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友達がいないはかわいそう?何が悪い?いなくても生きていけるし困らないと思うけど

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友達って何のためにに必要なのでしょうか?友達がいなくても困らないんじゃ?と私は思います。こういう問いを真面目に考えたことなんてほとんどの人はないでしょう。それは大勢が思考停止だからです。友達がいなくても平気な人は結構いると思います。そういう人友達がいなくても平気な人というのは、友達の存在意義を感じない人だと思うのです。しかし、友達がいないことを否定的に捉える日本人は多いでしょう。友達がいない奴はかわいそうだとか、友達がいない奴はおかしい、異常だという直感的な判断をしているだけで、友達がいないと何が悪いのか?という部分なんて誰も考えない。かつての私もそうだった。私は大学を卒業して以降、友達と接する機会はかなり減ったね。というか、私は卒業後、フリーランスとして仕事をしていて、外出する機会も多くないし、活動的でもないから、新規の友達とかはほとんどいない。今いる友達とかはほぼ全員が学生時代の人たちで、そういった人たちとも最近は疎遠気味だ。というか、私が避けているという言い方もできるだろうか?学生時代、私は間違いなく思考停止のバカな人間だった。何も考えないで、友達がいないというのはマズイとマジで思っていたからだ。そうやって世間の「常識」とやらに固執し、世間の常識が正しいか?どうかは別として、世間の常識から逸れることにひどく不安を覚えていたのです。

 

だから、大学生までの私は友達に困らなかったし、友達を積極的に作ろうという気が結構あったのですが、今は全くない。友達がいなくても何が悪い?と堂々と言えてしまう。友達の必要性を感じないどころか、そういった人たちと接する機会が減った今の方が精神的に楽だとも感じている。友達がいなくても生きていけるということを実践している。今でもかつての友達から連絡がくることはあるんだけど、基本的に断っている。最近で言えば、結婚式や部活動の集まりなどで呼ばれたこともあったのだが、いずれも行っていない。あとはmixiで高校時代のクラスメイトから久しぶりにメッセージが来たんだけど、それもシカト。理由は全て同じで、「面倒くさい」ってこと。友達ってのは、人生を豊かにするためのツールであり、それがなくても人生が豊かならば何も問題ないだろう。友達がそういったツールならば、別のツールがあれば友達がいなくても生きていけるはずである。というか、娯楽でしかないので、困るわけがないのです。むしろ、友達っていうのは維持費がかかるものなのです。全ての面において自分の都合を押し通すことはできない。いろいろな面で譲歩しないといけない。そういった理由で、友達付き合いを続けるということは、継続的な費用と手間がかかるのだ。交際費という言い方もできるし、それにかかる時間もとられる。つまり、デメリットがあるということ。しかし、それは他も同じかもしれない。私は漫画が好きなので、それを読むことあって、それを読んでいる間は楽しいが、もちろんお金がかかるし、時間もとられる。

 

しかし、友達付き合いと違うのは、それに苦痛がないってこと。費用も少額だし、好きな時間に好きな漫画を読むことができる。友達付き合いはそうはいかない。相手に合わせない面が少なからず存在する。これも恋人も同じだ。人生を豊かにするツールは数多くあるが、自分の思い通りにいかない面が大きいのが友達という存在だろう。なぜならば、生き物だからです。感情があるから。確かに私が友達と遊んでいた頃というのは楽しい思い出もたくさんあります。しかし、嫌な思い出も少なからずある。でも、私が趣味である漫画とか、ゲームとか、アニメを見るとか、そういったことで嫌な思い出なんかまったくない。思い通りにいきやすいのです。コントロールできるっていうのかな?誰かがいないと楽しくない人生と自分1人でも楽しい人生だったら、絶対に後者の方が良いと思います。その理由はすでに話した通りだが。友達がいなくても困らないというのは確実に言えるし、友達がいなくても生きていけるはずです。私の場合には現在のところ、友達がいないわけではないが、友達の存在を確実に避けてます。でも、友達がいなくても困らないというのは、実際に友達とあまり接しないで生きている現状をみると、確かに実感できます。友達と会う機会とかはめっきり減ったので、友達がいない状況に近いけど、別に一切気にしたことがない。それは洗脳が解けたからです。

 

友達がいないとかわいそうとか、友達がいないのはおかしい、異常だという、世間の謎の頭の悪い発想による洗脳を長らく受けていたのだが、それからようやく解けました。私は友達がいなくても平気な人になってしまったのです。友達がいなくても生きていけると確信しているし、何が悪い?と思っているので、精神面における不安定さのようなものはない。厳密に言えば友達はいるのだが、彼らが友達じゃなくなっても別に良いと思っている。世間の常識とやらは、多数の人間の考えの集合によって決まるので、当然ながら相対的に頭の悪い人たちの意見が優勢になる。頭のいい人たちは集団の中で少数ですからね。以前ビートたけしが「民主主義は1人の正しいやつがいても、99人のバカがダメにする」と言っていたのだが、原理は同じだ。世の中の多数派は常に相対的に頭の悪い人たちなのだから、常識とやらが正しいはずがないのだ。その部分に気付けた私は、常識なんてものを気にせずに生きている。その結果、合理的な現実主義者になったが、私の中ではそれは正しいものとして根付いている。友達がいない人はかわいそうなどの発想は思考停止による、常識のみに依拠した発想だろう。そんな非論理的な発想が正しいはずがないのだ。

 

