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嫌なら見るなは正しい?おかしい?←嫌いな人が多いが正論だと思う

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2018年6月20日放送の「水曜日のダウンタウン」で、先週予告されていたある企画がお蔵入りになったのではないか?と噂されています。恐らくお蔵入りになったのでしょうね。次週予告が番組のホームページから見られるのですが、以前話題になった鉄塔企画が次週予告から削除されていたのです。この鉄塔企画は知っている人も多いだろうけど、炎上した企画なのです。企画の内容を詳しく説明するのは面倒なので、知らない人で気になる人は調べてほしいのだが、犯罪だとかいう声もあります。そういう人に限って、罪名、構成要件など一切述べないわけだが。つまり、こういう人たちって犯罪に該当するという基準が無茶苦茶主観なわけです。法律に対する知識がないんだろう。でも、この企画がかなり気に入らなくて、なんとか悪いモノ扱いするための手段として、客観的な言葉として「犯罪」という言葉を使ったんだと思う。でも、犯罪に当たる根拠は基本的に述べられていないと。今日はワールドカップの日本VSコロンビアの試合だけど、日本代表の中にも同じような人いましたよね。長友佑都だっけ?こいつは日大アメフト部のタックル事件に関して、特定の人間を犯罪者扱いしていたが、同じく根拠はなし(笑)ひどい話ですよ。人を勘で犯罪者扱いして言っているのだから。こんなことを平気でする人が人間が日本代表ですか?(笑)日本も終わりですね。私からすれば、長友のやっていることの方が名誉棄損、侮辱等の犯罪に見えますけど。

 

そんな話はさておき、今回言いたいことは別の話だ。この水曜日のダウンタウンの鉄塔企画は恐らくだが、抗議が相当きたんだろう。BPOの話題も出たし。炎上することに関しては十分予測できた。水曜日のダウンタウンの鉄塔企画はやりすぎという声もあったが、仮に本当にそういう抗議が原因で放送がされなくなってしまったとしたら、私は非常に納得がいかない。実際にこの企画が放送されないのか?はこの記事の執筆時点ではちょっと分からないけど、この企画を楽しみにしていた人もいると思うのだ。私もその1人だが。はっきり言うと、楽しみというよりは前回を見てしまったがゆえに、続編が気になってしまったという言い方の方が正確かもしれない。私は世の中で言われている「嫌なら見るな」は正しいと思っています。嫌なら見るなが正論だと言える理由は、特定の番組に嫌悪感を持つ人が、その状況を発生させないためには、もはや嫌なら見るなしかないからだ。嫌なる見るなを言う人は頭悪いとか言っている人もいるけど、それはどっちなのかね?と正直思いますよ。嫌なら見るなは頭悪い人が言っている印象なのかもしれないけど、簡単に正当性を説明できます。嫌なる見るなに反論する意見としては、見ないと論評ができないとか、見た結果嫌になったんだというものがあるんだけど、全員を満足させられる番組なんか存在しないんですよ。逆に言えば、一定割合で人を不快にさせてしまうことは避けられないんですよ。視聴者全員を満足させられる(不快にしない)番組の作り方ってあるんですか?と言えば、あるわけないんですよ。つまり、この状況では人を不快にしない番組なのだから、特定の番組を見た人が不快になるのはしょうがないのです。

 

そうなれば、不快になったとしても我慢できる人だけが見るべきであって、我慢できない人は見るべきじゃないのです。だから、嫌なら見るなは正論だと思うのです。この状況で嫌なら見るなを言う人を頭悪いって断罪できます?そして、テレビ番組を視聴するってことは、自身が不快になるかもしれないリスクに同意したということになるわけです。その結果、実際に不快になったら文句を言うっていうのは、私からすればいわゆるモンスタークレーマーだと思います。不快にならない方法がちゃんとあり、その選択肢をとろうと思えばとれるのに、あえて不快になるかもしれないリスクに自ら突っ込み、不快になるというのは「自己責任」ですよね。だから、不快になるのが嫌ならば見なければ良い。ただ、それだけなんですよ。別にテレビを観なければ死ぬわけじゃないのだから。特定の番組内容を楽しみにしている人の幸せを壊している行為にしか見えないのです。誰を幸せにするのか?さっぱりわかりません。不快に感じる人が見るのを辞めるのをすればそれでいいじゃないですか?不快に感じる人がそれを感じずに済む。そして、楽しみにしている人は番組を見て楽しめる。つまり、幸せになる人の総量が最も増えるケースというのは、不快に感じた人が抗議をしないで見るのをやめたときなんです。水曜日のダウンタウンの鉄塔企画はやりすぎという声もあるが、出演している芸人が文句を言うならば分かりますけど、それは第3者が言うことじゃないでしょう。第3者が言うべきケースというのは、それこそ犯罪に当たるケースなどであって、その際にはもちろんなぜ犯罪に当たると言えるのか?の根拠が必要だ。あの企画に出演していた芸人の中には名前も聞いたことがない人たちもいて、彼らにとってはメリットも十分あったと思います。

 

