就職しないで、ブロガーになった人のBlog

就職して雇われてお金を稼ぐという従来の働き方にとらわれない、未来の生き方を模索していきましょう。

無駄が多い学校になぜ行くのか?無駄な時間や授業はなんのためにあるのか?存在意義を問う

【スポンサードリンク】

私は過去に何度も学校の存在を否定する記事を書いてきた。私は学校になぜ行くのか?について1度でも考えてみる必要性があると思っています。私がそういったことを初めて考えたのは大学卒業後だと思う。それまでは学校に通うことを当たり前の状況として疑ったこともなかったし、それが正しいか?どうかはともかく、それに安心感を覚える自分がいたのです。でも、それから大人になって、いろいろと考えをめぐらせる機会が増えると、学校はなんのためにあるのか?という疑問が沸いてくる。学校はなぜ行くのか?そもそも無駄な時間が多すぎやしないか?無駄な時間というのは学校で学ぶこと全てに言えると思っています。そんな学校になぜ行くのか?これは学校は無駄な授業があるとか、そういう部分的な話ではなくて、全体的に無駄が多いと思っているのです。学校には無駄が多いと思っている人もいると思うのですが、私は全部が無駄だと思っています。なぜか?というと、学校で学ぶことは子どもにとって必要性に駆られて学んでいることではないから。分かりやす例を挙げると、小学生とかが夏休みの宿題をギリギリまでやらないって光景が全国であると思うのです。夏休みの約40日間で、計画的にやらないで、最後の方にまとめて全部やろうとする子が結構いると思います。実際、夏休みがもうすぐ終わりだ!という時期になると、急にやり始める子がいると思うのですが、なんででしょうか?

 

それは本人が宿題をやる必要性を感じたからでしょう。まあ、ここでいう必要性というのは、宿題をやる意義を理解したとか、そういうわけではなく、先生に怒られてしまうから、それを避けるためにやらないといけないという必要性だと思われますが。ただ、必要性を感じたら、自主的に宿題をやるわけですよ。やらないといけないと思ったら、多くの人間はそのやらないといけないことを進んでやる傾向が強いと思う。逆に小学生とかが夏休みの前半に宿題を全くやらないというのは、まだ残り時間がたくさんあるから、まだやる必要はないと感じているからなのです。だから、やらない。必要性を感じていないときというのは真面目にやらない、取り組まない。でも、本人が必要性を感じたら自主的にやるわけです。こういう事実は現実的にあるでしょう。さて、学校で学ぶことって、子供たちにとって今すぐに必要なモノなのか?と言えばたいていはそうじゃない。つまり、子供たちにとって今まさに必要としていないものを学ばせているのが学校なわけです。ここが学校には無駄が多いと言える根拠になる。子供たちが必要性を感じていないならば、子供たちは強制力によって学ぶということするが、それは学ぶこと自体をタスクとして捉え、それを完了させることに没頭しがちなのです。そうなると、そこから何かを得るということは厳しい。当然ながら嫌々学んでいる子の学校での成果は出づらいと思う。これが学校での無駄な時間なのです。何が必要か?っていうのは、それを必要としたときに学べば十分で、あらかじめ学校で教え込んでおく必要性はないと思います。

 

というのも、例えば学校で漢字を習うと思いますけど、漢字って学校で習ったもの以外でも日ごろ目にする機会が大人になると増えます。でも、学校で習った漢字以外は全く読めない、書けないか?といったらそうではないのです。学校を卒業してからでも新しい漢字を覚えることはあります。それは日常生活の中で勝手に覚えているのです。見たこともない漢字を発見したら、調べたりする人もいるだろうし、クイズ番組とかでこの漢字ってこう読むんだーと、無意識のうちに学んでいる人は多数いると思います。それって、要は必要性を感じたからなんですよ。その漢字を知っておくと、得をするかもしれないとか、その漢字を知らないと困ることあるかもしれないという脳内の判断によって、学校を卒業した後も、無意識のうちに新しい漢字を覚えようとしているのです。逆に必要性なんか感じなかったら、新しい漢字を見てもスルーでしょう。漢検1級とかの漢字を見ても、これは覚えておかないと!なんてたいていの人は思わないでしょうから。それはそんな難しい漢字を知っておく必要性がない(知らなくても困らない)という判断からでしょうね。そうやって各人が自分自身で必要なことに関して見聞を深めたり、学ぶということを無意識に判断してやっているのです。そして、自分自身が判断をしているわけだから、その判断は恐らく1番正確だと思う。学校がなくても学校で教えるようなことは勝手に学べるし、しかも自分にとって必要なモノだけを取捨選択して学べる。かつ、必要性を感じたときのみ学ぼうとするので、その知識などの吸収力は強制によって学ばせようとしたときと比べて圧倒的に優れているはずなのです。

 

学校で過ごす時間がいかに無駄か?というのが分かってきたのではないか?と思います。学校に行かないで生きるとしたら、要はその人が生きていく中で困るときがあるかもしれないが、その困ったときに困ったことを解決するような勉強を、そのときに初めてやれば良いのです。それ以前からやっておかないといけない理由はない、それをやろうとすると、結果的に無駄が多いということになります。学校であらかじめ教えておく必要なんかないのです。必要な時に必要な勉強をすればよくて、そういう生き方でも基本的には致命的な問題は発生しないと思う。必要なときに備えてあらかじめていろいろなことを教えていくから、学校は無駄が多いということになります。無駄な授業としては古文とか、美術とか、日本史、世界史とか、いろいろ言われるかもしれないが、無駄な授業とかそれ以前に、学校で学ぶこと全てが私はあえて子供のときに身に付けないといけないものは思いません。何の知識や教養もないまま大人になったっていいんですよ。それで困らないのならば、そういう生き方を否定する理由がない。で、困るときがあったならば、その困る部分だけを解決するように行動すれば良い。今はインターネットが充実しているので、学校に通わずとも得られる知識は多い。

