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JASRACはおかしい!金の亡者で儲けすぎ!いらない批判のおかしな構図

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JASRACへの批判が去年は凄かった気がする。JASRACへの批判は以前から結構あったのだが、メディアが伝える機会が多くなってきたというのもあると思うし、JASRACを批判する一般民衆は多い。ただ、JASRAC批判をする人が1つ大きく勘違いしている部分があって、それがJASRACというのは、単なるアーティストのスケープゴートのような存在でしかないってこと。JASRAC批判への批判を展開している人の代表と言えば、西村博之氏になるのだが、彼によるとJASRACの運営方針を決めているのは総会であって、その総会の構成メンバーはアーティストであると。つまり、批判にさらされていることをやれと指示しているのはアーティストなんだと。JASRAC批判=アーティスト批判と同じと捉えるべきなのだが、なぜかアーティスト批判をしないで、JASRACを名指しで批判する人が多いというだけなのだ。分かりやすく言うと、Yahooオークションを通じて詐欺を働いた人がいた場合、詐欺行為を行ったのは出品者または落札者なのだが、なぜか運営側であるYahooオークション側が批判されているという状況に近いだろうか?運営責任が全くないとは言えないかもしれないが、1番悪いのはそこで取引をしている側の人間であって、Yahooオークションではないと。それと同様に、今批判されていることをしている張本人はJASRACで働いている職員ではなく、アーティストがやっていることだということをまず知る必要がある。

 

つまり、JASRACはアーティストが決めた運営方針に沿って仕事をしているだけであり、本来叩かれるべき存在ではない。JASRACのやり方がおかしいと言うならば、それは運営方針を決めているアーティストに言うべきことなのだ。そして、西村博之氏は言う。「JASRACを批判して誰が幸せになるのか?」ということ。彼によると、批判をするということは何か実現したいはずなのだが、それが何か?分からないのだ。アーティストのためにという人も多いかもしれないが、当のアーティストが今の状況を作り出しているのならば、アーティスト側が望んだ状況になっているので、それを批判してもアーティストのためにはならない。つまり、JASRAC批判をしてもアーティスト側に何の利益はない。じゃあ、そうなると批判する側の私利私欲くらいしかメリットがない。つまり、アーティストが作った曲を著作権を持たない人間が自由に使わせろ!と言っていることに等しいのだが、法律的には通らないだろうね。つまり、論理的に考えた場合、JASRACを批判している側は一体何のために戦っているのか?誰を救おうとして批判を展開しているのか?西村氏によれば、全く理解ができないと。JASRACがうざいとか、おかしいと思っている人は恐らく多くいると思うのだが、そういう人はJASRACが誰を軸にして動いているのか?を分かっていないのではないか?と思う。

 

JASRACがおかしいと批判される、炎上した1つのニュースとして音楽教室からも著作権料をとるというものがあったが、これも結局はアーティスト側が望んだ結果行われていることなのです。いやいや、まてよ!このニュースはアーティスト側も批判をしたじゃないか!と言う人がいうるかもしれない。確かに、例えば宇多田ヒカル氏などはこのニュースに反発をしたが、その事実が実はおかしい。なぜならばJASRACと契約をしているならば、JASRACの運営方針には従うべきという理屈が存在するので、JASRACの特定のやり方に反発する人は、JASRACを抜けるのが筋だからだ。西村氏自身も名指しで宇多田氏を今の理由で批判しているのだが、私も宇多田氏の言動はよく分からない。JASRACのやり方の全てに納得をしているわけではない。という部分は納得はするのだけど、JASRACで決めたルールを、契約者のうちの1人が勝手にぶち壊す権利はあるのだろうか?と思う。総会の中でルールを作る段階で不満を述べるのならば分かるのだが、ルールが決まった後に、「いや、私の曲は(著作権料なんて払わずに)自由に使っていいから」というのは、法律を守らない国民と一緒のように思うのですよね。立法段階で文句を言うのは良いと思うのだけど、法律としてすでに施行されているものを、自らの判断で守らないというのは、日本の場合にはそれこそ批判されるべき行為になるのだが、やっていることの性質は一緒だよね。と思えてくる。

