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意味不明なくだらない校則で生徒を縛り上げる無意味な学校教育に日本はいつ気付く?

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学校の校則というのは私は邪悪な存在だと思っている。無意味だと思っています。ブラック校則という言葉もあるが、これはあくまでも校則の中でブラックなモノに関して言われているのだろう。しかし、私は校則はどんなものでも全てがブラックだと思っていますし、全ての校則が無意味だと思っています。「「いじめ」の定義を恣意的に、都合のいいように適用する輩が1番の問題児である - 就職しないで、ブロガーになった人のBlog」の生地でも書いたけど、私は学校に存在する校則はいじめの根源だと思っています。つまり、校則が存在する学校は、学校がそもそも生徒にいじめをしている状況だと認識しています。そして、校則というのはそもそも何の意味があるのか?くだらないとか、馬鹿馬鹿しいとか、そういう批判は常にあるものの、校則を考えてる人間の想像力に疑問なんですよね。校則って、単純に反発心を生みますよね?だって、校則で禁じられていることって、法律で許されていることばかりだと思うんですよ。つまり、それが社会にとって悪影響を与える者とは考えられていないことが、なぜか学校では禁止されるということになっています。

 

当然ながら、生徒からしてみれば疑問が少なからず生まれるわけですよね。だから、くだらないとか思われるわけですが。私も中学生とか、高校生の頃にはなぜ髪を染めてはいけないのだろう?と思っていましたよ。私は髪を染めたいと思ったことは1度もないし、30年間ずっと黒髪だけど、疑問は感じていました。当時から少しは馬鹿馬鹿しいくらいは感じていたと思う。私にとってその校則が特に不都合を生じさせていなかったので、当時はスルーしていたが、大人になってから頭がよくなかったのか?当時よりも疑問が強くなりました。当時よりも校則への馬鹿馬鹿しいという感情が強くなりました。私は今生徒ではないけど、当時よりも反発心が明らかに強いです。だから、こんな記事を書いているわけだが。髪を染めたいと思う生徒は一定数いるはずで、それを禁止すれば、当人にすれば納得はいかないでしょう。だって、法律で許されており、かつ何の迷惑があるのか?と、説明ができませんからね。大人は風紀が乱れるとか、実態のない概念で誤魔化すんですけど。納得のいく説明ができない以上、間違いなく反発心を生みます。その反発心は確実に社会への悪影響になりますよ。実際、犯罪の動機としてストレスって大きいわけです。反発心はほぼストレスなので、犯罪の元凶でしょう。つまり、校則が厳しい学校っていうのは、そのリスクを高めている状態なのです。この時点で校則は完全に馬鹿馬鹿しい存在ですよ。なんのメリットがあってやっているのか?と。

 

校則がほぼない学校、服装とか自由で、染髪やピアスなども自由という学校もあるらしいのだが、そういう学校で特に問題が起きているなんて聞いたことがないです。でも、それって当然だと思います。ルールを厳しくしないということは、反発心を抑えられ、ストレスも溜めませんから。問題行動に走るリスクは当然低いです。校則でルールを厳しくすることで、何かメリットがあるとすれば、そのルールの正当性をちゃんと納得いくように説明できた場合だけだと思います。現状、ほとんどの人間はそれができないと思うので、反発心からくるストレスを溜めるだけ。本当にくだらない結果を生むだけです。結果として問題児を増やすわけです。世の中にの校則はくだらないものばかりだと私は思っており、1つでもこれは正しいなと思えるものがあったか?というと、ないです。ルールを厳しくすること自体に負の要素が詰まっているから。それは法律とかもそうなんだけど、法律に関しては納得いくものもまだあるが、校則の場合には私の中ではゼロです。どんな校則も意味不明というか、無意味な存在だと思っています。法律で許されているから。っていう面が大きいのです。校則よりも法律の方が存在として大きく、それで問題ないと扱われている行為が、なぜか学校では禁止であると、校則が意味不明だなと感じる所以でしょう。ましてや逆効果になっているというわけだから、校則は意味不明な存在ですよ。

 

実際、制服の有無と東大合格者の相関関係などがあるらしいのだが、東大合格者が多い高校ほど制服がないなど、校則が緩いという特徴があるらしい。それは言い換えれば、偏差値が高い学校ほど校則がゆるいということだろう。これは相関関係の話なのか?因果関係があるのか?微妙なところではあるが、ストレスなどを溜めずに勉強に集中する環境があるという意味では、因果関係がないわけではないだろう。それに制服がないってことは、仮に生徒が問題を起こしたときに、どの学校生徒が傍から見たら分からないってことだ。学校の評判が落ちづらいという意味でも、学校側に有利じゃね?と思いますね。そして、校則が緩い学校って、外見とかが中心ですけど、いろいろな人が集まるわけですよね。すでに話したように、髪を染めている人やピアスをしている人などが集まってくるわけ。その環境って結構重要だと思います。自由であればあるほど、それぞれの個性が発揮しやすい。校則で縛り上げている学校と比べて、いろいろな発見があると思うのです。それは見た目だけじゃなくて、考え方の部分でも。私なんかは大学を卒業して、就職しなくて、暇になったときにネットばかりやっていたんだけど、そのときにいろいろな考え方を見て、刺激を受け続けました。ネットは無法地帯だから、どんな考え方も放置されており、自分で言うのもなんだけど、多様な思考が身に付いた気がします。優秀な人間を作りたいのであれば、良くも悪くもいろいろな価値観に触れさせることだと思います。それが校則が緩い学校の方がしやすいということです。

 

自分で考える力のようなものは、校則がない学校の方が良いと思う。そういった意味も含めて、校則は無意味な存在であると思います。意味不明な校則があるという部分は多くの人は思っているかもしれないが、私は校則そのものが馬鹿馬鹿しいと思っている人間なんで。メリットはおろか、逆効果だと。そういう存在だと思っています。思考停止の人間を多く作る存在なのです。優秀な人間が偏差値の高い学校から生まれているのであれば、それはちゃんと因果関係があるんじゃないか?と思います。校則それ自体は学校の自治として国は認めているみたいだが、国もたいがいですよ。国もある種思考停止なんだと思いますがね。校則はどれもくだらないですし、意味不明な存在だとして認識していますが、学校という存在が今後も継続する以上、校則という概念が消えることはないのでしょう。今の教育それ自体が意味不明な面が非常に多く、学校だけの話ではないのだろうが、校則という部分については無意味な産物として、私の中に残り続けるでしょう。なんの意味もない、逆効果である存在にこの国はいつ気付くのでしょうか?

 

校則はいらない―親・子・教師で創った理想の公立中学校

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