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日本を救うという考えの違いが面白い?評価の高い東のエデンという作品

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今からちょうど10年前でしょうか?「東のエデン」というアニメがフジテレビで放送されていました。深夜アニメで、ノイタミナ枠というアニメを常に放送している曜日、時間帯だったので観ていた人も多いでしょう。東のエデンというアニメは、私リアルタイムでは観ていなかった。当時の新聞のテレビ欄でそんな名称を見た記憶はあったな・・・くらいの感覚で、その後DMMで1500円くらいでアニメ11話を実際に見てみたのだが、タイトルに惹かれてしまったというのが正直なところだ。このアニメはそもそも何をテーマにしているのか?分からない状況で見て、そういうことだったの!?という、新鮮な気持ちが芽生えましたね。アニメとしては結構深いテーマに突っ込んだ内容で、2009年と言えば、私は大学3年生だったわけだが、恐らくこのアニメの主要キャラとほぼ同じ年齢だったに違いない。そういう意味でも、後々視聴してみるとなんとなく親近感が沸いてくる。

 

この東のエデンというアニメは、一言で言えば100億円を使って日本を救う義務を課せられた12人のプレイヤー(作中ではセレソンと呼ぶ)の物語であり、「日本を救う」というのは、具体的に何なんのか?は明らかにされず、12人の中の先着1名だけが最終的にこのゲームからあがることができるという設定だ。残りの11人は消されるということになっている。この設定を見たとき、私は以前マンガとアニメどっちも見たことがある「未来日記」と設定が似ているなと思ったが、実際にアニメを見ると結構違いがありましたね。未来日記は、自分の未来が勝手に予知される未来日記を持たされた同じく12人によるサバイバルゲームであり、12人のプレイヤーがお互いに殺し合い、最後に残った1人だけが神になれる権利を持つという。しかし、東のエデンサバイバルゲームをするわけではなく、各自が自分の信念に従って、日本を救うためにお金を使っていく様を描いている。他のセレソンに干渉することはそんなにない。そして、一部のセレソンは協力しあったりもしているが。

 

日本を救うって何?っていうのが、当然ながら疑問なわけで、模範解答のようなものは一切用意されていない。だから、12人のセレソンは100億円の使い道が全く違う。日本を救うなどとは無縁な私利私欲の使い方をする人もいれば、国家を動かすために使っているものもいるし、この国への復讐のためにミサイルを発射し、大量殺人を実現したものもいる。そして、そもそも日本を救うなどどうでもよく、お金を一切使わないようなセレソンまでいる。ここが東のエデンの面白いところなのだ。それぞれ正解だと思っている日本の姿がそもそも違う。そして、このゲームの主催者は実は彼らが実際に動いている時点で、この世にはいないらしいのだが、この主催者がどんな日本を理想としているのか?も彼らには知る由がない。強いて言うならば、この主催者はかつて日本における大企業の創始者であり、戦後日本の礎を作ってきた人物とされている。その戦後における日本の発展そのものの意義を現代において問うてるような、そんな感じがする。東のエデンは面白いと感じている人もいれば、ちょっと意味わからんと感じている人もいるらしい。結構非現実的なシーンもあるからね。

 

100億円の使い方に関して言えば、現実的に、物理的に可能な範囲ならば何でも叶えられるようになっている。つまり、人を殺すことも可能である。日本を救うという大義のためならば、人を殺すこともこのゲーム内のルールでは認められており、各セレソン自身が人を殺したという証拠の抹消なども可能である。そうやって理想的な日本を実現すべき動くわけであるが、私が実際にセレソンになったら、何をするか?日本を救うっていう定義をまず考えないといけないが、このアニメは既得権益ってのが1つのワードとして物語の後半に何度も出てくる。既得権益を持った一部のおっさんとそれに対抗する若者という点も描かれており、いわゆる格差社会のような面が鮮明に見えるのだ。2009年当時は現実の日本もそんな世の中でしたね。日本を救うと言えば、私が思い描く世界で言えば、不幸を感じない社会の実現だろうか?人が不幸を感じるときってのは、他人と自分と比べるときだ。それをなんとかするためならば、やることは決まっている。私がセレソンだとしたら、やることは主に2つである。1つは日本国民全員の記憶を消すこと。もう1つは日本における文明を一気に退化させることです。

 

