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優秀な人ほど、頭の良い人ほど政治家にならないと言われる理由は?

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西村博之氏が「優秀な人は政治家にならない。売れないタレントが、旬の過ぎた有名人とかがよく選挙に出馬しているけど、要は政治家って稼げない人がなる仕事でしょ?本当に優秀な人は政治家にならない方が得なんだもん」と発言したことがあります。この発言は、現代の政治を皮肉っている面もあると思うのですが、優秀な人は政治家にならないっていうのは、言っていることは合っているかな?とは思わないでもない。私自身が優秀と言うつもりはないが、私は絶対に政治家になりたくないですよ。あんなストレスのたまる職業ないですよ。仮に私は日本社会を本当に良くしたいと心から思っていたとしても、選挙に出るなんてありえない。優秀な人がその優秀さを発揮する機会が乏しくなるのが政治家と言えそうなのだ。政治家になるためには、またはなった後もそうだけど、どんな能力が必要か?というと、まず第一に「嫌われないこと」です。つまり、国民のご機嫌取りができることに優れていることが重要なのだ。国民って、政治家の発言の本質的な部分を見ないで、字面だけで批判したりするシーンがよくあると思うんですけど、ああいう光景を見ていると、協調性のないような発言をすると政治家にもなれないし、政治家ではいられないんだなと思えてくる。日本人って非常識が嫌いじゃないですか?物事の本質的な部分とは別に、異なるものを受け入れがたい性質みたいなのがあると思うんですよね。

 

西村氏はさっきの発言の後に、ちょっと古い話題になるけど、都知事選において小池百合子氏の厚化粧問題に言及し、「小池氏が厚化粧だからって投票するのやめようって人はどれくらいいるの?でも、あれが通じる社会っていうのが僕の知らないところであって、実際に厚化粧はよくないからやめようぜ!って言って鳥越さんとかに投票した人がいるんでしょ?だから・・・僕は本当に頭の悪い人の考えることが分からんのですよ(笑)」と言っていたのだが、結局小池氏の能力とは関係ない部分で、投票する先を決めている人がいるわけで、そうなれば有能か?どうかで政治家が選ばれていないわけだから、優秀であっても政治家にはなれないし、有能な人が政治家になっても、能力とは関係ない部分で常に叩かれる恐怖を感じなければならない。ということになりますよね。そういう側面見ると、そりゃ優秀な人は政治家になろうとはしない。というのは当たり前に思えてくる。と西村氏は考えているのではないでしょうか?政治家が厚化粧をするのは何でダメなの?って西村氏自身も思っていると思うんだけど、政治家がその正論を突き通しても、政治家としての立場を鑑みたら逆効果でしかない。そんな状況で、政治家なんて真面目にやってられる人は逆にすごいと思う。要は「非常識」ってことなんだろうね。合理性とは関係ない部分で、政治家としての適格性を判断してしまう人がいるということを西村氏は嘆いていたのでしょう。

 

優れた政治家って、他の人ができないようなこと、やらないことで成果を挙げられる人だと思うのです。でも、非常識なことが嫌われる国の場合、それができないわけだ。できないというか、やりづらくなるわけ。やったら政治家でいられなくなるかもしれないから。だから、優秀な人が政治家になろうとしてもなりづらい仕組みが存在し、なれても辞任に追い込まれるかもしれない仕組みが存在していることになる。言いたいことが全く言えない。言ったらどう批判されるか?分からないし、社会的な立場のことを考ええると、結局余計なことは言わないで、他の政治家と国民の価値観や考えに同調しておこうと、そう考える人が多いと思うのです。だから、優秀な人が優秀な部分を発揮できない仕事の代表が政治家になると思う。そして、そこまで考えている人は政治家に絶対にならないですよ。政治家がどれだけ理詰めで正しさを主張できることを言っても、それが国民にとって受け入れがたいものであった場合、感情論だろうが、なんだろうが、絶対に批判されますよね。仮にそういう状況があった場合、理屈で説明している相手に感情論で戦っている時点で、第3者的な立場から言えば、国民の方が間違っているよね。と言えるのだが、政治家は国民の支持なしではいられないため、政治家ではいられなくなる。正しさを証明できることを言っている側が失脚し、正しさを証明できないことを言っている側が勝つみたいな構図が現実的に考えられる。