 

宇多田ヒカル氏のJASRACへのおかしいという言動は賛同する人も多くいるかもしれないが、論理的に考えたら明らかに筋が通ってない行為に見えてくる。普通に考えたらJASRACと契約しているアーティストが、全員満場一致で特定の運営方針に賛同する、しないっていう状況はまず起きません。つまり、音楽教室から著作権料をとるとか、そういった部分に関しても賛同しない人が出てくるのは当然であると。しかし、JASRACの特定の運営方針に納得いかないならば、独断で新ルールを作って良い理屈は存在しないので、文句があるならば抜けるしかないよね。ということになるのです。だから、JASRACを抜けて楽曲の無断使用を放置するか、別の新団体に加入するか、という選択を迫られることになる。JASRACがおかしいと批判する人の中には音楽文化が衰退するということを言う人もいます。音楽教室からも著作権料をとると、音楽教室が存続できなくなって、音楽文化が衰退するという理屈がとりあえず成立するとしても、それを容認しているのがアーティスト側の多数ってことになると思うんですよね。そして、特定の楽曲の使用を自由に認めるか?どうかというのは、当然アーティスト側に権利があるので、自分の楽曲の無断使用を認めないという行為により、音楽文化が衰退したとしても、それはその人の自由としか言いようがない。だって、音楽文化を作ってきたのはアーティスト側なわけだから、彼らが自分たちのさじ加減によって衰退したとしても、それは理屈として何ら問題ないのだ。ただ、音楽教室で自由に特定の楽曲が使えないとしても、=音楽文化が衰退するというのは飛躍しすぎじゃないか?という気もする。衰退するかもしれないけど、音楽が聴けなくなる、歌えなくなるわけではないので、音楽文化が好きならばお金を払えってことなんでしょうね。

 

音楽教室側としても「教育」みたいな言い方をしているわけだが、これに関しては西村氏が「授業の中で楽曲を使うならばJASRACに関係ないものを使用すれば良いのに、何でやらないの?」とも言っていて、それは当然の疑問だと思うのです。楽曲なんていくらでもあるので、世間で流行っている、またはメジャーなJ-POPとかを使用しなくても成り立つわけですよ。でも、著作権にひっかかる楽曲を使う理由があるとすれば、それれはそういったメジャーな、誰もが知っている楽曲を使わないと、生徒が集まらないっていう事情があるんだと思います。例えば、童謡とかを使って音楽教室に通いたいか?というと、そうは思えない人が多いと思うのです。つまり、利益のためであって、「教育」というのは詭弁に思えてくるのです。教育のためというのならば、どんな楽曲だって良いと思うのですよ。その中からあえて面倒な著作権の問題が発生する者を選んでくる理由が、他には私はよく分からないし、他にも疑問を感じている人はいると思います。だから、音楽教室側のJASRACがおかしいという批判は、私は賛同できないのです。実際、音楽教室の業界は700億円クラスの儲けがあるらしいのですが、これがビジネスじゃなくて教育と言われてもね。

 

そして、JASRACはおかしいとする批判の最後としては儲けすぎというのもあります。お金の話題になると、JASRACはうざいと感じる人は増えますよね。金の亡者と批判している人もいるみたいですから。ただ、この批判は不毛だと思う。はっきり言って、どこからが「儲けすぎ」なのか?の基準がないから。儲けすぎと批判している人も、本当にJASRACが儲けすぎか?なんて証拠は提示できないでしょう?だから、感情論としか言いようがないんだけど、とにかく何か問題点を見つけて批判をしてやろうという精神が垣間見えるのです。その1つが「儲けすぎ」だと思うんだけど、この指摘は論外だと、JASRACの中の人が言っています。JASRAC批判を受けて、中の人や西村博之氏などが集まって行ったニコ生で、JASRACで働いている人が嘆いていたのは、「JASRACのホームページには決算書が公開されているが、誰もそれを見てから批判をしない。これを見れば儲けすぎなんて発想になるはずがない」といったことを番組で言っていたのだ。つまり、JASRACによれば金の亡者という批判は完全に的外れであると。儲けすぎなんて状況はありえないらしい。実際、決算書をいちいちチェックしてからJASRACをおかしいと批判している人がいるとはあまり思えないというのは、正直ある。