記憶を消すことは可能なのか?と言えば、普通に可能らしい。実際、作中では主人公がある理由から自分の記憶を消している。日本国民全員の記憶を消すことが100億で可能なのか?はとりあえず置いておくが、なぜ私が日本を救うために、国民を記憶を消す必要があるのか?と言えば、私が影響を受けた政治学者のロールズという人物の正義論という考えに由来している。ロールズは正義論の中で、「無知のヴェール」という考えを披露しているのだが、これは正義はどうやって決まるか?というときに、自分の存在に関して詳しく知ることができないとき、人は自分が不遇な状況に置かれることを避けようとするはずだと考え、その結果平等が実現するとしている。つまり、自分がどんな人間か?有能なのか?無能なのか?すら分からない状況では、自分が社会の仕組みによって虐げられることを恐れ、みんな平等な社会にしましょうと多くが願うはずだ。というのがロールズの考えになるのです。現代は各自が自分の能力を知っているし、能力を知っているがゆえに、有能な人間は富み、無能な人間は貧困に陥りやすい。その結果、格差が生まれる。そして、有能な人間が社会の仕組みを作り、既得権益を持ち始める。そこを問題視しているのがこの東のエデンの面白いところもであるのだが、私は一部共感しますよ。

 

すると、その連鎖を断つにはロールズの考え方と同じ状況を実現すれば良いとなる。各自が自分の能力に気付けない状況だ。そのために記憶を消し、かつ文明も退化させる。つまり、ネットなどない状況で、かつ他国がどうなっているのか?すらも知りえない(正確に言えば日本以外に国があるという感覚もなく、そもそも国という概念すら持たない)状況を実現する必要がある。分かりやすく言えば、縄文、弥生時代のような状況にするってことだね。そうすれば、例えばサッカーボールなどがないわけだから、サッカーが上手い人もそれに気付けない。他人と比べられる余地がほぼない状況を作れば、人は不幸を感じない。当然ながら、この状況を作ると「死」という概念もないだろうから、死ぬことへの恐怖も感じづらいはずだ。しかしながら、こういう状況を作っても、効果は期間限定だろう。だって、縄文、弥生時代を経てその後実際に日本は発展してしまったのだから。つまり、今日本をそういう状況にしても、また同じ状況になるんだろうなと思っている。そのときにはまたセレソンを使った同じようなゲームが開催されることを祈るしかないのか。それに私が考えた日本を救うという理念は、私の中での正義による結論なので、賛同者が多くいるとも思っていない。そんな日本は嫌だ!と反対する人が多くいるだろう。ただ、どんな救い方をしても、異論が出るのは間違いなく、日本を救うというときに、正解となる回答はもはや存在しないだろうと思う。それは私がすでに指摘したように、格差が出来上がってしまっているから。格差があるってことは、立場が違うってこと。

 

先に出したミサイルを撃って大量殺人をやってのけたセレソンのやり方に賛同する人も少なからずいるはず。それは同じく日本に対して復讐心を持っている人だろうし、自分の人生に充実感なんてほとんどないって人だと思う。逆にそんなやり方は賛同できないって人は、今の自分の人生にある程度充実感を持っている人の割合が高いのではないか?と思う。既得権益を持つものと持たないもの同士、理想とすると未来は違うし、それが違うものである以上、お互いをともに幸せにする方法はないのではないか?と思っている。すると、やっぱり平等にするしかないよね。となってしまうのだ。私の目から見れば、作中で各セレソンがやっている100億円の使い方は、全員を幸せにすることはまず無理だろう。日本を救うという定義の違いがあるので、全員を幸せにする必要なんかない、日本国の維持と発展が重要だというのも分かる。それが社会なんだろうということも分かるし、このゲームからあがったところでどうせ自分の理想的な状況は実現しなんじゃないか?とも察している。このアニメはテレビ放送していた11話と映画によって完結するようになっており、映画まで見ないと結末は分からないが、最終的にはニートって有能だよね!って、メッセージも感じ取れる。閉塞感が漂う日本の空気を打開するために、現実に存在する常識を打破しようとする姿も見て取れる。あとは就職するってクソだなと感じるシーンもある。そういう意味でも異色の作品ではあると思うが、東のエデンにおいて描かれている最後の姿は、多くの人にとって理想の日本なのか?そうじゃないのか?あなたはどのように感じるだろうか?

 

 

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