だから、無理やり強制的に参加させられたことに対する不満があるならば、それを番組にぶつけて良いと思うけど、それは当人がやるべきことなのよ。第3者は当人の気持ちを代弁している気になっているのかもしれないが、彼らのメリット、デメリットの本心部分を正確に把握することなんて不可能だ。だから、当人ではなくて第3者が番組に抗議するのは、越権行為だと思っています。当人が判断すれば良いことを、第3者が行うメリットが分からないのです。そして、この嫌なら見るなの発端は2011年くらいだったと思うけど、当時震災後のテレビ放送にて、特定の局で韓国のドラマばかりが放送されていて、それに対する批判が起きたときにこの嫌なら見るなという言葉が生まれたと記憶しています。当時も嫌なら見るなという言葉が正しいという扱いもあったが、嫌なら見るなはおかしいという発言を著名人もしていたと思う。今でも嫌なら見るなはおかしいという批判もあるようだが。嫌なら見るなという言葉が嫌いな人はいるみたいだが、あまりまともな反論を見た記憶がないのですよね。嫌なら見るなは正しいと、私は思っていますけど、嫌なら見るなという言葉が嫌いな人からすれば、公共の電波を使っているという根拠が当時言われていたと思います。これも私はまともな根拠にならないと思うのですよ。

 

公共の電波を使っていたら何なの?ということで、公共の電波を使いながら、当時のフジテレビなどがやっていたことは問題だ!という人がいるのだが、ご丁寧に御託は並べられているものの、結局は主観なんですよ。割と論理的に書かれている風な反論もあるのだけど、論理的にかかれている風であって、熟読して見ると主観でしかないなという反論しか、私は見たことがない。例えば、結局また同じ話になるが、フジテレビのやったことが犯罪に当たるとか、そういう論理で客観的な悪として説明するならばまだ分からないでもないのだが、そういう結論じゃないのですよ。とりあえず根拠はあるが、その根拠は主観で、結論も主観であると。それって、「あなたにとっては悪いと感じただけって話ですよね?」というものなのだ。あれから7年くらい経っているが、フジテレビのやったことが違法行為になったという記憶はないので、フジテレビのやったことを客観的に悪いとは断罪することはできないと思います。犯罪になっていない以上、客観的には悪くないと言えてしまうわけだから、主観による悪は客観的に正義に淘汰されますよね?という話です。「違法行為になるのは子供でもわかる」と、当時発言した著名人がいたらしいのだが、未だに違法行為になっていないんですけど???

 

フジテレビが電波法に違法していたとしたら、最悪の場合免許取り消しになるようなのですが、未だになっていません。なるわけがないのです。詳しく説明してあるサイトによると、免許取り消しになるための基準を満たしていないからみたいです。つまり、違法を指摘していた人は、当時何の根拠があって言っていたのか?ということになります。嫌なら見るなを言う人を頭悪いと言っていた人は、どう言い訳するのでしょうかね?あと、そもそも犯罪に当たることが悪か?どうかは別の話なのです。犯罪に当たることが犯罪であるという指摘は正しいとしても、犯罪というのは特定の行為をしたら、特定の刑罰を受けるという決まりを定めたに過ぎないのです。それが悪いことだと思っている人が多いようなのだが、法律に文句を言う人が普通にいるわけですよね。すでに制定された法律におかしいと文句を言っている人を結構見ることもあるのだが、法律を破ることが悪ならば、法律は絶対的な正義じゃないといけない。つまり、制定された法律は絶対的な正義なのだとしたら、後から法律に文句を言う人もおかしいってことになります。絶対的な正義が確定しているものに文句を言う方が悪になるわけです。国民の結構な割合の人がそのおかしい行為をしているのに、その状況が正しいならば、法律は絶対的に正しい基準にならないのだから、法律を破ることが悪か?どうかは別問題って話になってしまいます。つまり、フジテレビなどがやっていたことが犯罪に当たるとしても、それが悪ではないと言い逃れできちゃうんですよ。フジテレビは犯罪者と言えたとしても、犯罪者で何が悪い?と反論されたら(まずしないだろうが)、感情論以外で言い返す言葉はないと思いますよ。法律は所詮は価値観の集合を体系的にルール化したものなので、元になっているのは価値観なのです。

 

あと、公共の電波を使っているのだから、国民が望まない番組を流すなという反論もあったようですが、それもさっきと同じ反論で論破できます。国民が誰も望まない番組を作らないなんてことはできません。それができるというのならば、その方法を提示してください。というだけです。嫌なら見るなはおかしいという反論として、こういうものが出るのだが、やっぱりどう考えても嫌なら見るなは正しいです。そして、仮に番組を批判するとしても、批判しただけじゃ何の意味もないのです。特定の番組がつまらない、やりすぎだ!不快だ!なんて言っているだけじゃ、改善の術がないわけですから。具体的な改善策、番組のアイデア案などを出さないと、あなたたちにとって望ましい番組は作れませんよ。抗議をしている連中がそこまでやっているとは思えないので、彼らの抗議は要するに番組を改善する効果を生まないわけで、徒労に帰すだけなのです。だから、そういう無駄な努力をするくらいならば、嫌ならば見ない方があなたのためですよ?という言い方はきちんとしたアドバイスにもなっているわけですよ。嫌なら見るなはおかしいという意見もあるようだけど、嫌なら見るなは正論と感じている人も一定割合いると。嫌なら見るなが嫌いな人は私の見る限りでは、それがおかしいと言える根拠がイマイチパッとしないと感じるので、嫌なら見るなは正しいと思いますよ。実際、反論してくる人間の根拠が結構適当ですからね。犯罪にあたるとか言っておきながら、長友みたいに根拠が特にない人が多いし、結果犯罪の要件を満たしていないのに、平気でそういうことを言う人がいたわけですから。

 

 

 

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