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「ドラフト会議が職業選択の自由に反する」という発想が抱えるとんでもない矛盾

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毎年、プロ野球のドラフト会議の時期になると、「ドラフト会議って職業選択の自由に反しているよね」という、知ったかぶりの人間が大量に出てくる。こういうことを言う人はさ、まず「職業選択の自由」の真の意味について調べたことが1度でもあるのだろうか?と思う。職業選択の自由は、そもそも職業を自由に選べるということではない。この規定が各国の憲法に明記された経緯を調べればすぐわかるけれども、昔は生まれながらに特定の職業に固定されてしまう状況が存在したのだ。そういった状況からの解放が、そもそも職業選択の自由であるので、職業選択の自由の本来の目的は、特定の職業を強制されないという保証であり、現実的な側面から言えば特定の職業を希望した場合、それに就けることを保証するものではないのだ。公共の福祉の制限を受けるがために、自分の希望する職業に就けない人が実際に大量にいる。年齢制限とか、資格の有無とか、そういったものによって排除されている人は多くいるのだ。そして、それは合憲であると。職業選択の自由という字面を見て、職業選択の自由の意味を勝手に解釈している人がいるが、そうではない。そもそもおかしいのは、現状プロ野球に入る人が球団を選べないという現実はあるけれども、そもそもプロ野球選手を希望した人が全員プロ野球選手になれているわけではないし、なれなくても問題ない。この時点で、ドラフト会議が職業選択の自由に反するなんて発想はおかしいことが分かる。

 

なぜならば、ドラフト会議が職業選択の自由に反するなんて主張をする人は、希望した人全員がプロ野球選手になれないことに関しては異を唱えていないのだろう。そんな人は確かに見たことがない。つまり、希望した人が全員プロ野球選手という職業に就けないことを容認するのに、プロ野球選手になれる人が球団を選べないことに文句を言うのは、論理的におかしいのだ。というのも、希望した人が全員プロ野球選手になれないという状況を容認するということは、プロ野球選手になれない人がいて良いということになり、プロ野球選手になれない人がいて良いということは、球団を選べない人がいても良いということになるのだ。プロ野球選手になれない人は100%球団も選べません。つまり、プロ野球選手になれない人=球団を選べない人になるわけだから、プロ野球選手になれない人がいても良いと認めている時点で、球団を選べない人がいても良いということになるからだ。プロ野球選手に希望者が全員なれなくても良いと認めているのに、球団を選べないことに異を唱えるというのは、人殺しが良いと言っているのに、ナイフで人を殺すのはよくないと言っているのに等しいのです。ナイフで人を殺すというのは、人殺しというもっと大きな枠組みに含まれるわけですからね。人殺しが良いと言った時点で、ナイフで人を殺すのも良いとならないとおかしいわけですよね。

 

球団を選べない人は全員がプロ野球選手になれないという人に該当するわけではないものの、球団を選べない人の中にはプロ野球選手になれない人が多分に含まれる。つまり、世の中にはプロ野球選手にもなれないし、球団も選べないという人がかなり多数いるわけだが、プロ野球選手に全員が希望してもなれないことを妥当だと判断した時点で、その中に必然的に一定割合含まれる球団を選べない人も自動的に容認していることになる。プロ野球選手になれない人はどうでも良いけど、なれる人はちゃんと球団を選べないといけないという具体的な根拠でもあるのならばともかく、そういう指摘は見たことがないのです。それにどう考えてもプロ野球選手になれないことよりも、球団を選べないことの方が些細な問題ですからね。その些細な問題を問題視して、根本的な問題を問題しないという姿勢は意味が分かりません。職業をより選べていないのはどっちですか?と言えば、プロ野球選手にはなれるが球団の選択権がないことよりもプロ野球選手になれないことの方でしょう。そして、プロ野球選手にならない自由がある以上は、そんなものを保証しないといけない理由は存在しないと思いますがね。

 

職業選択の自由を好きな職業を選べるところまでの保証と捉えた場合には、医者とも反しているんじゃないかな?国家資格が必要な職業は希望してもなれない場合が余裕であるわけだから、プロ野球のドラフト会議だけを持ち出す意味はない。医者が誰でもなれるわけじゃない職業として正しいと認めているのに、プロ野球のドラフト会議を職業選択の自由に反するという発想をする人の気持ちが理解できないのです。さらに言えば、球団を選べる、選べないというのは、会社選びに近い状況であって、職業じゃないだろとも思うがね。職業の定義とかの話を持ちだすと、またややこしい話になるけれども、プロ野球選手という職業の中には特定の球団という会社があるのではないか?とも思う。ただ、現実的には特定の会社にしばらくい続けるような契約を強制することは違法らしいので、この場合には職業=会社と捉えても問題ないかもしれないが。ただ、判例でもあるように、職業選択の自由に反するケースというのは、特定の職業(会社)を強制するような場合であって、特定の職業に就くことを強制されない自由が職業選択の自由に該当すると思うのだ。

 

そもそもドラフト会議が合法とされている理由としては、ドラフトのような制度がないと、人気球団に有力選手が集中し、戦力均衡が削がれてしまい、プロ野球としての興業が成り立たない(観ている側が面白くない)という公共の福祉による制限が1つあるようだけどね。ドラフト会議が職業選択の自由に反する、憲法違反であるという主張は理屈のうえで言えば、通らないということになります。プロ野球選手になることを強制されるようなことがあれば、それは職業選択の自由に反すると言えるかもしれないが、現実的には妥当しない。そもそも就活だって、希望する会社には多くは入れないわけだからな。何でそっちは無視するんだろうね?ドラフト会議で特定の球団を選べないというのは、特定の球団を選べないというルールに球団が賛同(納得)している状況だろう。そこに異を唱えた場合にはNPBという組織には入れないからね。つまり、球団側の採用ルールとして、選手の方が球団を選べないやり方で採用活動をするということに納得しているというだけの話であり、採用ルールに関しては法律の範囲内で各会社が自由に決められるので、その範囲内であれば別に問題ない。

 

就活の話を持ってくると、ドラフト会議と就活の仕組みの違いを丁寧に説明してくる人がいるのだが、これで反論した気になっているのは非常におめでたい。違いがあったら何なのか?ということです。その違いは会社ごとの採用ルールの違いであり、その違いがあると、どうして憲法に違反する、しないの違いが生まれのか?までちゃんと説明をしないと足りないのだ。ドラフト会議の採用ルール自体が憲法に違反しているという反論をするならばともかく、就活とドラフト会議の採用ルールの違いを指摘しただけで、反論した気になっている人は本当に頭が悪いと、私は思います。就活の採用ルールとドラフト会議に採用ルールがどちらも合憲だとしたら、両者は違いがあるけれども、どっちも問題ない。つまり、ドラフト会議も問題ない、職業選択の自由に反しないという結論になりますからね。つまり、違いをいちいち説明してくる人間は何の意味もないことをしているのだが、それに気付かないのだろう。こういう意味のない反論の仕方をしてくる人は非常に多いので、日本人の特性なんだろうか?

 

証言 プロ野球ドラフト会議50年

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