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混雑した車内でリュックを背負う人の迷惑行為を批判する日本人の浅はかな考え

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混雑する電車内でリュックを背負われると迷惑ということを言う人がいる。非常に面白いことを言う人だなと思うけど、こういうことを思っている人は多いらしい。日本人の頭ってこのレベルなんだ?と思わずにはいられないが、それを正しいと思っている人は多いようなので、混雑した電車内ではリュックを背負うのは邪魔になるからよくないという風潮は蔓延しているみたい。確かに他の乗客からすれば迷惑に感じることもあるだろうが、私からすれば「迷惑をかけて何が悪い?」としか思えないですけどね。そんな記事が「満員電車でリュックを背負ったままの人「重すぎて天棚に載せられない」 - ライブドアニュース」にありました。

 

>満員電車はただですら不快なものだが、周囲にマナーが悪い乗客がいるとさらにイライラしてくる。中でも、混雑した車内でリュックを背負ったままでいる人に対して、思わず舌打ちしたくなった経験はないだろうか。

少し考えれば迷惑だとわかりそうなものだが、なぜ頑なに下ろさないのか。そんな疑問を持つ人物が2月下旬、ヤフー知恵袋に「満員電車でリュックを下ろさない人に質問です」という相談を寄せた。

相談者は、 「迷惑なのを気づかないのか、迷惑がかかっても関係ないと思っているのか、下ろしたら負けとか、人に従うのが嫌だとか、なんでか理由をお聞かせ下さい」 という質問を投げかけている。

 

この相談者には悪いけど、私も大学生のときには混雑した車内でリュックを背負ったままでした。この人の言う通り、迷惑には気付いていますが、迷惑が掛かっても関係ないと思っています。迷惑をかけることが悪いなんて思ったことはありません。迷惑をかけてはいけないということ言う人は、私はそれこそ常識を疑うんですよ。「少し考えれば分かる」とか書かれているけど、それを言うならば、人間は他人に迷惑をかけないと生きられないことは、少し考えれば分かると思うのですがね。お互いに迷惑をかけあいながら生きることしかできないと思うのです。電車でリュックを背負う行為が邪魔と感じても、それは人間が生きながらにしている迷惑行為の氷山の一角でしかない。だいたい、そもそも混雑した車内では邪魔と感じることはいろいろとあると思うんだけど、どこからの邪魔がダメで、どこまでの邪魔は良いとか、そういう基準がない。デブ税を主張している人間も一緒だけど、そもそも迷惑なんてものは相対的な問題なのだ。体重が100キロの人は迷惑って主張があるかもしれないけど、70キロよりも80キロの人は相対的に迷惑っていうのも正しいですからね。迷惑の客観的基準がない中で、各自が迷惑だと感じたものを迷惑だと言って否定して良いとなれば、どんなこともでも迷惑にできますよ。

 

強いて言うならば、各人が自分のさじ加減で判断しているというだけ。なぜそういう主観的な判断が正しいと思えてしまうんだろう?全く理解できません。電車でリュックを背負うと邪魔ということを感じたとしても、じゃあ各人が邪魔と感じたものは何でも排除しようとして良いんですか?と言うと、恐らく多くは首を縦に振らない。その状況で、じゃあ排除しようとして良い邪魔とそうじゃない邪魔の基準は何ですか?と聞くと、恐らくまともな返事は返ってこないですよ。彼らに基準なんかないんですよね。正確に言うと、自分の本能的な判断こそが基準であり、そこに冷静な思考や客観的な根拠は存在しないのだ。間違いなくこの記事の筆者や相談者とされる人も日常的に他人に迷惑をかけながら生きていると思うんだけど、それは無視ですか?自分の迷惑行為は無視(または気づかない)で、他人の迷惑行為を指摘するっていうのは、個人的には納得できません。

 

リュックを前に持てば、それだけスペースが生まれて、満員電車でリュックを背負うときと比べて邪魔にならないから、その気遣いをしろ!という声もあるみたいだが、それを言うならばね、乗客が全員1キロくらい痩せれば、トータルでのスペースは大きくなり、それも同じ効果を生むよね?ってことだと思うんだけど、そういう指摘は誰もしないよね。要するに、電車内でのスペースを多く占領することがいけないことで、それを防ぐための気遣いをしろ!が正しいならば、それを言っている側もやるべきだ。やれる範囲でやった方が良いですよね?1キロくらい痩せても健康的に問題ないし、やろうと思えばできるだろう。じゃあ、お前らもそれをやれよ!そして、やってから言えよ!と思うんだけど。迷惑をかけないように気遣いをしないといけないという意見が正しいならば、お前らは1キロ痩せてから電車に乗ってこい。そもそも気遣いを言い出したらキリがないのだよ。やろうと思えばできる他人に迷惑をかけない気遣いなんて挙げたらキリがない。そんな中で特定の気遣いだけを出してくる人間は、そういったこと気付かないのだろうな。その程度の思考力ってことなんだろうねw

 