 

つまり、選挙という制度がある以上、政治家が政治家としての優秀さ発揮できる機会はかなり狭くなります。選挙に参加するのが感情を一切持たない、合理性のみで判断できるロボットという前提ならば良いかもしれないが、そうじゃないならば、優秀な政治家ではなく、国民のご機嫌取りが上手い政治家が多く誕生する可能性を秘めている。仮に優秀な人が当選できても、非常識な発想をしづらい状況にある以上は、その能力は宝の持ち腐れとなる可能性がある。そういう現実的な面を見たうえでの想像力を働かされる人は、政治家になろうなんて思わないですよね。別の能力を発揮できる機会を見つけて、それを仕事にした方が良いと思うのです。逆に言うと、本当に日本のことを思っている人、金目当てで政治家になっていない人もいるかもしれないけど、そういう人は政治家という道を選ぶのが正しいのか?分からないです。たまたま自分が思っている信念と国民の価値観が一致するような人は、自分の能力を発揮することが、そのまま国民の支持につながるため、そういうケースでは政治家になることには意味がある気がするのだが、国民から支持される考えって、ある意味常識的なものじゃないですか?そうなると、その時点でじゃあその政治家って優秀なの?とも思えてきます。常識的な考えを持つことや政策を実行すること自体は別に優秀ではない、普通の人でもできるんじゃ?と思うわけです。

 

例えば、どっかの市長が出張で行った先でいかがわしいお店を利用したことがバレて、市民から大バッシングを受けたニュースがあったけど、あれだって市長自身が「は?そういうお店を利用して何が悪いんだ?気持ちがすっきりして仕事に集中しやすいだろ!」みたいに反論することもできると思いますよ。ああいうニュースがあって、実際には市長は謝罪をしてしまったわけだが、謝罪なんてのは誰でもできるのだから、この側面だけを見ると、この人は普通レベルの政治家なのかな?と思えてくる。逆にそういうキレ方ができる人の方が、私は優秀だと思うのです。だって、そういうお店を利用することで仕事に支障が出るわけでもないのです。むしろ、すでに話したように気持ちがすっきりして仕事に集中できるっていうメリットもあるわけです。そこまで考えられない人が、イメージの善悪だけで市長失格とか言っていただけであって、そんな非常識な政治家としての行動の部分のみで叩かれたわけですよ。でも、その非常識な行動が政治家としての職務を全うするためにプラスになるという説明ができなくはないわけですから、非常識な行動をとれる人の方が私は政治家として、人間としても有能だと評価するのです。でも、そんな国民の逆鱗に触れるような反論をした人って、いまだかつて見たことがない。私が生きている間の話ですけど。そうなると、したいけど自らの立場のことを考えてできないのか?そもそも自分の行動が悪いと思っているからすべきではないと思っているのか?は分からないが、政治家っていうのは、そういう行動しかとれない存在だと私は認識しています。

 

優秀な人は政治家にならないということもあれば、優秀な人が政治家になっても普通レベルの人に落ち着いてしまうということも、どちらも言えると思うのです。だから、ある意味国民自身が変わらなければ、優秀な政治家は出てこないし、日本社会は変わらないとも言えます。日本を良くするってことは多くが望んでいることだと思うけど、それが景気対策とか、雇用の創出とか、実態のあるものである場合には、感情よりも合理性で損得をある程度判断できるようにならないと厳しい。だから、例えばイラっとするCMが流れて、それにクレームを入れて、CMが放送中止なんて事態がよく起きる状況は、完全に逆行してますよ。CMを放送中止した企業は制作費だけがかかって、費用が回収できなくなり、そのしわ寄せは長時間労働や給与削減という形で従業員に影響を及ぼす可能性があるのです。ブラック企業が増えやすくなりますし、景気が完全に悪くなる流れですよね。そうやって勘定で判断する人が増えてしまうと、世の中的には望ましい方向にはいかないのです。だから、世の中を良くしたいと思うならば、優秀な政治家に出てきてほしいならば、政治家を選ぶ国民がまずは変わるしかないでしょう。政治においてはロボットのような合理性で判断できる人が増えることが重要で、そのためにAIが普及するのは望ましい形に近づくのかもしれないです。

 

だから政治家は嫌われる

だから政治家は嫌われる

 

 

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