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京都で顕著な景観規制なる取り組みは同調圧力やいじめの構造でしかない

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日本には景観保護という概念がある。これは世界にもあるようだが、日本で景観保護について積極的に行っているのは京都だろうか?京都は景観規制が特に厳しいのではないか?と思われるが、私はこの景観規制というのがはっきり言って理解ができない。京都では昔からこういった取り組みがあったのだろうから、京都に住む人たちは何も違和感がないかもしれないが、それこそ思考停止以外の何物でもない気がする。逆に私は関東に住んでいるが、関東に長年住んでいると、景観規制なるものはほぼ見られない。皆無ではないかもしれないが、明らかに京都の方が厳しいと感じる。1番分かりやすい例は、関東では当たり前になっているお店の看板が自粛されていることだろう。例えば吉野家の看板と言えば、オレンジ色が代表的だが、それが京都だとエリアによっては白になっている。傍から見れば、吉野家の看板とは全く気付かないのだが、これが京都の特定のエリアだと当たり前になっているのかもしれない。さらに言えば、セブンイレブンの看板も赤、緑、オレンジなどを使ったカラフルな看板は見られない地域もある。こちらも傍から見ればとてもセブンイレブンには見えない佇まいとなっているのだ。

 

これらは景観規制なるものによって起きている現状なのだが、景観規制というのは美しい景観を壊さないための配慮であるというのが、目的だろう。しかし、それって裏を返せば、吉野家セブンイレブンの看板は美しい景観を壊すような存在だと言っているようなものだ。つまり、吉野家セブンイレブンの看板はある種の同調圧力によって、相応しくないものとされてしまっている。確かにこの2つの看板は派手かもしれないが、明らかに私はいじめの構造でしかないと思います。「お前らの会社が掲げている看板は京都の街に相応しくない」というのは、ある種の仲間外れにも思えるし、悪口にも思える。特定の看板が美しいか?否か?というのは非常に主観的な概念ではあるが、学校のクラスの中に特定のグループがあって、そこに入るのを拒否されたり、お前は相応しくないからこっちに来るなと言ったら、いじめ案件として処理されかねない気がするが、京都の場合には景観規制という言葉で上手く誤魔化している。つまり、景観保護のために特定の会社の看板を排除することをいじめではなく、真っ当なやり方なんだという錯覚を上手く生じさせている状況とも言えるのだ。深く考えない人ほど騙されるんでしょうね。

 

しかも私が見た例だと、京都駅のすぐ近くの場所のセブンイレブンまで景観規制のために看板やお店のデザインを地味に変えているケースがあるのだが、そういった場所っていうのは、要するに東京と変わらない場所なのですよ。寺社とか、重要文化財とは無縁と思えるようなエリアであって、そういう街の雰囲気って、東京にも普通にあるようなところで、東京ではこういうセブンイレブンの看板は普通にあるのに、何で京都はそんな規制をするのか?がそもそも謎である。というのも、東京の同じような雰囲気のエリアで、セブンイレブンが例の看板を出して営業しているのはもはや当たり前である。それを規制しようという動きはない。ということは、東京ではセブンイレブンの看板が景観を壊すなんていう感覚にはなっていないのだ。というか、特定の看板と街の景観のマッチ具合に関して、景観を考慮するなんて感覚自体が一般人には働いていないケースも多いだろう。これは東京に住んでいる住人もほとんどがこういった感覚ではないか?と思うのだが、この状況が存在する中で京都がやっている景観規制は一体何の意味を持つのだろう?というのが非常に疑問なのだ。何が言いたいか?っていうと、景観が壊れるなんていう感覚は、景観規制を積極的にしている地域だからこそ生まれているのではないか?ということ。景観規制が当たり前に存在する地域だからこそ、景観に敏感になっているだけであって、そんな取り組みをそもそもしなければ、景観を規制しないと!なんて感覚にならなかったのでは?ということなのです。実際、関東に住んでいる私は日ごろから街の中の景観に意識が向くなんてことは皆無だ。

 

実際、景観規制をすることで生まれるデメリットがあるわけですよね。景観規制をすることで得られるメリットというのは、自治体や住民の自己満足くらいだろうか。場所によっては観光客の増大というのもあるかもしれないが、すでに示したような普通の街中で景観規制をしてもそんなメリットがあるとは思えない。そして、デメリットは何か?というと、要するに景観規制に巻き込まれたお店の売り上げ減少がある。実際、京都は国内外から多くの観光客がくるのだが、こういう状況をそもそも知らない人間も多い。つまり、セブンイレブン吉野家だけではないけど、景観規制によって派手なお店の佇まいを規制されたお店は、そこにお店があることに気付いてもらえない可能性が高い。普通に考えたら売り上げが下がりそうですけどね。下がった売り上げが他の代替のお店で補完されているまだ良いかもしれないけど、世の中にセブンイレブンじゃないと嫌だって人もいたりするんですよね。セブンイレブンの代わりにローソンでも良いと思える人もいれば、そうじゃない人もいます。っていうか、ローソンも京都だと看板が変わっているところもあるみたいなので、コンビニ全体がダメなのかもしれないが。つまり、特定のお店の売り上げ減少と、その街を訪れた人の利便性の減少(特定のお店があることに気付けないから利用ができない)が主なデメリットになります。

 

これらのデメリットはかなり実害に近い。景観規制をするうえでのメリットを上回っていると私は感じる。さっきも言ったけど、やはり東京が明らかに京都よりも景観規制が緩い中で問題なく存在しているならば、京都も景観規制を緩くしても問題ないと言えてしまうからだ。サンプルがある時点で、そのサンプルが最大の根拠になる。景観規制を最初に始めた人間がそもそも問題であり、景観規制という概念がなければ、今言ったようなデメリットが存在しない中での京都が存在したのではないか?ということ。しかし、景観規制が当たり前の中で京都に住む人は暮らしているので、派手な看板などは悪であるという考えが確実に頭の中に植え付けられた中で過ごさないといけないので、東京のような状況にはしたくてもできないだろう。景観を保護して何の意味があるのか?というのが、私は全く理解ができないし、ある種の同調圧力やいじめに近い取り組みでしかないというのが、私の感想である。得られるメリットが規制をに賛同する側の自己満足しかないと思うのだが、それは同調圧力を強要する側やいじめをする側にも当然生まれている。こんな取り組みにも税金が使われているんだろうから、普通の都市部の街中まで景観規制を敷くというのは、私は京都の自治体がやっていることはお金の無駄としか思っていないということです。

 

景観保護とは無縁どころか、完全に逆行しているのが東京の秋葉原だろう。あれだけ派手な、カラフルな景観が特徴的なエリアはなかなかないと思うが、国内外から大人気だ。これは秋葉原はそういう場所という感覚が多くの生じているからこそであり、それを規制しようなんて言ったらバカだと思われるに違いにない。つまり、景観なんてのは所詮は慣れであり、わざわざ規制をして、厳しい規制されている状況を当たり前として認識させるなんてことをしながら、自分たちの首を絞める必要なんかないのだ。景観保護は同調圧力でしかないので、空気を読めってことなんだろうけど、こういったところからも日本人は多様性という概念に寛容ではないというのが感じ取れる。みんなが足並みを揃えている地域では、みんなと同じじゃないといけない。和を乱すようなことはするなという空気感が私は非常に嫌いなのだが、それを自治体も推進しているみたいだし、市民もそれに賛成している人が多いみたいなのです。そうなれば、もはやどうしようもない。「島国根性」と国内外から揶揄されるようなことを正しいと思っている人たちがいるのだから、これを変えるのは大変だろうね。

 

 

 

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