があるからこそ、みんな同じような職を選び、同じような生き方を望む人が増えると思うのです。そして、他の人と同じじゃない部分に劣等感や不安を感じ、不幸になっていく。この悪循環が存在していると思います。結局、今の教育を続けている限り、みんな会社で雇われて正社員を目指すという生き方を志向しがちで、みんながみんな同じ市場で仕事を奪い合えば、雇用する側としては希望者が多いわけだから、待遇を悪くしても働いてくれる人がいて、ブラック企業が蔓延しやすいよね。という話になってしまうのです。労働市場の需要と供給の問題で説明できます。

 

今すでに存在するブラック企業の問題も元をたどれば、学校教育がきっかけになっている面はあると思うし、今の学校教育が続く限り、同じ生き方、同じ職業に就く人ばかりを増やし、職が少なくなる社会に対応できない人を増やすだけだと思うのです。そういうところに正のようなものを感じてしまう子ども、大人を増やすだけだと思うのです。つまり、他者と強調しようなんて価値観を持っていると、それだけで不幸になりかねない世の中にこれからなるわけです。まあ、すでになってきているんだけど。だからこそ、これからは社会不適合者がもてはやされると思います。他人と違う生き方に安心感を覚えるような時代になるんじゃないかな?学校に通ってしつけの名目で、協調性などを身に付ける必要性がなくなり、その点からも学校への需要は低下するだろうと思っています。人工知能が台頭する時代では、100人が100人とも違う仕事をしているというのが理想なのです。現実的にはベーシックインカムがいずれ導入されると思うので、仕事に就けない人がいても、そこまで深刻な問題にはならないだろうと思っていますが、最低限の生活が保障されていて、仕事に簡単に就けない世の中になると、学歴をつけることの意味はかなり減退すると思います。あとは学歴ってステータスの意味合いもあると思いますけど、こぞって受験戦争に参加する人たちが減るわけだから、有名大学に受かる難易度も一気に下がりますし、有名大学の肩書を持っていることの意味も薄れます。より受かる難易度が低いと、有名大学に受かっても全然すごいことにならないわけだから。だから、私立の学校は有名な高校や大学を含めて、経営が危うくなる場合もあるかもしれない。そういう点からも学校に通う人、または塾や家庭教師を利用する人が減る一因になると思うのです。

 

人工知能が台頭しても教員などの職業はなくなる仕事ではない、将来性は安泰だという見方をしている人もいるが、人工知能の台頭が直接の原因で廃れるとは、私も思わないです。ただ、人工知能が人間の多くの職を奪うことが原因となって、最終的には教師の職業がなくなるかもしれないということは、私はありえるのではないか?と予想しています。結局、今の時代にも言えることですけど、みんなと同じ生き方をすればするだけ、労働市場の需要と供給の関係から、人は幸せになりづらいわけで、それは人工知能が台頭するとより一層加速します。今でも、人工知能が台頭してからでも、学校に通うことで社会人ならば当然みたいな価値観や考え方を植え付けられてしまう生き方はあまり相応しくないと思っています。それに多くが気付いたとき、社会にそういう考え方が普及したとき、それがいつになるか?は分からないが、教師などの職業はなくなる仕事と言えるか?は分からないが、数としては減るでしょう。教師は人間じゃないとできないことがあるという意見もあるけれども、その人間じゃないとできない部分に関して需要がなくなれば話は別ですから。教師は安定してると認識している人もいるかもしれないが、将来性は分からないし、安泰ではないという認識の方が良いのではないか?と思います。すでにホリエモンや落合陽一氏などの影響力のある人が、学校に子供を通わせたくないといっていたり、学校は子どもを不幸にする場所だと言っているような時代なので、少しずつそういう価値観が広まっていきそうな気がします。学校に通う生き方、みんながしている当たり前の生き方は「安心感」というメリットを与えるが、その安心感は実は問題だらけの生き方における錯覚を生み出す機能も持っていて、だからこそ問題だらけの働き方が一向に変わらない(そこから離脱できない)のではないか?その錯覚に気付く人が恐らくどんどん増えるんじゃないかな?

 

 

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