西村博之氏が言っていたことだけど、「性格がいい人は必ず破綻する」という考え方があります。性格がいい(とされる)人は、性格がいいと周りから思われるような人なのですが、性格がいいと言われる人は、性格が悪いと思われることを当然ながら嫌うわけで、誰に対しても性格が良いと思われるように振舞いがちである。その結果、本人の負担はめちゃめちゃ増えてしまうのです。何を頼んでも断らないような人がいたとしても、その人はいろいろな人からの頼みを全て受け入れることをできれば目指したいだろうが、どこかで限界がきて、断らざるを得なくなり、その断った相手からは性格がよくないと思われる可能性があり、断ったことに対して自己嫌悪に陥る可能性があるのです。性格のいい人というのは、常に性格のいい人ではい続けられない。性格の良し悪しというのが、あくまでも本人ではなく、他人からの評価で決まるものならば、そういうことになる。結局ハードルを自ら上げちゃっている状態ってことです。性格が悪いと周りから思われている人は、どういう振る舞いをしても、評価はそれ以上なかなか落ちないので、別に他人の目を気にして生きる必要がなくなり、明らかに楽です。友達に関しても、自分の印象をよくしておきたいという部分から、絶対にどこかで破綻というか、無理がきますよ。

 

ケースバイケースの部分もあるだろうが、先ほどの話で言えば、私は最近になって友達の結婚式に招待されたときに、断ったんだけど、私はこの先ずっと断るつもりでいます。でも、この結婚式に私が仮に出てしまったら、今度別の結婚式に招待されたときに出ないといけないと思ってしまう可能性が高まりますよね。だって、あの人の結婚式には出たのに、この人の結婚式に出ないのはなんか気まずいというか、差別的な感じがしてよくないのではないか?と考えてしまう可能性があります。しかし、最初からどの結婚式にも出なければ、その後もずーっと出ないという選択を繰り返しても罪悪感のようなものはないでしょう。こういった判断により、破綻を防げるのです。結婚式は分かりやすいけど、ご祝儀が必要じゃないですか?1回だけならばともかく、2回、3回とか出ると、結構な負担ですよ。私はいきなり生活に困るようなことはないけど、世の中にはご祝儀をわざわざサラ金などから借りるような人もいるようなので、確実に破綻を招いている人はいるわけです。つまり、人間との付き合いというのは、自分の印象を高めておきたい、悪く思われたくないと思っている以上は、長期的には破綻する可能性がどんどん高まるのです。どう思われたっていいやという人であれば破綻は避けられます。というか、思われたっていいやと思う人は人づきあいが適当になり、友達が減るのが自然でしょう。私みたいに結婚式や部活動のメンバーの集まりの誘いを断ったり、SNSのメッセージをシカトするというのは、人付き合いが悪い奴だなと思われる可能性は十分にあるが、その結果継続的な負担を発生させず、破綻も避けやすくなります。

 

性格がいいと思われるというのは、なんだか理想的な状況のように思えるかもしれないが、客観的に見たら長期的に負担を継続しているだけであり、自分が苦しみ続けるだけだと思うんですよね。理想的な状況とは到底思えない。私は性格が悪いと思われることに何の躊躇もない。むしろそう思われればしつこい誘いなども来なくなるだろうし、好都合だろうとさえ思います。それを応用すると、友達がいなくてもかわいそうなのではなく、友達がいないと人生楽しめない人がかわいそうという発想もあるわけですよね。そもそも性格の良し悪しなんていうのは、ちゃんとした定義があるわけじゃなく、他人の勝手な都合のいい評価なので、そんなものに何の意味があるのか?とすら思いますがね。友達というの同様で、人生を豊かにするツールの1つであると述べたけど、それが人間というのは結構大変なものです。思い通りになりませんから。豊かにするツールの中でも、常にそのツール自体にどう思われるか?を気にしないといけないとしたら、苦労する部分は相当あるでしょう。私が好きな漫画とか、ゲームの場合には、漫画やゲームにどう思われるか?なんて考える必要はありませんし、考えたことがある人なんていないでしょう。長期的に負担をしないと存続できないツールとそんなものが一切必要ないツールではどっちがいいでしょうか?

 

友達がいなくても困らないというのは間違いなくある。友達がいなくて何が悪いのか?というのは間違いなく言えます。そして、友達がいるから困るという状況もある。さらには友達がいても困る状況は余裕であるし、人の助けが必要という部分はあるけれども、それは友達である必要はないんじゃない?人であれば良いと思います。友達以外で何かしら楽しめる趣味とか持っている人はたくさんいると思うけど、友達がいないと人生満足できない人といなくても満足できる人だったら、間違いなく後者の方が優秀だと思います。にもかかわらず、世間は友達がいないとかわいそうとか、おかしいという見方をするわけだが、何でそういう人たちがそんな上から目線なの?と思います。友達がいないと生きていけない(と考えている)人よりも、友達がいなくても生きていける人の方が、今のところ少数派だと思うので、多くの人にはできないことができるという意味では、優秀の定義に当てはまりますよね。友達が本当に必要だと思える瞬間ってどんなときですか?それって友達じゃないと賄えないことですか?友達がいないことの何が悪いのでしょうか?感情論以外で説明できる人がいるとは思えない。必要がないものは捨てるっていうのは、人間の自然な行動だと思うけど、私の場合にはそれを友達でも実践した感じでしょうか?積極的に捨てようとしているわけではないが、性格が悪いと思われる可能性が十分にある行動を平気でしているので、結果的に友達がどんどん減っている可能性はあります。必要な人に関してはつなぎとめたいと思うかもしれないけど、私の友達の中でそう思える人は1人もいない。私から離れても困らないので、どうでも良い存在です。今後もそんな生き方でいくと思うので、人付き合いはかなり限られた人たちとのみやっていくと思います。

 

湯神くんには友達がいない (1) (少年サンデーコミックス)

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