ちょっと正確には覚えていないんだけど、西村博之氏とその友達のひげおやじ氏の対談を聞いたときに、同じような話をしていたのだ。なんて言っていたか?正確には覚えていない部分もあるが、西村氏がひげおやじ氏に対して「人としてやっちゃいけないこと」みたいなことを質問したと思うのだけど、そのときに「ひげおやじ氏が人に迷惑をかけること」と言っていた。それを聞いた西村氏は「人に迷惑をかけてはいけないと言う人って、すごい浅はかだと思うんだよね」と言い放った。その言葉にひげおやじ氏は最初は反論したが、最終的には西村氏の言動に納得したみたいな感じだった。西村氏が指摘したのは、ひげおやじ氏がやっている司会業を例に出し、あなたがその仕事をしているおかげで、その仕事に就ける人がそれだけいなくなることを意味する。だから、あなたは他人から仕事を奪っているのだから、他人に迷惑をかけている。そう言われて、ひげおやじ氏は「それは違う。だって、この仕事は誰でもできるわけじゃない」みたいな反論をした記憶があるのだが、西村氏は「でも、司会をするって仕事はあなたがやらない場合には他の誰かが任されるわけじゃん?」って反論したと思う。

 

つまり、仕事の量っていうのは数が限られれているもので、仕事に就いている人は他人がその仕事に就けるチャンスを奪っていることになる。仕事なんて山ほどあるんだけど、当然ながら待遇の良い仕事から埋まっていくので、残るのは待遇の悪い仕事だけになる。そうなると、先に待遇のいい仕事を得てしまう人は、待遇の悪い仕事しかできない人にとっては迷惑をかけられていると同じなのだ。待遇のいい仕事をしている人が、待遇の悪い仕事を優先的に選んでいれば、他の人が待遇のいい仕事に就けた可能性を増すのだから。こういうのは俗に言うトレードオフの関係なんですよね。誰かが得をすれば、誰かが損をするという状況で、世の中の仕組みとしてはトレードオフで成り立っている部分は非常に多い。冒頭で示した電車内でのリュックの問題も同じで、混雑した車内でリュックを背負われると周りの客にとって迷惑だとしても、リュックを背負っている人がそれを下におろして手を持たないといけないなんてなれば、はっきり言って手が疲れるし重い。つまり、今度はリュックを背負っている本人が迷惑を被るのだ。結局、西村氏も迷惑をかけずに生きることは困難なのだから、他人の迷惑を指摘する人は浅はかだだということを言っていたと思うのだが、電車内でリュックを降ろせと言っている人は、まさにこの状況だ。トレードオフという概念があれば、電車内でリュックを背負っている行為を迷惑行為だと感じても、一概にそれが悪いことではないことに気付けるはずだが。

 

基本的に人間は迷惑をかけないで生きることは不可能です。日本では迷惑をかけてはいけないということがまるで宗教のように語られており、それに子供の頃から洗脳され、彼らが大人になって、また子供たちを洗脳しようとする。その繰り返しなのだが、その教えは非常に非現実的なことに多くは気付かない。電車内で他人のリュックの迷惑を指摘する人は、自分の迷惑行為は仕方ないことだと都合の良い線引きしているのか?そもそも自分がかけている迷惑に気付かないか?のどちらかではないか?と思うが、結局は家庭や学校での教育がおかしいということになる。私は車内でリュックを背負っている経験が何度もあるけど、別にそれが迷惑行為だと指摘されたことは1度もないので、これがそこまで不快な行為だと思っている人は少ないのかもしれないけど、仮に指摘されたら大いに反論するだろうね。最終的には「人が迷惑を一切かけないで生きる方法を教えてくれ。あなたがそれに答えられないならば、人に迷惑をかけてしまうことは防ぎようがないってこと。だから、私があなたにかけてしまう迷惑もしょうがないと扱うのが自然ですよね?」とでも言っておくと思う。実際、他人に迷惑をかけてはいけないという日本の負の文化に関して、批判をする人も結構いるわけです。インターネットで探すと結構見つかります。

 

私はこれからも他人に迷惑をかけながら生きるでしょう。でも、それは私に限っての話ではない。私は自分がする行為が他人への迷惑になっているという自覚を持っているということ、そして他人がしている行為も私への迷惑になっているということを知っているというという違いがあるに過ぎない。そもそも車内でのルールを鉄道会社の人間でもない人たちが勝手に決めていることに何の疑問も持たないって現状が1番謎ですけどね。混雑した車内でリュックを背負ってはいけないということは、たいていの場合で会社が言っているわけではなく、乗客が言っているに過ぎない。リュックを背負っている人も同じ乗客なのに、なぜ一方の乗客の意見だけが正しくなるのだろうか?そもそも単なる乗客に車内でのルールを決める権利はないのに、なぜ単なる乗客が主張する意見が正しいみたいな風潮になるのだろうか?日本人のこういうところが本当に理解できない。日本人に限った話じゃないけど、多数が主張することは正しいと思ってしまう人たちが多いんでしょう。だから、日本人は常識に固執する。別に多数派だから正しいという理屈は存在しないんだけど、何の根拠もなくそう考えちゃう人たちが多いのです。そういう人間の存在が私にとっては本当に迷惑なので、他人への迷惑にうるさい人はそこをなんとかしないと、確実に矛盾が出ますよね。まあ、そこまで考えられたらこんなバカみたいなことをそもそも言いませんがね(笑)

 

 

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