 

JASRACをうざいと感じている人の中には、音楽教室などから著作権料をとるといった行為に着目し、そんなところからも徴収するくらいにお前らはお金が欲しいのか!といった感情になってしまっている人がいるかもしれないが、別にそれはJASRACが金の亡者だからではない。先ほども言ったように、それはアーティスト側の意思であり、JASRACの意思ではないから。だから、アーティスト側が金の亡者だという批判ならばまだ分かるが、JASRACが儲けすぎという批判はどう考えても成立しない。JASRACはアーティスト側の意思に則って職務を全うしているだけなのだから。使者に近い立場かもしれない。そして、先ほども言ったが、どこからが儲けすぎなんて基準がないので、こういう議論自体何の意味もない。儲けすぎの基準がその批判者の主観によって決まってしまっているので、その状況を許すならば、JASRAC(アーティスト側)が同じく主観によって、儲けすぎてませんよ?と言えば、当然それも正しくなる。主観による議論に意味はない。JASRACはうざいという批判をしている人は多くいるが、その批判者の意見は西村氏らによれば、おかしなことを言っているということなのでしょう。そして、JASRACをいらないと言う人もいるわけだけど、JASRACがなくなったら、アーティスト側は基本的に困る。というのも、契約しているアーティストは多くいるわけだが、彼らは運営方針に大満足はしていないとしても、ある程度満足したうえで契約をしていると思われる(少なくともメリットの方が大きい)ので、JASRACがいらないと言っている人は、アーティストが困っても良いと言っているに等しいということになるが、そうなると、やはりJASRACがおかしいと批判する人は誰のためにやっているのか?の大義名分が存在しないとなるのです。

 

JASRACがいらないとなれば、契約しているアーティストは基本的に困るので、いらないという発言をしている人は、アーティスト以外のためにやっているのだ。という状況じゃないと筋が通らない。じゃあ、誰のためにやっているの?というときに、自分たちが好き放題に楽曲を利用させてもらうためというのであれば、それは法的に通らない理屈だろうということになり、結局まともな大義名分が存在しないとなるのです。だから、まずはJASRACというのは契約しているアーティストと同一視すべき団体であるということを知るべきなのでしょう。JASRACを批判している人は、契約アーティストが被害者であるという構図として認識しているのではないか?と思うのですが、JASRACが悪いということになると、アーティストは加害者になります。ここを認識しないといけないのです。だから、JASRACが金の亡者であるという批判やいらないという批判は、恐らく批判者が向けて言っている先とは違うところに届くことになるというのは、やっぱり知らないといけないでしょう。

 

あとはアーティストへの分配金の透明性なども言われているが、これもアーティスト側が言うことであって、私たちには関係ない話だと思うんですよね。透明性がどうであれ、私たちには何の影響もないですから。透明性の議論も結局は、アーティスト側がやることなので、私たちがもっと透明性を確保しろとか言うのはおかしいと思うのですよ。どの程度の透明性を望むのか?はアーティスト側が決めることなので。実際、分配の仕方が雑とか言われることもあるんだけど、これに関しては雑にしないとアーティスト側が損するんですよね。つまり、手間をかければかけるだけJASRACでの人件費がかかるので、アーティスト側の取り分が減るわけですよ。だから、アーティスト側もより丁寧な分配の仕方を望むとは限らないわけです。実際、分配金の透明性云々の批判をしているのは、アーティストじゃなくて一般人なわけじゃないですか?アーティスト側で批判をしている人はいるかもしれないけど、かなり少数派だと思うんですよね。だから、アーティスト側が客観的に見て望んでいないことならば、透明性の問題に関しては放っておいた方が良いのではないか?と思います。JASRACをうざいと感じている人は間違いなくかなりいるが、イメージによってという部分は大きいのではないか?と個人的には思っています。本質的な議論をするためには、JASRACとアーティスト側の関係について、世間の多くが勘違いしているであろう問題なので、少しでも正しい認識になることを望みます。

 

これだけは知っておきたい「著作権」の基本と常識

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