 

しかし、社会性はどうするんだ?という意見もあるかもしれない。社会性は学校のようなところに通わないと身に付かないぞ?と言う人がいるかもしれないけど、社会性だって生きていくうえで必須ではない。なくても良いんですよ。社会性があれば、それによって実現できることが増えるというだけ。だから、人によっては社会性を身に付けるために学校に通うとすればそれは無駄な時間になるかもしれないのです。それに学校に通っていないと社会性が身に付かないということはない。社会性だって、さっきと同じなのですよ。自分に社会性がないことで困ったことがあったならば、そのときに社会性を磨けば良いのです。社会性の必要性を感じていないときに、それを学ばせようとしても無駄が多い。本人にとってそれが本当に必要なんだと感じた瞬間こそが社会性が1番身に付くタイミングなのだから、そのときまで待てばいい。逆に一生社会性を身に付けようと思う必要性に駆られない人もいるだろうし、それはそれで問題ない。ホリエモンとかは社会性があるか?微妙だと思う人もいるだろうけど、彼はちゃんと生きてますからね。そもそも社会性っていうのは、どちらかというと本人の性格の起因する部分が多くて、後から身に付けるとか、そういう次元の話ではない気もしますし。だから、社会性は学校に通わなくても身に付くし、学校に通っても身に付かない人はいるし、そもそも社会性を身に付けることがそこまで必要か?というと、どうなんでしょうね?というのが私の感想なのです。社会性が身に付くと空気を読む力はつくだろうが、自分の主張が通せず、同調圧力に屈して、それで困ることもありそうですからね。社会性は絶対的に正しいものとは言えないと思います。

 

そういう意味では、小学校から大学くらいまでの過ごした時間って、すごい無駄が多いのではないか?と、私は大人になってから気付いたわけです。小中高大の17年間(私は大学を留年している)で、学んだことの中で役立ったことは確かにある。無駄な時間も多かったと思うが、確かに学んだことの中で役立ったことはある。しかし、それは学校の通わないと学べなかったことか?と言えば、絶対にそんなことはないと思う。学校に通っていなくても、必要と感じたものに関しては自主的に学んでいたはずだ。つまり、結局学校っていうのは代替が利くものが存在するわけ。親でも良いし、インターネットでも良いし、テレビ番組でも良い。学校が果たしてきた役割は、別の何かでも十分補える。しかも、確実に学校よりもお金と時間がかからない方法で実践できるのです。この状況で、学校はなぜ行くのか?という疑問が多くに沸くと思うのですが、そういう考えになる人は少ないみたいです。それは現状の社会は学校で学ぶことよりも卒業して学歴を身に付けることに意味が生じてしまっているから。だから、学歴社会が淘汰されない限りは、そこに気付いても学校に通うのをやめる人は少ないだろう。学校で学ぶことは無駄な時間が多いと気づいても、学歴を手にするために学校にみんな通い続けるのだ。だから、学校になぜ行くのか?という疑問は多くの人に生じていても、その非効率な生き方を変えられない。本当は国が率先して学歴社会を崩していくべきだとは思うが、国は学校が必要だと絶対に思っているはず(学校に通わない人が増えると、国にとって不都合な存在が増える可能性があるから)なので、国がそういうことは絶対にしないと思う。

 

学校は無駄な授業どころではなくて、学校で過ごす時間そのものが全て無駄に感じられてしまうのだが、やはり学校はなんのためにあるのか?という存在意義が私にはわからない。一部では学校になぜ行くのか?という疑問を持っている人もいるみたいで、それを学生の頃からインターネット上で吐露している人もいるみたいです。私の学生の頃と比べると随分優秀なのかな?と思えなくはないが、結局そういう人も学校に行く必要性について考える必要性を感じたというのが大きいでしょう。例えば、学校に通いたくないと思い始めた子は、そういう感情になったことがない子と比べて、学校になぜ行くのか?という疑問が生じやすいはずなのです。だから、そういう考えになりやすい。学校はなんのためにあるの?私たちに何をしてくれるというの?という疑問は、学生のうちにはそうは出てこないものだと思います。でも、その理屈で言うと、学校になぜ行くのか?という疑問を感じていない人は、学校に行くべきか?どうかを考える必要性がないわけだから、それについて真面目に考える必要はない。ということが言えそうです。それがある意味幸せな状況ならば、確かにその状況を崩す意味はないかもしれない。でも、無駄が起きているのは私は事実だと思うのです。だから、無駄を許容できる人はそれで良いと思うんだけど、無駄を許容できない人は、無駄について考える必要性があると言えると思うので、会社などで働いていて、無駄が多いなーと感じてイライラしているような人がいれば、その人は学校などの時間を含めた無駄が多い部分について真面目に考えていく必要性があると言えるのではないでしょうか?

 

仕事が速い人ほど無駄な時間を使わない!  超速片づけ仕事術

仕事が速い人ほど無駄な時間を使わない! 超速片づけ仕事術

 

 

あわせて読みたい記事