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制服を着る子供たちは一生不幸を感じないといけない事実にみんな気付かない

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LGBTの人に配慮するためにスカートやズボンを自由に選べるようにするとか、アルマーニの制服の是非とか、最近学校の制服に関する話題が多いな。と感じる。その中で、そもそも制服なんかいらねーだろ!っていうのが私の意見だ。私はそもそも学校がいらないだろうと思っている派なのだが、学校が存続するとしても、制服はマジで何のためにあるのか?分からない。制服が格好いいならまだ良いんだけど、マジで制服ってどれもダサい。私は中学で学ラン、高校でブレザーだったが、どっちもファッションとしてはマジでダサい。大人になると社会人になってスーツを着る人も多いが、あれもダサい。私にとって私服以外の洋服はほぼほぼ全てダサい。ホリエモンとかも制服は金の無駄と言っていたことがあるらしい。それに関しては、私服だと毎日違うものを着ないといけないので、考えるのが大変とか、私服の方が金がかかるという意見もあるらしいが、私はこれらがまるで理解できない。そもそも何で私服だと毎日違うものを着ないといけないんだよ???その発想がおかしい。誰が決めたんだ。私は自分で言うのもなんだけど、ファッションにはある程度関心があるし、お金も使ってきた。しかし、持っている枚数は多くないから、学生時代とかもかなり同じパターンの連発で、同じ服装で人に会うことは何度もあった。

 

それは私は本当に気に入った洋服しか買わないから。私が気に入る洋服のハードルがかなり高いため、そんなに何着も買えない。別にそれを気にすることはない。なんかよく分からないけど、「私服は毎日同じものはいけない」みたいな風潮を勝手に作って、それを真面目に守っている人たちがいるというだけの話なのだ。自分たちで自分の首を絞めているだけであって、制服やスーツが毎日同じものを着ても良いんだったら、それを私服でやってはいけない理由なんか存在しない。つまり、私服を何着も揃えないといけないとか、流行に合わせて変えないといけないとかの前提ならば制服よりもお金はかかるかもしれないが、私服なんて安いものいくつか持っていれば、それで3年間持つだろう。冬のアウターとかだって、ユニクロで買えば安いものは数千円くらいで買えるし、キッズサイズならば尚更安いはずで、十分3年間使えるはずだ。明らかに制服よりも安上がりになると思うが。

 

さらに言えば、制服はプライベートでは着ないだろう。プライベートでは私服をみんなきているはずで、結局私服のお金はかかるんだから、そのプライベートで着る私服を学校でも着られる時点で、どう考えても制服の方が安いなんてことはありえない。制服があってもなくても、私服は絶対に買うのだから、制服というプラスαの出費がある時点で、制服の方が金はかかる。そして、私服でいじめが起きるとか言う人もいるけど、それはいじめが悪いと言えば良いだけだろうに。人と違うことを何とも思わない、思わせない教育をする方が先であり、いじめをする人のために、例えばキャラ弁を禁止するとか、そういういじめの標的にされそうなものを禁止していったらキリがない。あれが禁止ならば、同じ理由でこれはどうなんですか?と頭のいい奴に詰め寄られて、論破される姿が簡単に脳裏に浮かぶ。つまり、こんなやり方をしていたら、選択肢がどんどんなくなり不幸な人間を増やすだけなんだよ。

 

結局のところ、私服は毎日違うものを着ないといけないという発想を持っている時点で、私はその発想を矯正するような教育をすべきだと思っているし、本人もその発想を自分で矯正すべきだと思います。なぜならば、その発想を抱えていると、その人はその発想に一生苦しむから。その発想っていうのは、結局の同調欲求に類するものであり、みんなと同じでいたいというもの、みんなとな同じじゃないと嫌だという発想を持っている限り、あらゆる場面で人と違う自分を認識することにより、自分自分を不幸に感じてしまう。それがずっと続くくらいならば、幼少期の段階で矯正させた方が良い。人間は人との差異に敏感で、それによって優劣を感じてしまう生き物だと思う。それは本能的に備わっているのか?は分からないが、人を苦しめる要素の1つにはなる。でも、大半の人間はその発想を変えようとはしない。なんとかみんなと同じようになろうとする努力で解決しようとするが、そんなやり方をしていては一生かかっても無理だ。なぜならば、人と違う部分なんて無数あって、全部はどうにかできないから。だったら、最初から人と違って何が悪いん?と思えるような思考のパターンを作っていく方が、よっぽど建設的で、親が子供にたびたび言う「よそはよそ、うちはうち」というような表現はある程度的を射ているように思う。人と比べること、そして以前と自分と比べることをやめない限り、人間が幸せになるのは不可能だろう。

 

制服を排して、私服のみの通学という学校を作れば、そういった訓練ができると思うし、ファッションに関心がない人にとっては制服の方が楽なのは分かるのだが、それは結局自分と他人とのファッション格差と意識してのことで、要するに自分と他人を比べている証拠なのだ。または他人からどう思われるか?ということを気にしている証拠とも言える。つまり、目先の楽なことを優先して、制服の生活を送ることを選ぶと、他人と比べることや他人にどう思われるか?ということを気にしまくる生活から脱却できない。それは私から見ると非常に不幸に見える。だから、目先の利益ばかりを求めるのではなく、人生を長期的に考えるならば、私服のみで学校を運営した方が、私は人の幸せを考えたときの教育としては真っ当だと思います。教育関係者にそこまで考えられる人がいるか?というのは分からないし、制服自体が日本の教育の伝統みたいになっているので、今更変わるとも思えないが、制服を着て学校に通学することが当たり前だった私や今の子供たちを見ていると、ちょっとかわいそうに思えてくる。制服である必要性がないし、制服はマジでいらないと思っている。私から見て制服はダサいというのも理由の1つだが、やはり制服それ自体が人を不幸にしている側面は否めない。それに気付かないで制服を着ている子供たちを見ていると、何とも言えない気分になる。

 

 

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